※この記事には、映画『ミッドナイトスワン』(2020年)の結末を含むネタバレがあります。映画で描かれる出来事、制作者の発言、本記事の解釈を分けて考察します。
『ミッドナイトスワン』の終盤で、凪沙と一果は海へ向かいます。凪沙に求められて踊る一果。その後、映画は、成長した一果が海外の舞台で踊る姿を映し出します。
凪沙はなぜ亡くなったのか。海に入っていく一果は、何を思っていたのか。そして、凪沙を思わせる服装や、最後のバレエには、どのような意味があるのでしょうか。
本作の結末を読む鍵は、二人の別れと、一果が自分の人生を続けていく姿を、一続きの物語として見ることにあります。
『ミッドナイトスワン』の結末を先に整理
終盤の出来事は、次のように整理できます。
| 場面 | 映画で描かれること |
|---|---|
| 一果が凪沙の部屋を訪れる | 手術後に体調を崩し、衰弱した凪沙と再会する |
| 二人で海へ向かう | 凪沙が一果に踊ってほしいと求め、海辺で最期を迎える |
| 一果が海に入る | 凪沙との別れの後、一果が海へ進む姿が映る |
| 成長した一果の姿 | 海外でバレエを続け、舞台で踊っている |
凪沙の最期は、手術後の不調やケアの問題と結びつけて描かれています。ただし、詳しい医学的な死因が説明されるわけではありません。FILMAGA(フィルマガ)
また、海に入る場面の後にも、一果が生きて踊る姿が描かれます。海の場面を読むうえでは、この後日譚と、監督が語った「解放」という意図が重要になります。
映画『ミッドナイトスワン』の作品情報とあらすじ
『ミッドナイトスワン』は、内田英治が監督・脚本を務め、2020年9月25日に公開された日本映画です。
凪沙を草彅剛、一果を服部樹咲が演じます。一果の母・早織は水川あさみ、バレエ教師の片平実花は真飛聖、友人の桑田りんは上野鈴華が演じ、音楽は渋谷慶一郎が担当しています。midnightswan-movie.com
第44回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を受賞し、草彅剛が最優秀主演男優賞、服部樹咲が新人俳優賞を受賞しました。japan-academy-prize.jp
主人公の凪沙は、東京・新宿のショーパブで働くトランスジェンダー女性です。ある日、母親から十分な養育を受けられない親戚の少女・一果を、養育費目当てで預かることになります。
初めは互いに距離を置いていた二人ですが、一果がバレエと出会い、その才能を凪沙が知ったことで、関係が変わり始めます。
一果と凪沙は親戚にあたります。本作の「疑似親子」という言い方は、実の母娘ではない二人が、生活の中で親子のような関係を築いていくことを指しています。
凪沙の死因は?術後の不調と海辺の最期を整理
一果が再び凪沙の部屋を訪れたとき、凪沙は、かつて一緒に暮らしていた頃とは大きく変わっています。
手術後の不調を抱え、生活も立ち行かなくなり、著しく衰弱している。本人の言葉からは、術後のケアが十分にできていなかったことが分かります。note.com
このため、映画の流れとしては、術後の身体的な問題が悪化した末の最期として受け取れます。ただし、病名や直接の死因について、診断結果が示されるわけではありません。
ここでは、「映画で何が語られているか」と、「観客がその原因をどう推測するか」を分けておきたいところです。
手術を受けた理由と、最期の原因を混同しない
凪沙には、一果と出会う前から、自分の身体や生き方に関する切実な願いがありました。一果を育てたいという思いは、その願いに、新しい未来のイメージを重ねていきます。
一方、母として認められたいという気持ちと、周囲から向けられる否定も、彼女の行動に影響していたと考えられます。
ただ、そこから「一果のために手術を受けたから死んだ」と一本の因果関係でまとめると、凪沙がそれ以前から抱えていた願いや、生活の苦しさが見えにくくなります。
本作には、身体の不調を抱えた凪沙が、一人で暮らす姿が映っています。その光景から考えたいのは、彼女がどのような支えを得られずにいたのか、ということでもあります。
海辺で踊る一果は現実?凪沙の幻想との違い
海辺では、一果が凪沙の求めに応じて踊る場面と、凪沙の主観的な光景が重ねられています。
凪沙には、幼い自分の姿や白鳥が見えています。そこには、記憶や、かつて叶えられなかった願いが入り込んでいると考えられます。note.com
一果が踊る行為と、凪沙が心の中で見ているものを分けて見ると、この場面の構造をつかみやすくなります。
一果は、凪沙の言葉に戸惑いながらも、彼女のために踊ります。一方、凪沙には、その踊りが、自分の願ってきたものと重なって見えている。
二人が共有する最後の時間に、凪沙だけが見ている光景が織り込まれているのです。
凪沙の「きれい」という言葉に重なるもの
内田監督は、凪沙が一果の踊りを見て「きれい」と口にする言葉について、草彅剛のアドリブだったと説明しています。chacott-jp.com
この言葉は、一果の技術を評価するだけのものには聞こえません。
一果が自分の身体で表現していること。その未来が開かれようとしていること。そして、凪沙が守りたいと思ってきた少女が、目の前で踊っていること。
そうした感情が、一つの短い言葉に集まっているように感じられます。
一方で、観客には、その時間が続かないことも伝わります。踊りの美しさと、別れの取り返しのつかなさが、同じ場面に置かれているのです。
一果はなぜ海に入ったのか|監督が語った「解放」
凪沙との別れの後、一果は海へ進んでいきます。この場面には、悲しみや、感情を受け止めきれない少女の姿を見ることができます。
ただ、後を追って命を絶とうとした、と確定する描写として扱うのは慎重であるべきでしょう。
内田監督への取材を行った坂口香野は、インタビュー余録で、この場面が撮影現場で加えられたものだと紹介しています。監督は、一果が好きなことへ向かって解放されていくイメージを込めたと説明しています。note.com
また、チャコットのインタビューでも、監督は、一果がバレエという世界を見つけ、そこへ向かって解放される結末を目指したと語っています。chacott-jp.com
これらの発言と、その後の一果の姿を踏まえると、海へ入る動きは、喪失を抱えながら、新しい世界へ踏み出す姿として読むことができます。
もちろん、一果の悲しみがそこで消えたわけではありません。映画は、彼女の感情を台詞ですべて説明してはいません。
それでも、後に踊り続ける姿があることで、海辺の場面は、一果の人生が続いていく物語の中に位置づけられます。
凪沙はどうやって「母」になっていったのか
凪沙は、初めから一果を献身的に育てる人物ではありません。
同居を引き受けた理由にはお金があり、自分の生活に他人が入ってくることを歓迎してもいません。一果に対して、冷たい言葉を向けることもあります。
しかし、一果の孤独や、バレエを踊る姿を知るにつれ、凪沙の行動が変わっていきます。
レッスンを続けるためのお金を工面する。食事を用意する。髪を整える。踊る姿を見守る。
「母になりたい」という思いは、こうした生活の中の行動として表れていきます。
食事と公園の場面が、二人の関係を変える
二人の関係を印象づけるのは、大きな決断だけではありません。
一緒に食卓を囲み、夜の公園でバレエの動きを教え合う。その時間には、預かる側と預けられる側という関係を越えた、親しさがあります。
一果は、助けてもらうだけの存在ではありません。凪沙に踊りを教え、彼女が自分の明日を考えるきっかけにもなります。
内田監督は、もともと別々に構想していたバレエの物語とトランスジェンダーの物語を組み合わせ、二人組の映画にしたと説明しています。chacott-jp.com
その成り立ちを知ると、本作に描かれる関係を、互いの人生を変える二人の物語として見ることができます。
女性であることと、母になることは分けて考えたい
一果を育てたいという願いは、凪沙の人生にとって大切なものです。ただし、凪沙が女性として尊重されることは、母になれるかどうかに左右されるものではありません。
彼女は、一果と出会う前から、女性として生きていました。
本作の母性は、その生き方を証明する資格というより、一果との関係の中で生まれた、凪沙自身の新しい願いとして受け取ることができます。
りんの悲劇と、早織の姿が問いかけるもの
一果の友人・りんは、バレエを習う環境に恵まれた少女として登場します。しかし、経済的な余裕があることと、本人の気持ちが受け止められていることは別です。
りんは、けがによって踊ることが難しくなり、母親から向けられる期待との間で追い詰められていきます。
やがて彼女は自ら命を絶ち、一果は大切な友人を失います。FILMAGA(フィルマガ)
彼女の内面を、たった一つの理由で説明することはできません。それでも、バレエを踊れる自分に価値を置かれているように感じる苦しさは、作中の母娘のやり取りから読み取れます。
りんの存在によって、映画は、才能を伸ばすことと、その子自身を大切にすることの違いを問いかけています。
早織と凪沙を、単純な善悪に分けない
一果の母・早織は、娘を傷つけ、養育する責任を十分に果たしていません。その行動は、一果の心と生活に深い傷を残しています。
一方で、物語が進むと、早織と一果の関係にも変化が見えてきます。早織を、最後まで同じ姿の人物として固定して読む必要はありません。
凪沙についても、愛情があるからすべての判断が正しい、とは言い切れません。彼女にも、傷つきやすさや、自分の願いを一果との関係に重ねる危うさがあります。
誰を「本当の母」と認定するかだけで見るより、それぞれが一果の思いにどう向き合ったかを見る方が、物語の複雑さを受け止めやすくなります。
実花先生の存在|一果の未来は複数の支えで開かれる
バレエ教師の実花は、一果の才能を見いだし、踊りを続けるための道を示す人物です。
凪沙は、一果に日々の居場所を与えます。実花は、技術を教え、その才能を外の世界につなぎます。
一果の未来は、凪沙の愛情だけで成立したものではありません。教える人、学べる場所、経済的な条件、本人の努力や意志が重なって、少しずつ開かれていきます。
ここを見落とすと、凪沙の献身だけが強調され、彼女自身にも支えが必要だったことが見えにくくなります。
一果が未来へ進む姿と、凪沙が孤立していく姿。その隔たりは、作品を考えるうえで残る、重い問いです。
最後の踊り・赤い靴・エンドロール後の映像の意味
成長した一果は、海外でバレエを続けています。
そこで印象に残るのが、凪沙を思わせるトレンチコートと赤い靴です。服装の重なりは、凪沙と過ごした時間が、一果の中に残っていることを感じさせます。
内田監督は、衣装などに使われる赤について、凪沙と一果をつなぐ共通の色として取り入れたと説明しています。映画・エンタメ情報サイト
この発言を踏まえると、ラストの服装は、単なる似た装い以上に、二人のつながりを視覚的に伝えるものとして読めます。
一果は、自分の選んだバレエを踊り続ける
最後の舞台には、凪沙やりんを失った一果の時間が重なります。
それでも、彼女が踊る理由を、亡くなった二人のためだけに限定する必要はないでしょう。バレエは、一果自身が見つけ、続けたいと望んだものでもあります。
大切な人への思いを持ちながら、自分の好きな世界で生きていく。その二つが、最後の踊りには重なっています。
凪沙が生きた時間は、一果がこれから生きる時間の中に影響を残します。ただ、そのことが、凪沙の死を必要な犠牲に変えるわけではありません。
エンドロール後に添えられる、二人の姿
エンドロールの後には、凪沙と、白鳥の衣装を身につけた一果の姿を映す、短い映像が添えられています。Cinemarche
この映像は、二人の関係を象徴するイメージとして受け取れます。離れてしまった二人を、映画の最後にもう一度、同じ画面の中へ置いているのです。
物語の中で失われた時間を戻すことはできません。それでも、二人が互いにとって大切な存在だったことを、この一枚のような光景が残しています。
タイトル『ミッドナイトスワン』の意味を考察
タイトルを直訳すると、「真夜中の白鳥」です。
凪沙は、夜のショークラブで白鳥の姿をして踊ります。一果は、バレエの『白鳥の湖』を通して、自分を表現していきます。
白鳥というモチーフが、異なる場所で踊る二人を結びつけています。
公式サイトも、凪沙を、孤独の中で美しく生きようとする白鳥に重ねて紹介しています。midnightswan-movie.com
そこから本作全体を見ると、「真夜中」は、二人が社会や家庭の中で感じていた孤独とも重なります。
ただ、夜は、二人が心を通わせる時間でもあります。公園でバレエを教え合う場面には、昼間の生活とは違う、自由で親密な空気があります。
このため「ミッドナイトスワン」は、孤独を抱える人物を示す題名であると同時に、誰かと出会うことで、自分らしくいられる時間を見つけた二人の題名としても読めるでしょう。
凪沙の人生には、叶わなかった願いが残ります。一果も、大切な人を失った事実を抱えて生きていきます。
それでも、凪沙が作った食事や、踊りを見つめた表情、公園で交わした何気ない言葉は、二人の間に確かにありました。最後の舞台に立つ一果の姿は、その時間を失われたものだけにしない結末なのだと思います。
家族になる過程や、血縁と共に過ごす時間の関係については、映画『そして父になる』の考察でも読み解いています。

