「愛した夫が、まったくの別人だった」。
映画『ある男』は、夫の死後にその名前も経歴も偽物だったと判明する、衝撃的なミステリーから始まる。
Xの正体について、事実上の答えは出ている。
彼の出生名は小林誠。母方の姓を名乗った原誠が、その後二度の戸籍交換を経て「谷口大祐」として生きていたのである。
しかし、彼の本名を突き止めても、物語最大の疑問は解決しない。
名前が嘘だったなら、里枝が愛した夫まで偽物だったのか。
そしてラストで、弁護士の城戸はなぜXの人生を自分の経歴として語ったのか。
本記事では、Xが用いた4つの名前を整理しながら、城戸のラスト、ルネ・マグリット《複製禁止》、そして『ある男』というタイトルの意味を考察する。
※以下、映画『ある男』の結末を含むネタバレがあります。
先に結論|『ある男』の重要ポイント
- Xの出生名は「小林誠」で、母方の姓を名乗った「原誠」が彼の正体
- 原誠は「曾根崎義彦」を経由し、最終的に「谷口大祐」として生きていた
- 彼が捨てたかったのは、自分の犯罪歴ではなく「死刑囚の息子」という逃れられない過去
- 名前と経歴は偽物だったが、里枝や子どもたちと過ごした時間まで偽物とは言い切れない
- 城戸が実際に戸籍交換した描写はなく、ラストは一時的に他人の人生を演じた場面と考えられる
- 城戸が最後に何と名乗ったかは明かされていない
- マグリット《複製禁止》は、戸籍や鏡でも人間の「本当の顔」は再現できないことを象徴する
- タイトルの「ある男」は、Xから城戸へ、さらに観客自身へと移っていく
映画『ある男』の作品情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 公開日 | 2022年11月18日 |
| 監督 | 石川慶 |
| 脚本 | 向井康介 |
| 原作 | 平野啓一郎『ある男』 |
| 上映時間 | 121分 |
| 主な出演 | 妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝、清野菜名、眞島秀和、真木よう子、柄本明 |
| 配給 | 松竹 |
本作は第46回日本アカデミー賞で、最優秀作品賞を含む最多8部門を受賞した。映画.comの作品情報
あらすじ|亡くなった夫は誰だったのか
離婚を経験した谷口里枝は、長男の悠人を連れて故郷の宮崎へ戻り、そこで「谷口大祐」と名乗る男性と出会う。
二人は結婚し、新たに娘も生まれ、穏やかな家庭を築いていた。ところが大祐は林業の仕事中、事故で命を落としてしまう。
一周忌にやってきた大祐の兄・恭一は、遺影を見るなり、写っている男は弟ではないと告げる。
里枝が夫として愛した男は、谷口大祐ではなかった。
里枝から依頼を受けた弁護士・城戸章良は、正体不明の亡夫を「X」と呼び、その過去を調べ始める。
Xの正体|小林誠から谷口大祐まで4つの名前を整理
Xの人生が分かりにくいのは、一度だけ他人になりすましたのではなく、複数の名前を経由しているからである。
時系列にすると、次のようになる。
| 段階 | Xが用いた名前 | 経緯 |
|---|---|---|
| 1 | 小林誠 | 出生時の名前。父は小林謙吉 |
| 2 | 原誠 | 両親の離婚後、母方の姓を名乗る |
| 3 | 曾根崎義彦 | 一度目の戸籍交換で得た名前 |
| 4 | 谷口大祐 | 二度目の戸籍交換で得た名前。里枝の夫として暮らす |
つまり、里枝が「谷口大祐」と呼んでいた夫の正体は、出生名を小林誠とする原誠だった。
一方、本物の谷口大祐は、映画終盤では「曾根崎義彦」として生きている。
Xが原誠から曾根崎義彦へ、さらに谷口大祐へと名前を移した結果、本物の谷口大祐には曾根崎義彦の名前が渡ったことになる。
小見浦が関わっていたのは、単純な一対一の交換ではない。複数の人物と名前を経由させ、元の身元を追いにくくする「戸籍ロンダリング」だったのである。
ただし、最初に原誠の名前を受け取った人物のその後など、交換の全経路は映画では詳しく描かれない。原作の情報を加えない限り、映画だけで確定できるのは、Xが原誠であり、本物の谷口大祐が曾根崎義彦として生きているという部分までである。
原誠はなぜ名前と過去を捨てたのか
原誠を最初に追い詰めたのは、彼自身が犯した罪ではない。
父・小林謙吉が重大な殺人事件を起こし、死刑になったという事実だった。
両親の離婚後に母方の「原」姓へ変わっても、「死刑囚の息子」という烙印は消えない。さらに誠自身も、成長するにつれて自分の顔が父親に似ていくことに恐怖を感じていた。
自分の中には父親と同じ血が流れている。
いつか自分も父親のようになるのではないか。
誠が怯えていたのは周囲の差別だけでなく、父親の犯罪が自分の内側にも存在するのではないかという恐怖だった。
映画に登場する、目や顔が塗り潰されたような絵も、その苦しみを示している。彼は他人から顔を隠したかっただけではない。鏡に映る自分の顔を、本人自身が見たくなかったのである。
だから彼が捨てようとしたのは、名前だけではない。
「犯罪者の息子なのだから、あなたもこういう人間だ」と、生まれによって先回りして決められた人生そのものだった。
里枝が愛した夫は「偽物」だったのか
Xが原誠だったと判明しても、里枝と過ごした時間まで消えるわけではない。
里枝を愛したこと。
悠人の父親になろうとしたこと。
家族のために働き、食卓を囲み、娘の成長を見守ったこと。
それらは別人の戸籍を使っていたとしても、実際に彼が選び、行ったことである。
「谷口大祐」という名前は偽物だった。しかし、里枝の夫や子どもたちの父親として生きた時間は、単なる演技だったとは言い切れない。
ただし、「愛していたのだから嘘は問題ではない」と美化することもできない。
里枝は、夫の本名や過去を知ったうえで結婚するかどうかを選ぶ機会を奪われていた。Xが抱えていた事情がどれほど過酷でも、長年にわたる身元の偽装が、里枝を深く傷つけた事実は残る。
本作が優れているのは、Xを完全な被害者にも、冷酷な詐欺師にも決めつけないところだ。
名前を偽ったことと、家族を愛したこと。
里枝を欺いたことと、里枝との生活に救われていたこと。
相反する二つの事実を、どちらも消さずに残している。
城戸とXはなぜ重なっていくのか
物語の前半では、城戸とXは正反対の位置にいる。
Xは身元を隠した男であり、城戸はその真実を明らかにする弁護士である。
しかし調査が進むほど、城戸はXを他人として見られなくなっていく。
城戸は在日コリアン3世で、高校時代に帰化し、日本国籍を持っている。それでも義父母との会話や街頭のヘイトスピーチなどによって、自分では選べなかったルーツを繰り返し意識させられる。CINRAによる作品評
原誠が「死刑囚の息子」として見られるように、城戸もまた、社会から与えられた属性によって説明されてしまう。
もちろん、二人の境遇は同じではない。
城戸には弁護士という地位があり、家庭もある。一方のXは、戸籍そのものを捨てなければ生きられないところまで追い詰められた。
それでも城戸は、名前を変えれば過去から逃れられるかもしれないというXの欲望を理解してしまう。
石川慶監督も、小見浦との面会を境に、城戸の「人探し」が「自分探し」へ変わると説明している。平野啓一郎公式サイトの監督対談
城戸が追っていたのは、いつの間にかXの正体ではなく、「今とは違う自分として生きられる可能性」だったのである。
ラストで城戸はなぜXの人生を語ったのか
映画のラストで、城戸はバーにいる見知らぬ男性と話をする。
そこで城戸は、里枝の夫だったXの人生を、まるで自分自身の経歴であるかのように語り始める。
やがて相手から名前を尋ねられ、城戸が名乗ろうとしたところで映画は終わる。
重要なのは、城戸が実際に戸籍交換した描写は存在しないことだ。
小見浦と取引した場面も、身分証明書を手に入れた場面もない。そのため、城戸も本当に別人になったというより、見知らぬ相手との短い会話の中で、他人の人生を一時的に演じたと考えるのが自然だろう。
石川監督はこの場面について、さまざまなものを背負った男性が、ふと肩の荷を下ろしたくなる感覚に共感したと語っている。平野啓一郎と石川慶監督の対談
城戸にとってバーは、弁護士でも、夫でも、父親でも、在日コリアン3世でもない自分を、ほんの一瞬だけ試せる場所だったのではないか。
しかし、この行為は単純な解放としては描かれていない。
城戸が借りたのは、過酷な人生の末に亡くなったXの物語である。それを自分の経歴として語る行為には、共感だけでなく、他人の人生を横取りするような危うさも含まれている。
Xを調査していた城戸は、最後には自分自身が「正体の分からない男」の側へ踏み出してしまう。
調べる者と調べられる者が反転する。それが、このラストの不穏さである。
城戸は最後に「谷口大祐」と名乗ったのか
映画の中で、城戸が「谷口大祐」と名乗る場面はない。
名乗ろうとした瞬間に暗転するため、答えは意図的に伏せられている。
谷口大祐と名乗ったかもしれない。
城戸章良と正直に答えたかもしれない。
あるいは、まったく別の名前を口にしたかもしれない。
ただし、何と名乗ったかを当てることが、この場面の目的ではないだろう。
仮に名前を聞かせてしまえば、城戸が元の自分へ戻ったのか、別人になる一線を越えたのか、どちらかに意味が固定されてしまう。
名前が聞こえないからこそ、城戸は「城戸章良」と「ある男」の境界に立ち続ける。
映画が観客に委ねたのは、城戸の新しい名前ではない。
自分の人生から逃れたいと思ったことのある人間を、私たちはどこまで責められるのかという問いなのである。
マグリット《複製禁止》が意味するもの
映画の冒頭とラストに登場するのが、ルネ・マグリットの1937年の絵画《複製禁止》である。
絵の中では、一人の男が鏡に向かって立っている。
本来なら鏡には男の顔が映るはずだが、鏡の中に映っているのも、こちらに背を向けた後ろ姿である。一方、そばに置かれた本は正常に鏡へ映っている。ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の作品解説
つまり、鏡そのものが壊れているわけではない。
人間だけが、正しく複製されないのである。
この構図は『ある男』の物語と重なる。
戸籍を見れば名前が分かる。
家系を調べれば両親が分かる。
国籍や出生地、過去の住所も確認できる。
しかし、それらの情報をすべて集めても、その人が誰を愛し、何を恐れ、どのような人間として生きたのかまでは分からない。
戸籍は人間の情報を記録できるが、一人の人間そのものを複製することはできない。
また《複製禁止》という題名は、城戸のラストに対する警告にも見える。
城戸はXの人生を語ることはできる。しかし、Xが味わった苦しみや、里枝たちと築いた時間まで複製することはできない。
他人の名前を名乗ることと、他人そのものになることは同じではないのだ。
石川監督は、この絵によって観客が「ある男=城戸」の物語を見る構図になることが重要だったと説明している。CINEMOREの監督インタビュー
映画冒頭では、私たちは絵の中の顔の見えない男を眺める。
ラストでは、その絵の前にいる城戸自身が、もう一人の顔の見えない男になる。
この映画は、最初からXではなく城戸の正体を追う物語でもあったのである。
『ある男』というタイトルの意味
なぜタイトルは『X』でも、『原誠』でも、『谷口大祐』でもないのか。
英題は“The Man”ではなく“A Man”。
特定の一人を指す「その男」ではなく、無数の人間の中の「ある一人の男」である。この英題については、原作者と監督の対談でも意識的なものとして語られている。平野啓一郎公式サイト
物語の最初で「ある男」と呼ばれるのはXだ。
しかし調査が進めば、本物の谷口大祐や曾根崎義彦にも、それぞれ捨てたかった人生が存在したことが分かる。
そしてラストでは、城戸まで名前の定まらない「ある男」になる。
名前を一つずつ取り去っていけば、人は誰でも「ある男」「ある女」になる。
だからこのタイトルは、Xの正体を表す名前ではない。
名前や肩書、国籍、家系によって人を理解したつもりになる私たちに向けられた問いなのである。
「本当の自分」は一つだけなのか
原作者の平野啓一郎は、一人の人間の中には、関係する相手ごとに異なる複数の自己が存在するという「分人主義」を提唱している。
平野は『ある男』について、生まれながらに「こういう人間だ」と決めつける本質主義への抵抗が、作品の背景にあると説明している。平野啓一郎インタビュー
この考え方で見ると、原誠だけがXの「本当の姿」であり、谷口大祐はすべて偽物だったとは言い切れない。
父親の前にいた小林誠。
ボクサーとして生きた原誠。
過去を捨てようとした曾根崎義彦。
里枝を愛し、子どもたちの父親になった谷口大祐。
どれか一つの名前の下にだけ、本物の彼が隠れているわけではない。
里枝との関係の中で生まれた「大祐」もまた、確かに彼の一部だった。
もちろん、分人主義は身元の偽装を正当化する考えではない。法的な責任や、里枝を欺いた事実は別に残る。
それでも、出生名を突き止めることと、その人のすべてを理解することは同じではない。
『ある男』が描いているのは、その間にある埋めることのできない距離である。
映画版の弱点と、それでも残る力
映画版は、戸籍交換の詳しい仕組みや、本物の谷口大祐が名前を捨てた理由を大幅に省略している。
そのため、ミステリーとして人物関係を追うと、「なぜこの人物も交換に応じたのか」と疑問が残りやすい。この点は、原作未読の観客にとって分かりにくい部分だろう。
一方で、映画は交換の仕組みよりも、名前を捨てたいと願う人間の感情に焦点を絞っている。
安藤サクラは、夫の嘘に傷つきながらも、共に過ごした時間まで否定できない里枝の感情を、言葉にしすぎず表現する。
窪田正孝は、過去を語れないXの恐怖を、その身体や視線に宿らせる。
そして妻夫木聡は、冷静な弁護士だった城戸が少しずつXに侵食されていく過程を抑制された演技で見せる。
謎が解けるほど人間が分からなくなっていく。
そこに、通常のミステリーとは逆向きの本作の魅力がある。
よくある疑問
Xの本当の名前は?
出生名は小林誠です。両親の離婚後は母方の姓で原誠と名乗り、戸籍交換によって曾根崎義彦、谷口大祐の順に名前を変えています。
本物の谷口大祐はどうなった?
本物の谷口大祐は、曾根崎義彦として生きています。映画では彼が名前を捨てた詳しい理由や、その後の生活はほとんど描かれません。
城戸も戸籍交換した?
城戸が戸籍交換したことを示す描写はありません。ラストは、見知らぬ男性との会話で一時的にXの人生を演じた場面と考えられます。
城戸は最後に何と名乗った?
映画では明かされていません。「谷口大祐」と名乗ったと断定することはできません。
マグリットの絵のタイトルは?
ルネ・マグリットの《複製禁止》です。鏡を見ても顔が映らない構図が、Xや城戸の不確かなアイデンティティと重なっています。
『ある男』は実話?
平野啓一郎の同名小説を原作とするフィクションです。ただし、現実の出来事を聞き取って書いたかのような構造が用いられているため、実話のような感触を持つ作品になっています。
まとめ|最後に「ある男」になるのは誰か
映画『ある男』は、Xの正体を突き止めるミステリーとして始まる。
Xの出生名は小林誠であり、母方の姓を名乗った原誠が、曾根崎義彦を経由して谷口大祐として生きていた。
しかし、名前が判明しただけでは、彼がどのような人間だったかは決まらない。
名前を偽って里枝を傷つけたことも事実。
里枝や子どもたちを愛し、家族として生きたことも事実。
映画はどちらか一方を消すことなく、一人の人間の中に残している。
そしてラストでは、Xを調査していた城戸が他人の人生を語り、自ら正体の分からない側へ踏み出す。
最初の「ある男」はXだった。
最後の「ある男」は城戸だった。
だが映画が終わったあと、その言葉は観客にも向けられる。
名前、職業、国籍、家族、過去。それらを取り除いたとき、自分は何者なのか。
あるいは、それらをすべて並べれば、本当に自分を説明したことになるのか。
『ある男』というタイトルは、その答えではない。
鏡の前に立つ私たち自身へ向けられた、顔の見えない問いなのである。

