西川美和監督の映画『夢売るふたり』は、夫婦で結婚詐欺を働くという刺激的な設定を持つ作品です。
しかし、最後まで観てみると、この映画の中心にあるのは「詐欺」そのものではありません。
描かれているのは、
長く一緒に生きてきた夫婦は、本当に相手のことを理解しているのか。
という、もっと厄介な問題です。
妻の里子は、夫・貫也をほかの女性に近づけ、自分たちの店を再建するためのお金を騙し取ります。
ところが、計画が成功するほど里子は苦しみ、逆に貫也は生き生きとしていく。
やがて二人が同じだと思っていた「夢」そのものまで、少しずつ違うものになっていきます。
なぜ里子は夫に結婚詐欺をさせたのでしょうか。
ネズミの場面にはどんな意味があるのでしょうか。
そして、ラストで別々の場所にいる里子と貫也は、もう一度夫婦として生きるのでしょうか。
この記事では『夢売るふたり』について、結末まで含めて考察します。
※以下、映画『夢売るふたり』の重大なネタバレを含みます。
『夢売るふたり』とは
『夢売るふたり』は、2012年9月8日に公開された西川美和監督の映画です。
主演は松たか子と阿部サダヲ。
東京で小料理屋を営む市澤里子と市澤貫也の夫婦は、店の火災によって、それまで築いてきたものを一夜にして失います。
もう一度自分たちの店を持ちたい。
その夢をかなえるため、二人が始めたのが結婚詐欺でした。
里子が女性を見つけ、貫也が相手の心に入り込み、結婚を期待させてお金を出させる。
最初は夫婦共同の「仕事」だったはずの計画ですが、嘘を重ねるうちに二人の関係そのものが崩れていきます。公式の作品紹介でも、本作は結婚詐欺が順調に進む一方、「嘘の繰り返し」が夫婦の間に変化を生んでいく物語として紹介されています。
西川美和監督は、本作について、結婚詐欺そのものよりも「女性たちの生き方」を描くことが重要だったと語っています。
さらに夫婦についても、恋愛感情だけでは説明できない、二人だけの価値観や結びつきを描こうとした作品だったことを明かしています。
その視点から見ると、『夢売るふたり』の奇妙さが少しずつ理解できてきます。
里子はなぜ夫に結婚詐欺をさせたのか
物語の最大の疑問はここでしょう。
普通に考えれば、愛する夫をほかの女性に近づけるなど、妻にとって耐え難い行為です。
それにもかかわらず、結婚詐欺を考え出すのは里子自身です。
もちろん表面的な理由は「店を再建するため」。
しかし、それだけでは里子の行動は説明できません。
結婚詐欺のきっかけになるのは、貫也が店の常連だった玲子と関係を持ち、その結果として金を手にしてしまったことです。
里子にとってこれは裏切りです。
ところが同時に、
「夫は女性から金を引き出せる人間なのだ」
という事実にも気づいてしまいます。
怒りと嫉妬の対象だったはずの出来事を、里子は自分たちの夢を実現するための方法へ変換する。
ここに里子の怖さがあります。
しかし、里子は単純な悪女ではありません。
むしろ、自分が傷ついたことを真正面から夫に訴えることができない人物として描かれています。
そのため彼女は、自分が受けた傷を「仕事」に変えてしまう。
夫がほかの女と関係を持つのなら、それを自分の管理下に置けばいい。
どうせ裏切られる可能性があるのなら、最初から自分が指示してしまえばいい。
結婚詐欺は店を取り戻す計画であると同時に、里子が貫也を再び自分の支配下に置こうとする仕組みでもあったのではないでしょうか。
里子は貫也を愛していたのか
結論から言えば、里子は貫也をかなり深く愛していたと考えられます。
松たか子は撮影前、西川監督と人物像について話した際、里子について「貫也への愛情が冷めていく人物ではない」という趣旨を確認したと語っています。
ここは本作を理解するうえで重要です。
里子が苦しんでいるのは、貫也を嫌いになったからではありません。
好きなままだから苦しいのです。
自分で夫を女性たちのところへ送り込む。
自分で嘘を考える。
自分で「もっと相手の心に入り込め」と指示する。
ところが、それを実行する夫を見るたびに傷つく。
非常に矛盾した行動ですが、西川監督自身、里子について、人はそもそも自分自身の行動原理さえ完全には理解していないのではないかと語っています。里子もまた、自分がなぜこんなことをしているのか説明しきれない人物として作られているのです。
だから里子を「金のために夫を利用した女」とだけ考えると、この映画の核心を取り逃してしまいます。
彼女は夫を利用している。
しかし同時に、夫を失うことを誰よりも恐れている。
この二つが同時に存在するからこそ、里子は恐ろしく、そして人間らしいのです。
なぜ貫也は女性たちを騙すことができたのか
貫也は、いわゆる典型的な結婚詐欺師には見えません。
派手でもなく、誰もが振り返るような美男子でもありません。
しかし、その「普通さ」こそが武器です。
西川監督は阿部サダヲを起用した理由について、「まさかこの人が騙すはずはない」と思わせるような一般的な雰囲気も、詐欺を行ううえでは武器になるという話を聞いたと説明しています。
さらに貫也は料理人です。
食事を作る。
人の話を聞く。
さりげなく世話を焼く。
これらはすべて、孤独を抱えている人にとって非常に強い魅力になります。
貫也が売っているのは「結婚」という契約ではありません。
「この人と一緒なら、今とは違う生活ができるかもしれない」という未来です。
だからこそタイトルが『夢売るふたり』なのでしょう。
騙された女性たちは、本当に「愚か」だったのか
本作の優れたところは、結婚詐欺の被害者を単なる「騙されやすい女性」として処理しないことです。
実家で暮らす女性。
性的な仕事をする女性。
ウエイトリフティングに打ち込む女性。
子どもを育てるシングルマザー。
それぞれ生活も性格も違います。
西川監督は実際に結婚詐欺の被害者などを取材し、被害者が抱えている弱みは決して特殊なものではなかったと振り返っています。
寂しい。
誰かに必要とされたい。
家庭を持ちたい。
人生を変えたい。
自分のことを理解してくれる人がほしい。
こうした願望は、誰にでもあり得るものです。
貫也はそこに入り込みます。
だからこの映画は、被害者を笑う映画ではありません。
むしろ、
「自分なら絶対に騙されない」と思っている観客の側を不安にさせる映画
なのだと思います。
「夢売るふたり」というタイトルの意味
タイトルの「夢」には二重の意味があります。
一つは、貫也が女性たちに見せる夢。
結婚。
家庭。
安心できる未来。
一緒に暮らす生活。
もう一つは、里子と貫也自身の夢です。
二人はもう一度、自分たちの店を持ちたいと願っています。
つまり二人は、
他人の夢を作り、その代金で自分たちの夢を買おうとしている。
ここに、このタイトルの残酷さがあります。
さらに西川監督は「夢を売る」という言葉について、自分自身もかつて映画を夢として追いかけていたものの、それが仕事になったことで、夢とは違う「血の通ったもの」になったという趣旨の話をしています。
そして「夢を売って大人になっている」という感覚にも触れています。
この発言を踏まえると、本作の「夢」は必ずしも美しいものではありません。
夢は、かなうことで現実になります。
現実になった瞬間、夢だった頃の美しさは失われる。
里子と貫也も、店を取り戻すという夢を現実に近づければ近づけるほど、かつて持っていた夫婦の幸福を失っていきます。
ネズミの意味とは
印象的なのが、里子が厨房でネズミを見る場面です。
映画はネズミの意味を言葉では説明しません。
しかし、里子と貫也のしていることを考えれば、かなり象徴的な存在に見えます。
ネズミは、人の生活空間にひそかに入り込み、食べ物を奪って生きています。
これは結婚詐欺をする二人とよく似ています。
里子が相手を選び、貫也がその女性の心の隙間に入り込む。
そして信頼を得たところで、お金を持ち去る。
ネズミを見つめる里子は、
「私たちは人に夢を売っているのではなく、人の人生を食い荒らしているだけなのではないか」
と、自分の姿を突きつけられたようにも見えます。
一方で、ネズミにはもう一つの意味を重ねることもできます。
それは「しぶとく生きる存在」です。
店が焼けても生きる。
夫婦関係が壊れても生きる。
罪を背負っても生きる。
最後の里子にも、このネズミのようなしぶとさがあります。
そのためネズミは、「醜さ」と「生命力」の両方を象徴しているのではないでしょうか。
貫也はなぜ滝子と恵太に惹かれたのか
物語後半、二人の計画を決定的に変えるのが、木下滝子と息子の恵太です。
それまで貫也は基本的に里子の計画に従って女性へ近づいていました。
しかし滝子と恵太の生活に入り込むにつれ、様子が変わっていきます。
そこには「演技」だけでは説明できない居心地の良さが生まれています。
特に重要なのが恵太です。
料理ができる貫也。
子どもの恵太。
母親である滝子。
三人が一緒にいると、まるで一つの家庭のように見えてきます。
貫也はそれまで女性たちに「家庭の夢」を売っていました。
ところがここで初めて、
自分自身がその夢を欲しがり始める。
この逆転が起きます。
里子が恐れたのも、お金を取れないことではありません。
貫也が「仕事」として女性に近づいているうちは、まだ自分の夫です。
しかし貫也が滝子や恵太のいる生活そのものを気に入り始めれば、話は違います。
里子が作った結婚詐欺という仕組みが、ついに里子自身から夫を奪い始めるのです。
包丁を持った里子は、何をしようとしていたのか
貫也が滝子たちの生活へ入り込んでいることを知った里子は、激しい感情に襲われます。
そして包丁を持ち出す。
ここは本作でもっとも危うい場面の一つです。
里子が具体的に誰を傷つけようとしていたのかは、明言されません。
貫也なのか。
滝子なのか。
それとも、自分でも分からなかったのか。
おそらく重要なのは「誰を刺すつもりだったか」を特定することではありません。
里子自身にも、自分の感情を処理できなくなっていたことです。
しかし途中で恵太と出会います。
子どもの存在によって、里子は現実に引き戻される。
結婚詐欺では、相手を「標的」として見ることができます。
しかし目の前の恵太は、標的ではありません。
自分たちの行為とは何の関係もない一人の子どもです。
そこで里子は初めて、自分たちの行動が数字や金額ではなく、他人の生活そのものを巻き込んでいることを実感したのではないでしょうか。
なぜ貫也だけが逮捕されたのか
物語終盤、咲月が探偵の堂島とともに貫也のもとへやって来ます。
そこで騒動が起き、恵太が堂島を刺してしまいます。
ところが貫也は、恵太を守るように罪を引き受けます。
最終的に貫也は刑務所へ入り、厨房で料理をしています。結末では、里子は魚市場で働き、貫也は刑務所で食事を作るという、別々の生活を送る姿が描かれます。
なぜ貫也は罪をかぶったのでしょうか。
ここには、貫也が最後に取り戻した「料理人」としての性質が関係しているように思えます。
貫也は長い間、人を騙してきました。
しかし本来の彼は、人に料理を作り、人を喜ばせる人間でした。
恵太をかばう行為は、正しいとは言い切れません。
それでも少なくともそこでは、金のためでも里子の計画のためでもなく、誰かを守るために自分が損をする選択をしています。
それまで他人を犠牲にして自分の夢をかなえようとしていた男が、最後には自分を犠牲にして子どもの未来を守る。
だからこそ、刑務所にいる貫也は皮肉にも、詐欺をしていた頃より穏やかに見えるのです。
ラストのカモメが意味するもの
ラストでは、刑務所にいる貫也と、魚市場で働く里子が描かれます。
二人は一緒ではありません。
しかし空はつながっています。
そして、その空をカモメが飛んでいます。
鳥は一般的に「自由」を連想させます。
刑務所にいる貫也にとって、空を飛ぶカモメは自分にはない自由の象徴にも見えます。
一方、里子は自由です。
しかし自由になったからといって、幸せそうに夫を忘れているとも断定できません。
本作は二人の気持ちを説明しないまま終わります。
ここが非常に西川美和らしいところです。
監督自身もエンディングについて、二人を単純に幸福にすることはできない一方、里子の強烈な「生きる力」は残したかったと語っています。
そして二人の未来については、観客それぞれの人間観や人間関係観によって解釈が変わるものとして委ねています。
里子と貫也はラストで別れたのか
個人的には、
「夫婦として一度は終わった。しかし、完全に切れたとは断定できない」
というラストだと考えます。
二人が目指していた店はありません。
結婚詐欺によって作ったお金もありません。
同じ場所に暮らしてすらいません。
つまり、二人を結びつけていた「夢」は消えました。
しかし面白いことに、それぞれが最後に戻ったのは「働くこと」です。
里子は市場で働く。
貫也は刑務所で料理をする。
二人とも夢を追いかけているのではなく、目の前の現実の中で体を動かしています。
だからこのラストは、単純な破局というより、
夢によって結びついていた夫婦が、夢を失ったあと、それでも相手を必要とするのかを問うための余白
なのではないでしょうか。
もし再会するなら、今度は「店を持つため」でも「お金のため」でもありません。
それでも一緒にいたいのか。
そこから初めて、二人は本当の意味で夫婦になれるのかもしれません。
逆に、里子が一人で生きていくことを選ぶ解釈も成立します。
映画が答えを決めないのは、そのどちらも人間としてあり得るからでしょう。
『夢売るふたり』が本当に描いているもの
『夢売るふたり』は、結婚詐欺師を描いた犯罪映画のように始まります。
しかし本当に描かれているのは、
「愛しているからといって、相手を理解できるわけではない」
という夫婦の怖さです。
里子は貫也を愛している。
貫也も里子との生活を完全に捨てたいわけではない。
それでも二人は傷つけ合います。
西川監督は、本作の構想について、夫婦には恋愛感情だけではない二人だけのつながりがあり、犯罪という共謀を通してその結びつきを描こうとしたと説明しています。
結婚詐欺は、二人の関係を壊した原因であると同時に、それまで見えなかった夫婦の姿を表面に出す装置だったのでしょう。
一緒に夢を追っているときは、二人の違いは見えません。
しかし、その夢が壊れたとき。
あるいは、かなう直前まで来たとき。
初めて、
「あなたが欲しかったものと、私が欲しかったものは同じだったのか」
という疑問が生まれます。
『夢売るふたり』とは、他人に偽物の夢を売った夫婦が、最後には自分たちが信じていた「夫婦の夢」まで失う物語なのです。
まとめ
『夢売るふたり』では、里子と貫也が店を再建するために結婚詐欺を始めます。
しかし里子が本当に守りたかったのは、店だけではありません。
貫也との生活そのものだったのでしょう。
だからこそ、計画が成功して店に近づけば近づくほど、夫を失っていくという皮肉が起きます。
ネズミは、人の人生に入り込んで奪う二人自身の姿であると同時に、どんな状況でも生き延びる里子の生命力の象徴にも見えます。
そしてラスト。
貫也は刑務所で料理をし、里子は市場で働いています。
夢はなくなった。
店もなくなった。
夫婦も離れ離れになった。
それでも二人は生きています。
西川美和監督が本作で描いたのは、きれいな愛でも、単純な悪でもありません。
愛していても傷つける。
理解しているつもりでも分からない。
離れて初めて相手の存在が見えることもある。
そんな説明しきれない人間同士が、それでも一緒に生きようとする。
『夢売るふたり』というタイトルの「夢」がすべて失われたあとに残るのは、夢ではなく現実です。
そしておそらくこの映画が最後に観客へ問いかけているのは、
「夢がなくなったあとでも、あなたはその人と一緒にいたいですか?」
という問いなのではないでしょうか。

