映画『怪物はささやく』ネタバレ考察|怪物の正体は?3つの物語とラストの絵の意味を解説

※この記事には、映画『怪物はささやく』(2016年製作・2017年日本公開)の結末を含む重大なネタバレがあります。映画の出来事と制作陣の発言を踏まえ、人物の心理や象徴の意味については本記事の解釈として考察します。

母を助けてほしい少年に、怪物は不思議な物語を聞かせます。

けれど、その物語では正しい人が報われるとは限らず、悪い人だと思っていた人物が救われることさえあります。母の病気と何の関係があるのか、コナーにも、観客にも、初めは分かりません。

『怪物はささやく』を読み解く鍵は、一人の人間の中に、矛盾する感情が同時に存在できるということです。

母には生きていてほしい。それでも、母を失うかもしれない恐怖が続くことには耐えられない。コナーが隠していたのは、その二つの気持ちを抱えている自分への恐れでした。

怪物の正体、3つの物語の意味、そしてラストのスケッチブックが示すものを、結末から順に考えていきます。

『怪物はささやく』の作品情報とあらすじ

項目内容
原題A Monster Calls
製作年2016年
日本公開日2017年6月9日
監督J・A・バヨナ
原作・脚本パトリック・ネス
主な出演ルイス・マクドゥーガル、フェリシティ・ジョーンズ、シガニー・ウィーバー、トビー・ケベル
怪物の声リーアム・ニーソン
上映時間109分

作品情報:GAGA公式サイト/映画.com。gaga.ne.jp

病気の母と暮らす少年コナーは、学校でも孤立し、悪夢に苦しんでいます。ある夜、家から見えるイチイの巨木が怪物の姿になり、彼の前に現れます。

怪物は3つの物語を語り終えたら、4つ目はコナー自身が語るよう求めます。その内容は、コナーが誰にも言えずにいる真実でなければなりません。gaga.ne.jp

コナーは怪物に母を救ってもらいたいと願います。しかし、怪物が彼を導いていくのは、自分でも認めたくない感情と向き合う場所でした。

結末を解説|コナーが隠していた「真実」とは?

コナーの真実は、母を失いたくない一方で、苦しい時間が終わってほしいとも願っていたことです。

彼が繰り返し見る悪夢では、母が崩れた地面の向こうへ落ちそうになり、コナーはその手をつかみます。けれど、最後には自分から手を放してしまいます。

これは、現実でコナーが母を突き落としたという出来事ではありません。悪夢の中で手を放す自分の姿が、彼にとって、隠している気持ちの証拠になっていたのです。SS

母を失うのは怖い。けれど、失うかもしれないと怯え続ける毎日もつらい。その時間から逃れたいと思った自分を、コナーは許せずにいます。

ここでは、コナー自身の苦痛に目を向ける必要があります。彼の願いには、自分がこの不安に耐えられないという気持ちも含まれています。その気持ちを持ったために母が死ぬのではないかと、彼は恐れているのです。

怪物との対話は、心に浮かんだ願いと、実際に起きる出来事を結びつけて自分を責めるコナーを、その思い込みから解き放っていきます。

苦しみが終わってほしいという願いがあっても、母を愛していることは消えません。どちらか一方を嘘にしなくても、自分の気持ちを語ることはできる。3つの物語は、そのための準備になっています。

3つの物語の意味|善悪を割り切れない理由

怪物の寓話には、コナーが期待する分かりやすい教訓がありません。誰かを善人か悪人かに決めようとすると、その見方からこぼれる事情が現れます。

以下では、それぞれの物語がコナーの経験とどう重なるのかを考察します。

1つ目:王子と王妃の物語|一つの行為だけで人間のすべては決まらない

最初の物語では、恋人を殺したのは王子であり、怪物は犯人と思われていた王妃を救います。それでも、王子は後に人々から愛される王になります。Focus Features Guilds 2016

悪事を働いた人物が、その後は人々の役に立つ。悪い魔女と呼ばれる人物が、疑われた殺人については無実である。ひとつの評価では、その人のすべてを説明できません。

もちろん、王子が良い政治を行ったとしても、殺人の責任が消えるわけではありません。この話には、人間の複雑さと、現実が必ずしも公正に決着しない苦さがあります。

コナーは、自分の中に恐ろしい願いを見つけたことで、自分全体を悪い人間だと考えています。最初の寓話は、その判断の仕方を揺さぶるものとして読めます。

同じことは、祖母への見方にも当てはまります。厳しくて、自分の望まないことを言う相手にも、まだ理解していない事情があるのです。

2つ目:薬師と牧師の物語|信じるという言葉の危うさ

2つ目の物語では、薬師を否定していた牧師が、娘たちの病気を前に助けを求めます。薬師に断られた後、怪物が家を壊す相手は牧師でした。Focus Features Guilds 2016

薬師には人付き合いの悪さがあり、牧師には娘を愛する気持ちがあります。それでも怪物は、牧師が掲げてきた信仰と、危機に直面したときの振る舞いの隔たりを問います。

この寓話は、コナーが何を、どのように信じているかという問題につながります。

母の治療がうまくいってほしいと願うことは、彼を支えています。一方で、絶対に治るはずだと考えるほど、別の可能性を口にすることは難しくなります。希望が、恐怖を隠すための言葉にもなっているのです。

物語の中で語られる信じる力と、現実の治療結果は分けて考える必要があります。母の病状は、コナーの信じ方で決まるものではありません。彼に求められるのは、自分がすでに感じ取っている不安にも言葉を与えることだと考えられます。

3つ目:透明な男の物語|見られることと、理解されることの違い

3つ目は、誰にも見てもらえない男の物語です。周囲から存在を無視される男の姿は、学校で居場所を失っているコナーと重なります。

この話の途中で、コナーは同級生への暴力に及びます。周囲は彼を強く意識するようになりますが、それによって望んでいたつながりが生まれるわけではありません。Focus Features Guilds 2016

自分の存在を知らせたいという切実さと、そのために取った行動が、さらに人を遠ざけてしまう結果が重なっています。

コナーには、自分の痛みを誰かに分かってほしい気持ちがあります。しかし、最も苦しんでいる理由を隠したままでは、周囲も彼に近づけません。3つ目の物語を経て、彼はいよいよ自分の真実を語ることになります。

怪物の正体は?コナーが自分の感情を語るための存在

怪物は、イチイの木の姿をした存在です。その役割に注目すると、コナーが隠していた感情を言葉にするのを助ける相手だと整理できます。

怪物は、コナーを安心させる話ばかりはしません。彼が見たくないものを見せ、ときには怒りや破壊の衝動まで引き出します。コナーが抱えているものを、きれいな感情だけに整えずに受け止める存在なのです。

バヨナ監督はMovieMakerのインタビューで、怪物にはコナーの悪夢から生まれながら、その解決にもなるという矛盾があると説明しています。怖い姿と救いをもたらす役割が共存すること自体、寓話の教える人間の複雑さと響き合っています。MovieMaker Magazine

ラストでは、怪物と母の絵のつながりも示されます。怪物はコナーの感情を映すと同時に、母とのつながりを担う存在でもあるのです。

少年の内面を映像にしたものとして捉える読み方にも、母子を訪れる幻想的な存在として捉える読み方にも、映画全体を通して描かれる絵と物語が橋を架けています。

ラストの絵の意味|母にも怪物が見えていたのか?

終盤、コナーは祖母の家で母のスケッチブックを開きます。そこには、怪物や、怪物が語った物語を思わせる絵、そして幼い母と怪物が一緒にいる姿が描かれています。

この発見によって、怪物と過ごした時間が、母の人生ともつながります。

原作・脚本のパトリック・ネスは、母も怪物を見ており、それは父親を失ったときだったのかもしれないとインタビューで語っています。母と怪物のつながりを示す絵に対し、その出会いの時期は、制作者自身も可能性として説明している点に注意したいところです。Sydney Unleashed

ここでコナーは、母にも、自分の知らない子ども時代や悲しみがあったと知ります。自分を守ってくれた母も、かつて誰かに支えられる必要があったのかもしれません。

母が描いた絵は、その経験を息子へ渡すものになります。コナーにとって絵を描くことは、母と共有してきた時間であり、これからも続けられる営みです。

バヨナ監督は、原作にはない映画の最後の場面について、芸術を通じてコナーの過去と未来を結び、希望を示したかったと/Filmのインタビューで説明しています。slashfilm.com

ラストの絵には、怪物の謎を解く手がかりとともに、母から受け取ったものがこれからの人生にも残るという意味があるのでしょう。

祖母との和解が示すもの|同じ人を失う二人

コナーから見ると、祖母は母との暮らしを変えようとする人物です。祖母の家へ移る話をすることさえ、母の死を先に受け入れているように感じられます。

しかし祖母も、娘を失おうとしています。コナーの生活を整えようとする厳しさの中には、悲しみに圧倒されながらも、残される孫を守らなければならない事情があると読めます。

終盤、二人は母を大切に思う気持ちを共有し、歩み寄ります。性格が急に合うようになるわけではありません。それでも、同じ人を愛する相手として、互いを見つめ直すことはできます。

祖母が用意した部屋も、その変化を伝えています。そこには母の絵があり、コナーが母とのつながりを持ったまま暮らせる場所が作られています。Sydney Unleashed

母の不在を二人で埋め尽くすことはできなくても、その不在に一人きりで向き合わなくてよい。そのことが、コナーの未来を支えるのだと思います。

本作が描く救い|抱きしめることと、手放すこと

コナーは最後に、母を失いたくないという思いを伝え、母を抱きしめます。映画は、その抱擁と、別れを受け入れることを重ねて描きます。SS

悪夢の中で手を放す自分を、コナーは母を見捨てる人間だと責めていました。最後の抱擁では、母を愛している自分の気持ちを、実際の行動として伝えています。

どれほど強く抱きしめても、別れそのものを止めることはできません。それでも、怖さを隠さずに母のそばにいる時間を持つことはできたのです。

この結末で、コナーの悲しみがすべて癒えたとはいえません。祖母との暮らしにも、学校生活にも、これから向き合わなければならないことが残っています。

けれど、自分の中に矛盾する感情があるという理由で、自分全体を否定し続ける必要はなくなりました。母と過ごした時間は、絵や記憶、受け継いだ物語の中に残ります。

母を失った後にも続いていく人生を、母から受け取ったものとともに生きる。その道を示す最後のスケッチブックに、この映画の静かな希望が込められています。

同じバヨナ監督が、母子の愛情と喪失を幻想的な物語で描いた作品については、『永遠のこどもたち』の考察記事もあわせてご覧ください。