映画『アス』考察|アデレードとレッドの正体――ラストが示す「私たち」の罪

※この記事には、映画『アス』の結末、アデレードとレッドの正体に関する重大なネタバレが含まれています。

自分とまったく同じ顔をした家族が、家の前に立っている。

彼らは同じ顔、同じ身体、似た家族構成を持ちながら、赤い作業服を着て、大きなハサミを手にしていた。

映画『アス』は、自分たちの分身に襲われる一家を描いたホラー映画である。

しかし、物語の最後まで見ると、単純な「本物対偽物」の構図は崩れていく。

主人公アデレードは、本当に地上で生まれた人間だったのか。

地下から現れたレッドは、なぜほかの分身たちと違って言葉を話せたのか。

そして、人間を襲う怪物として見えていた「テザード」は、本当に悪の存在だったのか。

明らかになるのは、現在アデレードとして生きている女性こそ、地下で生まれた分身だったという真実だ。

少女時代、彼女は地上のアデレードを地下へ引きずり込み、服を奪い、入れ替わった。

つまり地上で幸福な家庭を築いた「アデレード」は、かつて他人の人生を奪った側だった。

一方、怪物として現れたレッドは、人生を奪われ、地下へ閉じ込められた本物のアデレードである。

この反転によって、『アス』の問いは「分身からどう逃げるか」ではなくなる。

私たちが当然のように享受している安全や豊かさは、見えない場所で苦しんでいる誰かの犠牲によって成立しているのではないか。

『アス』とは、自分の中に潜む悪を描いた映画であると同時に、地上と地下、富裕層と貧困層、恩恵を受ける者と犠牲にされる者の関係を描いた社会的な寓話なのである。

映画『アス』の作品概要

『アス』は、『ゲット・アウト』で注目を集めたジョーダン・ピールが脚本・監督・製作を務めた2019年のホラー映画である。

ルピタ・ニョンゴがアデレードとレッドの二役を演じ、ウィンストン・デューク、シャハディ・ライト・ジョセフ、エヴァン・アレックス、エリザベス・モスらが出演している。上映時間は約117分。公式紹介では、休暇を過ごす一家が、自分たちと同じ姿をした不気味な敵と対峙する物語と説明されている。

ピール監督は、本作の出発点としてドッペルゲンガーへの恐怖を挙げている。

自分と同じ顔をした家族が家の外に立っていたら、彼らはどこから来て、何を望んでいるのか。その答えの分からなさ自体が、強烈なホラーになると考えたという。

だが、本作の分身は単なる超自然的な怪物ではない。

監督は『アス』について、個人と社会の双方において「自分たちこそが自分たちの敵になり得る」という発想から作ったと説明している。外から侵入してくる他者を恐れるのではなく、本当の敵が自分と同じ顔をしていることが本作の核心なのだ。

あらすじ|海辺の家に現れた「もう一つの家族」

幼いアデレードは、両親とともにサンタクルーズの遊園地を訪れる。

両親から離れて一人で歩いていた彼女は、海辺にあるミラーハウスへ迷い込む。

鏡に囲まれた暗い空間で、アデレードは自分と同じ姿をした少女と出会った。

その出来事の後、アデレードはしばらく言葉を失い、以前とは違う子どもになったように見えた。

年月がたち、成人したアデレードは、夫ゲイブ、娘ゾーラ、息子ジェイソンとともに、思い出の海辺へ休暇に訪れる。

過去の記憶に不安を感じながらも、家族と穏やかな時間を過ごそうとするアデレード。

ところが夜になると、家の前に四人の人影が現れる。

赤い服を着た彼らは、アデレード一家とまったく同じ顔をしていた。

一家の分身は、自分たちを「テザード」と呼ぶ。

地上の人間と見えない糸で結びつけられ、長い間、地下世界で生活してきた存在だった。

そしてアデレードの分身レッドは、自分たちが地上の人間から自由を奪い返すために来たと語る。

ラストの真相|アデレードとレッドは入れ替わっていた

物語の終盤、アデレードは地下施設へ向かい、レッドと最後の戦いを繰り広げる。

レッドを倒し、息子ジェイソンを救出したアデレードは、家族とともに車で逃げる。

ここまでは、母親が怪物を倒して家族を守った結末に見える。

しかし車を運転するアデレードの脳裏に、少女時代の記憶がよみがえる。

ミラーハウスで起きたのは、単なる分身との遭遇ではなかった。

地下で生まれた少女は、地上から来た本物のアデレードを襲い、気絶させた。

そして少女の服を奪い、自分の手錠を本物のアデレードへかけると、地下へ置き去りにした。

地上へ戻った分身は、その後「アデレード」として成長した。

つまり観客が主人公だと思っていた女性は、もともと地下のテザードだった。

一方、レッドとして地下で暮らしていた人物こそ、地上で生まれた本物のアデレードだったのである。

この真相は、どちらが善で、どちらが悪なのかという判断を困難にする。

現在のアデレードは、家族を愛し、子どもたちを守る母親である。

しかし、その人生はレッドから奪ったものだ。

レッドは地上の人間たちを殺害する革命を始めた。

だが、彼女は何の罪もない少女時代に自由、家族、言葉を奪われた被害者でもある。

『アス』では、善人と怪物が別々に存在するのではない。

一人の人間が、誰かにとっての家族であると同時に、別の誰かにとっての加害者になっているのである。

レッドだけが言葉を話せた理由

テザードの多くは、うなり声や意味を持たない叫び声しか発しない。

ところがレッドだけは、苦しそうな声ではあるものの、地上の言葉を使って自分たちの歴史を説明できる。

その理由は、彼女が地下生まれの分身ではなく、地上で生まれた人間だったからだ。

幼いアデレードは、地下へ閉じ込められるまで普通に言葉を話していた。

しかし分身に首を絞められ、長年にわたって言葉を持たない集団の中で暮らした結果、声は大きく変化した。

一方、地上へ出た分身のアデレードは、最初は話すことができなかった。

両親は彼女がミラーハウスで受けた精神的なショックによって言葉を失ったと考える。

だが実際には、地上の言葉を知らなかったのである。

彼女はダンスや家族との生活を通じて、少しずつ地上の人間として振る舞う方法を身につけていった。

この対比は、人格が生まれつき決まっているわけではないことを示している。

地上で愛情と教育を与えられたテザードは、社会生活を送り、家族を愛する人間になる。

地下へ落とされた地上の少女は、怒りと復讐に支配されたレッドになる。

二人を分けたのは、本質的な善悪ではない。

どちらの環境で成長したかという違いだったのである。

アデレードは悪人だったのか

少女時代のアデレードが行ったことは、明確な暴力である。

彼女は地上の少女を襲い、その人生を奪った。

自分だけが地下から逃げ出し、相手を暗闇へ閉じ込めた。

しかし、彼女を単純な悪人として断罪することもできない。

地下で生まれたアデレードは、それまで自由を与えられていなかった。

地上の少女が食事をすれば、地下ではウサギの生肉を食べる。

地上で人々が遊園地を楽しめば、地下では意味も分からないまま、その動きをまねる。

自分の意思で歩く場所も、愛する相手も、生活も選べない。

幼いアデレードは、目の前に初めて地上へ出る機会が現れたとき、それを奪い取った。

彼女の行為は正当化できない。

同時に、生まれた瞬間から自由を奪われていた子どもが、生存のために選んだ行動でもある。

現在のアデレードが恐れていたのは、レッドに殺されることだけではない。

自分が築いた家庭や人生が、本来は自分のものではなかったと暴かれることだった。

彼女が家族を守る行為には、母性愛と自己保身が混ざっている。

家族を失いたくない。

地下へ戻りたくない。

そして、自分の罪を知る唯一の人物を消したい。

アデレードの複雑さは、善良な母親と過去の加害者が同じ人物の中で共存している点にある。

レッドはなぜ長い時間をかけて復讐を準備したのか

地下へ閉じ込められたレッドは、すぐに地上へ戻ることができなかった。

テザードたちは地上の人間の動きを強制的にまねる存在であり、自らの意思で地下世界から離れる発想さえ持っていなかったからだ。

しかしレッドは地上で生まれた人間である。

過去の記憶があり、地上の生活を知っている。

自分たちが不当に閉じ込められているという意識を持つことができた。

やがて彼女は、ほかのテザードへ地上の存在を教え、革命を準備する。

その象徴として選んだのが、赤い服、ハサミ、そして人間の鎖だった。

レッドの目的は、アデレードだけを殺すことではない。

地下に置き去りにされた存在がいることを、地上の社会全体へ見せつけることである。

彼女たちは地上の人間を殺した後、手をつなぎ、アメリカ大陸を横断する巨大な列を作る。

それは「私たちはここにいる」という宣言だ。

ただし、レッドの革命は自由と平等を生み出さない。

地上の人間と場所を交換しようとするだけであり、同じ暴力を反対方向へ繰り返している。

自分が受けた苦しみを、別の誰かへ与える。

抑圧された者が、抑圧する側を消せば正義になるのか。

映画は、レッドの怒りに理由を与えながら、その方法を無条件には肯定していない。

テザードとは何者なのか

レッドの説明によれば、テザードは地上の人間を複製するために作られた存在である。

かつて何者かが、人間の身体だけでなく魂まで複製し、人々を制御しようとした。

しかし実験は失敗し、テザードたちは地下施設へ放置された。

彼らは地上の人間と魂で結びつけられており、地上で行われる行動を不完全な形で再現し続ける。

この設定を科学的に完全に説明しようとすると、多くの疑問が生まれる。

地下施設は誰が作ったのか。

何億人ものテザードはどのように生活しているのか。

地上の人間が移動したとき、地下の分身はどのように対応するのか。

食料のウサギはどこから供給されるのか。

しかしテザードは、現実的なクローン技術として理解するより、社会の「影」を具体化した存在として見るほうが作品の意図に近い。

ピール監督は、アメリカで享受されている特権が、過去や現在に苦しんできた人々の犠牲の上に築かれているという趣旨を語っている。テザードは、豊かな社会が見ないことにしてきた犠牲や罪悪感を体現する存在なのである。

地上と地下の人間は、切り離された別の民族ではない。

魂で結びついている。

一方が快適な暮らしを得るとき、もう一方は暗闇の中でその動きをまねる。

だからテザードの問題は、遠くにいる「かわいそうな誰か」の問題ではない。

地上の生活と直接つながった「私たち自身」の問題なのである。

なぜ地上の人々はテザードの存在を知らなかったのか

地下の人々は長い間、地上から忘れられていた。

秘密を知る政府や研究者がいなくなった後も、施設だけが残り、テザードは機械的に生活を続ける。

地上にいる人々は、自分たちの幸福が地下の苦しみとつながっていることに気づかない。

ここに、本作の社会批評がある。

豊かな側にいる人々は、必ずしも意図的に誰かを苦しめているわけではない。

アデレードの夫ゲイブも、子どもたちも、地下世界の存在を知らない。

彼らは普通に休暇を過ごし、車や船を所有し、友人家族と遊んでいる。

しかし「知らなかった」ことは、地下の苦しみを消さない。

自分が直接暴力を振るっていなくても、誰かが犠牲になる構造から利益を得ている可能性がある。

テザードが恐ろしいのは、地上の家族を殺そうとするからだけではない。

地上の人々が忘れていた責任を、同じ顔で突きつけてくるからだ。

自分の生活は、自分の努力だけで得たものなのか。

自分が持っている機会を、持てなかった誰かはいないのか。

分身の顔は、地上の人間が「自分とは無関係」と言い逃れることを許さない。

ハサミが象徴するもの

テザードは、全員が大きな金色のハサミを持っている。

ハサミは二枚の刃が中央で結びつき、同じ動きをしながら、一つのものを切断する道具だ。

この形は、地上の人間とテザードの関係に似ている。

二人は同じ顔と魂を持ち、見えない一点でつながっている。

片方が動けば、もう片方も動く。

それでも二人は、同じ人生を生きることはできない。

ハサミは、結びつけられた関係を切るための武器である。

テザードたちは地上の分身を殺すことで、強制的なつながりから自由になろうとする。

一方でハサミは、二つの刃がなければ機能しない。

地上の人間だけでも、地下の人間だけでも、現在の社会は成立しないことを暗示している。

相手を切り捨てれば自由になれるように見えて、実際には自分の一部まで失う。

アデレードがレッドを殺した後も、不安から完全に解放されないのはそのためだ。

彼女は敵を倒したのではない。

自分の過去と、自分が奪った人生を知る存在を切り捨てたのである。

赤い作業服が意味するもの

テザードたちは全員、赤い作業服を身につけている。

赤は血、怒り、革命、警告を連想させる色だ。

地上の人々がそれぞれ異なる服を着て、自分らしい個性を表現しているのに対し、地下の人々は同じ制服を着ている。

彼らには職業、社会的地位、趣味といった個別のアイデンティティーが与えられていない。

地上の人物の「分身」という役割だけを持つ集団である。

赤い服を身につけることで、テザードは初めて共通の目的を持つ。

それまで彼らは、地上の人間の動きをばらばらにまねていた。

レッドの計画によって同じ服を着て同時に地上へ出ると、一つの社会運動のような集団へ変わる。

しかし、制服による統一には危険もある。

テザード一人ひとりの異なる人生や苦しみは、「革命を行う地下の集団」という一つのイメージにまとめられてしまう。

社会から個人として扱われなかった彼らが、反乱後も個人になることなく、同じ服を着た集団であり続ける。

レッドの革命は彼らへ可視性を与えた。

だが、一人ひとりが自由に生きる未来までは与えていないのである。

ウサギが大量に登場する理由

地下施設には、無数の白いウサギが飼育されている。

テザードたちは長年、ウサギを食料として生きてきた。

ウサギは繁殖力が高く、実験動物としても連想されやすい存在である。

そのため地下のウサギは、人間を大量に複製しようとした計画の痕跡を象徴していると考えられる。

白い毛と赤い目を持つウサギは、純粋でかわいらしい一方、不自然な数で並ぶと不気味に見える。

この二面性はテザードにも共通する。

彼らは地上の人々を襲う怪物に見える。

しかし、もともとは実験によって作られ、放置された被害者だ。

また、ウサギは『不思議の国のアリス』のように、地上から地下世界へ人を導く存在も連想させる。

アデレードが入る地下施設も、現実社会の下に隠された異世界だ。

ただし、そこにあるのは幻想的な冒険ではない。

地上の生活を支えるため、存在しないことにされてきた者たちの世界である。

「11:11」が繰り返される意味

作中では、時計の時刻や男の持つ看板として「11:11」という数字が繰り返し登場する。

同じ数字が左右に並ぶ形は、鏡像や分身を視覚的に表している。

一つの「11」と、もう一つの「11」。

同じに見えて、別の場所に存在する。

また、「11:11」は旧約聖書のエレミヤ書11章11節を示していると解釈されている。

そこでは、人々に災いが訪れ、助けを求めても応答されないという内容が語られる。

この警告は、テザードの状況と重なる。

地下の人々は長い間、存在を知られることも、助けられることもなかった。

彼らの声は地上へ届かない。

そして地上の人々が危機に陥ったとき、今度はテザードが救いを与えない。

ただし、「11:11」を単なる終末の予言として見る必要はない。

左右対称の数字は、相手が自分の鏡像であることを思い出させる。

災いをもたらす者は、外部から来た未知の敵ではない。

自分たちが見捨ててきた、もう一つの「私たち」なのである。

ハンズ・アクロス・アメリカとは何だったのか

映画冒頭のテレビには、「ハンズ・アクロス・アメリカ」の広告が映っている。

これは1986年に実施された実在のチャリティー企画で、多くの人々が手をつなぎ、アメリカを横断する人間の鎖を作ろうとしたものだ。

ピール監督は、幼少期に見たこの広告の、希望や国家的な団結を訴える明るいイメージに、説明しにくい恐怖を感じたと語っている。

表面的には、人々が立場を越えて手をつなぐ美しい運動である。

しかし、一日だけ手をつないでも、貧困や飢餓の構造が根本から変わるわけではない。

参加した人々は団結している気分を味わい、その後は元の生活へ戻る。

映画のラストでテザードが作る人間の鎖は、この運動を不気味に再現している。

地下で苦しんできた人々自身が、地上へ出て手をつなぐ。

地上の社会が一時的な善意として演じた連帯を、犠牲にされてきた側が現実の形にするのである。

ただし、テザードの鎖も社会を改善する具体的な方法ではない。

彼らは手をつないで存在を示すが、その後どのような生活を築くかは示されない。

ハンズ・アクロス・アメリカの空虚な理想を批判しながら、レッドの革命にも同じ空虚さが残っている。

象徴的な行動だけでは、長年続いた不平等を解決できないのである。

なぜレッドは「私たちはアメリカ人」と答えたのか

アデレードが、あなたたちは何者なのかと尋ねたとき、レッドは「私たちはアメリカ人」と答える。

この台詞によって、テザードは外国から来た侵略者でも、異次元の怪物でもないと示される。

彼らもまた、この国によって作られ、この国の内部で生きてきた存在である。

地上の人々は、自分たちを普通のアメリカ人だと思っている。

安全な家に住み、休暇へ出かけ、消費を楽しむ。

一方、地下のテザードも同じ国家に属しているにもかかわらず、市民として扱われず、存在すら認識されない。

ピール監督は、本作が特定の人種だけではなく、アメリカという国家や人間社会全体についての映画だと説明している。

レッドの言葉は、国家の理想と現実の矛盾を暴く。

自由や平等を掲げる国の下には、その恩恵から排除された者たちがいる。

地上の人々だけがアメリカなのではない。

地下へ押し込められた人々も含めて「アメリカ」であり、彼らを切り捨てることは国家自身の一部を切り捨てることになる。

タイトル『アス』が持つ二つの意味

原題の「Us」は、「私たち」を意味する。

同時に「U.S.」、つまりUnited States=アメリカ合衆国を連想させる。

一つ目の意味は、ウィルソン一家とその分身たちを指している。

地上の家族だけではなく、地下の分身も合わせて「私たち」である。

怪物を「彼ら」と呼び、自分たちとは異なる存在として扱うことはできない。

彼らは自分と同じ顔を持ち、自分の生活と魂でつながっている。

二つ目の意味では、地上と地下の二層構造が、アメリカ社会そのものを表している。

自由と繁栄を享受する者。

その繁栄のために犠牲となり、見えない場所へ追いやられる者。

どちらも同じ社会の一部である。

タイトルが「Them=彼ら」ではなく「Us=私たち」であることが重要だ。

この映画は、恐ろしい敵について語っているのではない。

自分が恐ろしい敵になる可能性について語っている。

監督自身も、外部の侵入者を恐れる風潮に対し、本当の敵は自分たちと同じ顔をしているという発想を本作へ込めたと説明している。

ジェイソンはアデレードの正体に気づいたのか

映画の最後、車を運転するアデレードは、少女時代に起きた入れ替わりを思い出す。

後部座席のジェイソンは、母親をじっと見つめる。

そして不安そうな表情を浮かべながら、怪物遊びで使っていた仮面を自分の顔へ下ろす。

この行動から、ジェイソンは母親の正体に気づいたと解釈できる。

彼は地下で、アデレードがレッドを殺した直後の姿を見ている。

アデレードは普段とは異なる、テザードのような声を出し、異様な笑顔を浮かべていた。

ジェイソンはそれ以前から、母親の行動へ敏感だった。

彼自身の分身プルートを、暴力ではなく動きの模倣によって火の中へ追い込むなど、テザードとの関係を直感的に理解している。

ただし、ジェイソンが入れ替わりの全容を知ったとは考えにくい。

彼が理解したのは、母親が自分の知らない何かを隠しており、完全に無垢な人物ではないということだろう。

仮面を下ろす行為には、母親の秘密を見ないことにする意味も感じられる。

真実を知ろうとせず、母親を母親として受け入れる。

それは愛情であると同時に、社会が不都合な事実を再び見えない場所へ押し込める行動にも見える。

ジェイソンもテザードだったという説は正しいのか

『アス』には、ジェイソンと分身プルートが過去に入れ替わっていたという説もある。

ジェイソンが言葉をうまく使えないこと。

プルートを操るように動けること。

ジェイソンが母親の秘密へ気づいたように見えることなどが根拠として挙げられる。

しかし、映画の中には二人が入れ替わったことを示す決定的な証拠はない。

ジェイソンとプルートの結びつきが強いのは事実だが、それはテザードと地上の人間が本来持っている関係の範囲でも説明できる。

むしろジェイソンが重要なのは、母親と似た経験を繰り返す人物だからだ。

アデレードは分身とのつながりを利用し、レッドの人生を奪った。

ジェイソンは分身とのつながりを理解し、その動きを利用してプルートを死へ追いやる。

母親が行ったことが、無意識のうちに子どもへ受け継がれている。

ジェイソンがテザードかどうかより、地上の人間として育った彼も、自分の分身を犠牲にして生き延びたという事実のほうが重要である。

プルートの顔が焼けている理由

ジェイソンの分身プルートは、顔の下半分に火傷の跡を持ち、獣のように動く。

ジェイソンは手品を好み、ライターを使って指先から火を出そうとしている。

地下のプルートも、地上のジェイソンの行動を不完全にまねていた。

地上では安全な手品として行われる動作が、地下では本物の火傷につながったと考えられる。

この関係は、地上の何気ない行動が、地下では深刻な苦痛になることを示している。

地上のジェイソンに、プルートを傷つける意図はない。

彼はプルートの存在すら知らなかった。

それでも、見えない結びつきを通じて相手を傷つけている。

社会に置き換えれば、消費する側が意識していなくても、その便利な生活を支える生産者や労働者が危険な環境へ置かれている可能性がある。

悪意がなくても、犠牲は生まれる。

知らなかったとしても、自分の行動と相手の苦しみが無関係になるわけではないのである。

アデレードとレッドのダンスが意味するもの

少女時代、地上のアデレードはバレエを習っていた。

地下のレッドも、その動きを強制的にまねる。

しかし、二人のダンスは同じにはならない。

地上の少女は広い教室で音楽に合わせ、美しい動きとして踊る。

地下の少女は狭い通路で壁にぶつかりながら、理解できない動きを繰り返す。

地上では芸術であるものが、地下では苦痛になる。

それでもレッドは、ダンスによってテザードたちから特別な存在として認識される。

地上のアデレードの踊りが、地下のレッドへ自我を与え、反乱を導くきっかけになったのである。

終盤の戦いも、単なる格闘ではなくダンスのように演出される。

レッドは美しく滑らかに動き、アデレードは荒々しく攻撃する。

地上で育ったはずのアデレードが獣のようになり、地下で苦しんだレッドが優雅に踊る。

ここでも「本物はどちらか」という境界が崩れる。

踊りは二人を結びつけた。

同時に、一人だけが地上の人生を得た不平等を、最後まで可視化するものでもあった。

アデレードはなぜレッドを殺した後に笑ったのか

アデレードは、レッドを暖炉用の棒で突き刺し、首を絞めて殺す。

その直後、彼女は普段の声とは異なるうなり声を出し、不気味な笑顔を浮かべる。

この瞬間、主人公と怪物の立場が完全に反転する。

レッドは死の直前まで、舞台のバレリーナのような姿勢を保つ。

一方のアデレードは、テザードのような声を出し、相手を激しく殺す。

地上で人間として育った者が人間らしく、地下で生まれた者が怪物らしくなるとは限らない。

環境と選択によって、両者の性質は何度でも入れ替わる。

アデレードの笑顔には、息子を救った安堵もあるだろう。

同時に、自分の秘密を知る唯一の人物を消した安心感もある。

彼女はレッドを殺すことで、少女時代に始めた入れ替わりを完成させた。

レッドが生きている限り、アデレードの人生は偽物である。

レッドが死ねば、自分が地上のアデレードであるという物語を守り続けられる。

アデレードが本当に守ろうとしたのは、家族だけではない。

地上で手に入れた自分自身の立場だったのである。

ラストでテザードは勝利したのか

アデレード一家は生き残る。

しかし、アメリカ全土ではテザードが地上へ現れ、多くの人々が殺されている。

山の向こうまで続く人間の鎖を見れば、レッドの計画は成功したように見える。

長い間存在しないことにされてきたテザードは、ついに地上から見える存在になった。

だが、彼らが本当に自由を得たかは分からない。

地上の分身を殺した後、テザードは手をつないで立っている。

自分の住む場所を選ぶことも、食事を探すことも、新しい社会を作ることもしていない。

レッドから与えられた象徴的な役割を演じ続けている。

つまり彼らは地上へ出ても、誰かの動きをまねる存在から完全には抜け出せていない。

以前は地上の分身の行動に従っていた。

今度はレッドの計画に従っている。

革命によって支配者が消えても、個人の自由が自動的に生まれるわけではない。

テザードの鎖は存在の宣言であると同時に、彼らが今も別の形でつながれていることを示している。

テザードの設定に矛盾が多い理由

『アス』を現実的なSF映画として考えると、テザードの生活には多くの矛盾がある。

地上の人間と同じ数の地下住民が、ウサギだけで生存できるのか。

結婚や出産はどのように地上と対応しているのか。

自動車や飛行機で移動する人間の分身は、地下で何をしているのか。

レッドの説明だけでは、世界の仕組みを完全には理解できない。

この曖昧さを、脚本上の弱点と感じるのは自然だ。

終盤で地下世界の説明が増えたことで、かえって疑問が大きくなった面もある。

ただし、ピール監督は本作を、細部まで科学的に整合するクローン社会のシミュレーションとして作ったわけではない。

ドッペルゲンガーというホラーの仕掛けを使い、自分の影、社会の犠牲、国家の罪悪感を一つのイメージへ重ねている。

テザードは「実際にこのような社会が存在できる」という設定ではない。

「地上の幸福には、同じ形をした地下の苦しみがある」という比喩だ。

論理的な説明を求めすぎると弱く見える。

悪夢として受け取れば、説明されない部分そのものが不安を生む。

本作は、すべての問いへ答えるより、観客が映画館を出た後も考え続ける余白を重視した作品なのである。ピール監督も、ドッペルゲンガーという古典的な題材には、まだ探究されていない余地があると語っている。

映画としての弱点|社会的な比喩が人物を上回っていないか

『アス』の魅力は、家庭侵入ホラーから国家全体の寓話へ展開していく大胆さにある。

一方で、物語が大きくなるほど、個々のテザードの人生は見えにくくなる。

レッドには過去と目的がある。

しかし、アブラハム、アンブラ、プルートといったほかの分身が何を感じ、何を望んでいるのかはほとんど描かれない。

彼らは地上の家族に対応する象徴として扱われ、個人の人格を十分に与えられていない。

これは「抑圧された人々を描く映画が、抑圧された側を集団としてしか描けていない」という矛盾にもつながる。

また、地下の人々が反乱を起こすと大量殺人者として現れるため、不平等へ怒る者が恐ろしい暴徒になるというイメージにも読める。

しかし本作は、レッドを単なる悪役にはしていない。

彼女の苦しみを先に理解すれば、最後に勝利したアデレードの側へも不安を感じる。

観客は、地上の主人公一家が生き残ることを願いながら、彼らの生存が別の家族の死によって成立していることを見せられる。

その居心地の悪さこそが、本作の狙いだろう。

『アス』が現代社会に突きつけるもの

多くの社会問題は、被害を受けていない側からは見えにくい。

安全な地域に住む者には、危険な地域の生活が見えない。

安価な商品を購入する者には、その商品を作る労働環境が見えない。

十分な教育を受けられる者には、その機会を与えられなかった人の人生が見えない。

地上の人々も、自分たちの真下に同じ顔をした人間がいるとは知らない。

しかし知らなかったことによって、つながりが消えるわけではない。

ピール監督は、社会が外部の侵入者や異質な他者を恐れる一方、自分たちが問題を作っている可能性を見ようとしない状況を、本作の重要な発想として語っている。

テザードを倒せば問題が終わるわけではない。

彼らを生み、地下へ放置した仕組みが残る限り、別の「地下」が作られる。

『アス』が求めているのは、罪悪感だけではない。

自分が地上にいられる理由を考えることだ。

努力したから。

正しい人間だから。

運がよかったから。

それだけでは説明できない構造が、自分の生活を支えていないか。

自分と同じ顔をしたテザードは、その問いを逃れられない形で突きつける。

ラストはハッピーエンドなのか

アデレードはジェイソンを救い、夫と娘とも再会する。

家族は車に乗り、危険な場所から逃げ出す。

家族映画として見れば、彼女は役割を果たした。

愛する者を守り、敵を倒した母親である。

しかし、観客は彼女の正体を知ってしまった。

アデレードの幸福は、レッドから奪った人生の上に築かれている。

夫ゲイブも、子どもたちも、本来のアデレードとの間に生まれた家族ではない。

現在のアデレードが築いた愛情は本物だとしても、その出発点には暴力がある。

さらにアメリカ全土では、テザードの鎖が続いている。

一家だけが助かっても、社会全体の問題は解決していない。

むしろアデレードがレッドを殺したことで、地下の人々が何を望み、今後どう生きるべきかを語れる人物はいなくなった。

ラストは幸福と呼ぶことも、完全な絶望と呼ぶこともできない。

一つの家族は生き残った。

しかし、彼らが生き残る世界の不平等は、以前よりはっきり見える形になった。

まとめ|本当に恐ろしい「私たち」とは

『アス』のテザードは、暗闇から現れる怪物である。

同じ顔を持ち、ハサミで襲いかかり、地上の人間を殺害する。

しかし物語の最後に、本当の恐怖は彼らの外見や暴力だけではなかったと分かる。

テザードは、地上の人々が見ないことにしてきた存在だ。

自由を享受する人間の下で、自由を持たずに生きてきた。

地上の幸福を不完全にまねながら、存在しないものとして扱われてきた。

主人公アデレードもまた、その一人だった。

彼女は地上へ出るため、本物のアデレードを地下へ落とした。

被害者だった少女は加害者となり、奪った環境の中で愛情深い母親へ成長する。

地上で生まれた少女は地下の被害者となり、やがて大量殺人を計画するレッドになる。

善人と悪人。

人間と怪物。

本物と偽物。

その境界は、環境と立場によって簡単に入れ替わる。

タイトルの「Us」が示しているのは、地上の人々だけではない。

地下で苦しむ者も、自由を奪う者も、奪われた者も含めた「私たち」だ。

誰かを怪物として切り離した瞬間、その人物がなぜ怪物になったのかを考えなくて済む。

しかし、相手が自分と同じ顔をしていたら、無関係だとは言えない。

『アス』のラストでアデレードは生き残る。

だが彼女の表情から、恐怖は消えていない。

レッドを殺しても、自分が地下から来たという事実は消えない。

地上と地下を隔てていた扉は開き、隠されていた人々はすでに社会の前へ現れている。

本作が描いた最も恐ろしい怪物とは、地下から来た分身ではない。

自分の幸福が誰かの苦しみとつながっている可能性を知りながら、再び仮面を下ろし、見なかったことにしようとする「私たち」自身なのである。