映画『CURE キュア』ネタバレ考察|間宮の正体とラストの高部、妻の死・Xの意味

映画『CURE キュア』では、殺人事件の犯人が最初から分かっています。

犯人は逃亡せず、犯行も認めています。それなのに、なぜ人を殺したのかだけは説明できません。

やがて捜査線上に浮かぶのが、「あんた誰?」という質問を繰り返す男・間宮です。

間宮は人間を操る超能力者なのでしょうか。それとも、誰の心にも存在する憎悪を表面化させているだけなのでしょうか。

そしてラスト、高部の妻・文江はなぜ殺され、ウェイトレスはなぜ包丁を手にしたのか。

『CURE』の結末が示しているのは、間宮を倒しても悪が終わらなかったというだけではありません。

高部自身が、間宮よりも危険な存在へ「治ってしまった」可能性です。

※ここから映画の結末を含むネタバレがあります。

『CURE キュア』の結論を先に整理

疑問考察・結論
間宮の正体催眠術を研究していた元医学生。自我を空にして、他人の抑圧された感情を引き出す「伝道師」になったと考えられる
催眠で殺人を命令したのか殺意を新しく植えつけたというより、本人が抑えていた憎悪や欲望を解放した可能性が高い
X印の意味催眠の合図であると同時に、被害者の抹消、社会的人格の否定、「未知の人間」を表す記号
文江は本当に死んだのか公式のあらすじでは死亡している。ただし、誰が殺したのかは示されない
高部が文江を殺したのか高部が直接殺したとは断定できない。能力を継いだ高部が、誰かに殺させた可能性もある
ウェイトレスは何をするのか上司を刺そうとしている。撮影された未使用部分では、実際に上司を刺す場面まで存在した
高部は間宮の能力を継いだのかもっとも自然な解釈。ただし、従来の催眠術とは異なり、言葉や道具を必要としない存在になった可能性がある
タイトル「CURE」の意味ストレスや自我から解放される代わりに、人間性と倫理を失うという皮肉な「治療」

映画『CURE キュア』作品情報

項目内容
公開日1997年12月27日
監督・脚本黒沢清
主演役所広司
出演萩原聖人、うじきつよし、中川安奈、洞口依子、でんでん、大杉漣ほか
上映時間111分
ジャンルサイコサスペンス/ホラー

高部を演じた役所広司は、本作で第10回東京国際映画祭の最優秀男優賞を受賞しました。基本情報と公式のあらすじは松竹作品データベースで確認できます。

『CURE キュア』のあらすじと結末

東京近郊で、首から胸にかけてX字型の傷を刻まれた遺体が相次いで発見されます。

奇妙なのは、それぞれの事件に関係がないことです。

犯人も異なり、凶器も状況も違います。犯人たちはすぐに逮捕され、犯行そのものは認めるものの、なぜ殺したのか、なぜ遺体にXを刻んだのかを説明できません。

事件を担当する刑事・高部賢一は、心理学者の佐久間とともに共通点を探します。

やがて高部は、犯人たちが殺人の直前に、記憶障害を抱えた青年・間宮邦彦と接触していたことを突き止めます。

間宮は相手の質問に答えず、逆に「あんた誰?」「ここはどこ?」と問い返します。そして水の流れやライターの炎を見せながら、相手が心の奥に隠している不満や憎悪を引き出していきます。

高部は間宮を逮捕しますが、取り調べを続けるうち、自分も妻・文江に対する疲労や苛立ちを吐露してしまいます。

間宮は病院から脱走。彼を追って廃屋へたどり着いた高部は、間宮を銃で撃ち殺します。

しかし、事件は終わりません。

病院では文江がX字の傷を刻まれた遺体となり、最後のファミリーレストランでは、ウェイトレスが包丁を手に上司へ向かっていきます。

間宮の正体は何者なのか

捜査によって、間宮は催眠術を研究していた元医学生だったことが判明します。

彼は18世紀の医師フランツ・アントン・メスメルが提唱した「動物磁気」や催眠療法に関心を持ち、さらに作中の明治時代の催眠術師・伯楽陶二郎へとたどり着いていました。

ただし、間宮が単なる催眠術師なのかというと、そうとも言い切れません。

間宮は自分について質問されても、名前、場所、過去を覚えていないように振る舞います。一方で、他人の家族関係や心の奥にある感情は見透かします。

間宮自身は、自分の内側にあったものが外へ出てしまい、空っぽになったという趣旨の説明をします。

つまり間宮は、自分の人格や欲望を失った代わりに、他人の内面を映す鏡になったと考えられます。

間宮と話している人間は、彼について知ろうとしているはずなのに、いつの間にか自分自身の不満や憎悪を語らされてしまいます。

間宮は殺意を一方的に植えつける怪人というより、相手が隠してきた本心を外へ引きずり出す存在なのです。

間宮は本当に記憶喪失だったのか

間宮の記憶喪失が本物なのか、演技なのかは明確にされません。

彼は何度も同じ質問を繰り返し、少し前の会話さえ忘れたように振る舞います。しかし、催眠の知識や相手を誘導する手順は失っていません。

そのため、主に二つの解釈ができます。

相手を油断させるための演技

何も分からない青年を演じれば、相手は間宮を助けようとします。

小学校教師も警察官も医師も、最初は間宮を保護し、質問に答えようとします。その関係が逆転し、気づいたときには間宮の質問から逃げられなくなっています。

記憶喪失は、人の懐へ入るための技術だったとも考えられます。

自我を失った結果、本当に記憶がない

もう一つは、催眠術の研究を続けた結果、間宮自身が「空っぽ」になったという解釈です。

自分が何者か分からないからこそ、他人の感情だけが鮮明に見える。

この場合、間宮は催眠を操る支配者であると同時に、催眠というシステムに支配された被害者でもあります。

映画はどちらかに決めず、演技と本当の喪失の境界を曖昧にしています。

「あんた誰?」という質問の意味

間宮の「あんた誰?」は、名前や職業を尋ねる質問ではありません。

高部が自分は刑事だと答えても、間宮は納得しません。

刑事、夫、教師、警察官、医師。

登場人物たちは、社会的な肩書によって自分を説明します。しかし、間宮が知りたいのは、それらをすべて取り除いた後に何が残るのかです。

高部は有能な刑事であり、精神を病む妻を支える夫でもあります。

ところが、その役割の裏では、事件への苛立ちと介護の疲労を抱えています。妻を大切にしたいという気持ちと、妻から解放されたいという気持ちが同時に存在しています。

間宮の質問は、高部が職業や常識の下に隠してきた本心を暴き出します。

「あんた誰?」とは、「社会から与えられた役割を取り除いたとき、あなたはどんな人間なのか」という問いなのです。

催眠で人を殺すことはできるのか

佐久間は、催眠によって本人の倫理観に反する殺人を実行させることはできないと説明します。

それでも、間宮と接触した人間は次々に殺人を犯します。

ここから考えられるのは、間宮が「人を殺せ」と命令しているわけではないということです。

間宮が行っているのは、社会生活の中で抑え込まれてきた感情の解放です。

警察官は同僚への不満を抱え、女性医師は女性であることを理由に評価される社会への怒りを抱えています。高部もまた、妻を支え続ける生活に疲れています。

普段は理性や倫理によって抑えられている感情が、間宮との対話によって表面化する。

催眠は殺意を作るのではなく、殺意を抑えていた蓋を外すのです。

もちろん、これは映画の中で描かれる架空の催眠です。現実の催眠療法と同じものとして受け取るべきではありません。

水と炎は催眠のスイッチなのか

間宮は、ライターの炎、水がこぼれる様子、雨漏りなどを利用します。

催眠では、相手の意識を一つの対象へ集中させることが導入になります。間宮は身近な炎や水を使って相手の注意を奪い、会話の主導権を握っているのでしょう。

同時に、水と炎は正反対の性質を持っています。

炎は照らし、燃やし、破壊するもの。
水は形を持たず、境界を溶かし、流れていくもの。

間宮は炎や水を見せながら、相手の固定された人格を揺さぶります。

ただし、特定の道具そのものに超能力があるわけではありません。重要なのは、相手の意識が日常から切り離され、間宮の質問だけに集中してしまうことです。

ラストの高部は、炎や水を使っている様子を見せません。

これが、高部が間宮と同じ手順を必要としない、より危険な存在になった可能性につながります。

遺体に刻まれたX印の意味

Xは、間宮によって解放された殺人者たちに共通する印です。

作中で佐久間が発見する古い催眠実験の映像でも、術者が被験者に向かってXを描いています。そのため、Xが催眠術の継承を示す合図であることは間違いないでしょう。

そこには、さらに複数の意味を読み取れます。

人間を消す印

Xは、誤った答えや不要なものを消すときに使われる記号です。

被害者の身体にXを刻む行為は、その人間の存在や人格を否定し、抹消することを意味していると考えられます。

社会的な人格を壊す印

殺人を犯した教師、警察官、医師は、それまで社会的な役割を守って生きていました。

ところが間宮との接触後、その人格は壊れ、社会から見た「普通の人」ではなくなります。

Xは被害者だけでなく、殺人者自身の社会的人格にもつけられた印なのです。

答えのない未知数

数学におけるXは、まだ答えが分からない未知数でもあります。

「あんた誰?」と尋ねる間宮にとって、人間は正体の分からないXです。

Criterion Collectionの批評でも、Xは個人の抹消や、顔を失うイメージと結びつけて論じられています。Criterion「Cure: Erasure」

文江の『青髭』は何を暗示していたのか

映画の冒頭、文江は精神科医の前で『青髭』について話しています。

『青髭』は、男が妻たちを殺し、その秘密を隠している物語です。

本作では、夫婦間に潜む恐怖を暗示するものとして使われています。

高部は文江を献身的に支えているように見えます。しかし同時に、彼女の病気に疲れ、解放されたいとも感じています。

高部が妻を殺したいと明確に考えていたとは限りません。それでも、文江の死を想像するような映像は映画の途中から差し込まれています。

クリーニング店で突然現れる赤いワンピースについて、黒沢監督は、妻の死を一瞬想像する象徴的な場面だったと説明しています。東京国際映画祭トークイベントの記録

『青髭』は、文江の死と、高部の内側に潜んでいる妻への殺意を冒頭から予告していたのです。

妻・文江は本当に死んだのか

終盤、病院の廊下を運ばれる文江の姿が一瞬映ります。首から胸にはX字型の傷があります。

幻想や高部のイメージとも受け取れる唐突な場面ですが、松竹の公式あらすじでは、文江は病院で殺されたと説明されています。

したがって、基本的には文江が実際に死亡したと考えてよいでしょう。

ただし、誰が殺したのかは分かりません。

高部が直接殺した説

高部は文江との生活に疲れ、間宮にもその本心を見抜かれていました。

『青髭』や赤いワンピースなど、夫が妻の死を望んでいるように見える伏線もあります。

しかし、高部が病院へ入り、文江を殺す場面はありません。Xを刻むための凶器や犯行の時間も描かれていないため、直接殺したと断定はできません。

高部が誰かに殺させた説

高部が間宮の能力を継承し、病院関係者の心にある暴力性を解放して、文江を殺させた可能性もあります。

この解釈なら、文江にXが刻まれていることや、高部が平然と食事をしているラストにもつながります。

もっとも自然なのは、高部が直接または間接的に文江の死へ関わっているものの、映画がその方法だけを意図的に隠しているという見方です。

廃屋の蓄音機は何を高部に伝えたのか

高部が間宮を射殺した後、廃屋では古い蓄音機の音声が流れます。

音声の内容は不鮮明で、具体的な命令として聞き取ることはできません。

しかし、その廃屋は伯楽陶二郎や過去の催眠研究と関係する場所として描かれています。間宮もかつて同じ音声を聞き、「伝道師」になった可能性があります。

高部は間宮を殺したことで勝利したように見えます。

ところが蓄音機を聞いた後、高部の状態は明らかに変化します。

間宮を殺すこと自体が、高部を後継者にする最後の儀式だったとも考えられるのです。

高部は間宮の能力を継承したのか

ラストから考えると、高部が間宮の役割を継いだ可能性は非常に高いでしょう。

ただし、高部は間宮の真似をしません。

記憶喪失を演じることも、「あんた誰?」と繰り返すことも、水や炎を使うこともありません。

それでも、高部の周囲では文江が殺され、ウェイトレスが包丁を手にします。

間宮が会話と催眠によって時間をかけて殺意を解放していたのに対し、高部は短い接触だけで同じことを起こせる存在になったのかもしれません。

もう一つの可能性は、高部がウェイトレスを直接操ったのではないという解釈です。

ウェイトレスは上司から注意を受けています。高部が何もしなくても、職場で抑え込んできた不満が限界に達したとも考えられます。

この場合、高部が受け継いだのは超能力ではありません。

「人間の中には、もともと暴力が存在している」という間宮の思想を証明する存在になったのです。

どちらの解釈でも、間宮の死によって事件は終わっていません。

間宮が一人の犯人だったのではなく、人間社会に潜んでいる憎悪の入口だったことが示されます。

高部がラストで食事を完食する意味

映画の途中、高部は同じファミリーレストランで食事をほとんど残しています。

事件の捜査と文江の介護によるストレスで、食欲を失っているのです。

ところがラストの高部は、料理をきれいに完食しています。

間宮は死に、文江もいなくなりました。高部を苦しめていた仕事と家庭の問題が、暴力によって消えたからです。

東京国際映画祭のトークイベントで、役所広司は高部を「ストレスがなくなった怪物」と捉えています。黒沢監督も、最後の高部は空っぽになり、目の前のものをすべて食べられる最強の状態になったと説明しています。トークイベント全文

高部は健康になったのではありません。

罪悪感、葛藤、責任感といった、人間を人間としてとどめる感情を失ったのです。

食欲の回復は、高部が「治った」ことを示すと同時に、人間ではなくなったことを示しています。

ラストでウェイトレスは何をしようとしていたのか

ラストのウェイトレスは、包丁を持って上司へ向かっています。

公開版では包丁を手にした直後に画面が暗転するため、何をするのか分かりにくくなっています。

しかし黒沢監督は、撮影された元の場面には続きがあり、ウェイトレスが上司を何度も刺すところまで撮っていたと明かしています。

その場面を編集で切ったのは、包丁を持った瞬間に終わった方が暗示的になると考えたためです。東京国際映画祭での黒沢清監督Q&A

したがって、「ウェイトレスが上司を殺そうとしているのか」という疑問については、ほぼ間違いないといえます。

曖昧なのは、ウェイトレスの行動そのものではありません。

高部が催眠をかけたのか。
高部の存在だけで殺意が解放されたのか。
それとも、上司への不満によって自発的に包丁を持ったのか。

映画が隠しているのは、その原因です。

なぜタイトルが『CURE=治療』なのか

「CURE」には、治療、回復、癒やしという意味があります。

殺人が続く本作には、正反対のタイトルに思えます。

しかし、間宮の行為を本人の視点から見れば、殺人は一種の治療です。

登場人物たちは、社会の中で怒りや憎悪を抑えています。

教師として。
警察官として。
医師として。
夫として。

間宮は、その社会的人格を壊し、本心を解放します。

解放された人間は殺人者になりますが、もう感情を抑える必要はありません。高部も妻と間宮を失った後、ストレスから解放され、穏やかな表情で食事を完食しています。

苦しみは消えた。
しかし、苦しみと一緒に倫理や人間性も消えてしまった。

それが本作の「治療」です。

黒沢監督によると、当初は宗教的な「伝道師」という言葉も作品と関係していましたが、宗教犯罪を直接連想させない、より医学的な言葉としてプロデューサーから「CURE」が提案されたそうです。

結果としてこのタイトルは、人間を苦しみから解放する行為が、同時に人間を怪物へ変えるという作品最大の皮肉を表しています。

『CURE』が静かなのに怖い理由

本作には、大音量で驚かせる演出や、怪物が突然現れる場面がほとんどありません。

代わりに使われているのが、長回しと固定されたカメラです。

一つの画面の中で、普通の人間が少しずつ狂気へ移っていきます。

黒沢監督は、善人から悪人、正気から狂気への変化をカットで分断せず、もともと人間の中に含まれていたものが露呈するように撮りたかったと説明しています。

これは、「間宮によって普通の人が突然怪物になった」という見方を否定する演出でもあります。

怪物は外から入ってきたのではありません。

最初から、その人の中にいたのです。

間宮は扉を開いただけです。

まとめ|高部は「治った」のではなく、空っぽになった

『CURE キュア』の間宮は、相手の中に存在しなかった殺意を植えつける存在ではありません。

社会生活のために隠してきた憎悪や欲望を見つけ、それを解放する存在です。

高部もまた、有能な刑事、献身的な夫という人格の下に、怒りと疲労を抱えていました。

間宮を殺し、文江を失ったラストの高部は、ようやく苦しみから解放されます。

食事を完食し、穏やかな表情を見せる高部は、一見すると正常に戻ったように見えます。

しかし、その直後、ウェイトレスが包丁を手にします。

間宮は自分の記憶と人格を失った「空っぽの人間」でした。

高部は、自分が誰なのかを理解したまま、罪悪感もストレスもない「空っぽの人間」になったのかもしれません。

だからこそ、間宮よりも高部の方が恐ろしいのです。

異常な格好もせず、記憶喪失にもならず、ごく普通の社会人として街に紛れ込めるからです。

『CURE』が最後に描くのは、悪の感染ではありません。

人間の中に最初から存在していた悪が、解放されていく世界です。

そして、その解放を「治療」と呼んでしまうことこそが、本作最大の恐怖なのです。

参考資料