映画『シザーハンズ』ネタバレ考察|キムはなぜ会いに行かない?雪とラストの意味を解説

※この記事には、映画『シザーハンズ』(1990年製作・1991年日本公開)の結末を含む重大なネタバレがあります。作中の出来事と制作陣の発言を踏まえ、人物の心理や象徴の意味については本記事の解釈として考察します。

大切な人が、すぐ近くの城にいる。それでも、もう会いには行かない。

『シザーハンズ』のラストが切ないのは、二人が互いの気持ちを確かめたあとに、別々の人生を歩んでいくからです。

なぜキムは、エドワードを訪ねなかったのでしょうか。町に降り続く雪は、何を意味しているのでしょうか。

その答えを考える鍵は、キムが守ろうとした「記憶」と、エドワードが作り続ける「雪」の関係にあります。

『シザーハンズ』の作品情報とあらすじ

項目内容
原題Edward Scissorhands
製作年・国1990年・アメリカ
日本公開日1991年7月13日
監督ティム・バートン
脚本キャロライン・トンプソン
音楽ダニー・エルフマン
主な出演ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダー、ダイアン・ウィースト、ヴィンセント・プライス
上映時間105分

作品情報は、20世紀スタジオ公式サイトと映画.comを参照しています。www.20thcenturystudios.jp

丘の上の屋敷に暮らすエドワードは、発明家に作られた人造人間です。しかし、発明家が完成前に亡くなり、両手はハサミのまま残されていました。

化粧品の訪問販売をしているペグは、孤独な彼を自宅へ迎えます。エドワードは初めて町の暮らしに触れ、ペグの娘キムに恋をします。

人々は彼の珍しい姿と優れた技術に夢中になりますが、やがて、その歓迎は疑いと恐怖に変わっていきます。

結末を解説|エドワードは死んでいない

結末で命を落とすのは、キムの恋人だったジムです。

城でエドワードを襲ったジムは、争いの末にエドワードに刺され、窓から転落します。その後、エドワードとキムは別れ、キムは愛情を伝えて城を去ります。

集まった町の人々に対して、キムはエドワードも死んだと説明します。証拠のように掲げるのは、城に残されていた別のハサミの手です。エドワード本人の手を切り落としたわけではありません。

この嘘によって、人々が彼を追い続ける理由は失われます。catalog.afi.com

そして、冒頭で孫娘に物語を語っていた老婦人が、年を重ねたキムだったと分かります。彼女は、あの夜以来エドワードに会っていません。

一方、ラストの映像には、城で氷の彫刻を作るエドワードの姿が映し出されます。

ここでは、キムが確かめた事実と、映画が観客に見せる映像を分けることが大切です。キム自身は、彼の現在を直接知っているわけではありません。雪が降ることを根拠に、今も生きていると信じているのです。catalog.afi.com

キムはなぜエドワードに会いに行かないのか

若い頃の自分を覚えていてほしいという願い

年老いたキムは、孫娘に再会を勧められても、訪ねようとはしません。彼女が語るのは、エドワードには昔の自分を覚えていてほしいという気持ちです。imsdb.com

したがって、会わない理由を、愛情がなくなったからだと受け取る必要はないでしょう。

キムは現実の時間の中で年を重ねました。しかし、エドワードとの思い出には、雪の下で踊った若い自分がいます。

彼女はその姿を、彼の記憶の中に残しておきたいのだと考えられます。

ただ、その願いには寂しさもあります。再会すれば、変わってしまった自分を見せなければならない。二人が過ごした短い時間を、そのまま大切にしておく方を選んだとも読めるからです。

映画は、この選択だけが正しかったと保証してはいません。会いに行くこともできたのではないかという問いは、孫娘の言葉を通して残されています。

彼を守るための別れが、その後も続いている

あの夜に限れば、別れには切迫した理由がありました。

町の人々はエドワードを追って城へ来ています。キムが彼の生存を隠すことは、再び危険にさらされるのを防ぐ行動でした。

そのため、二人の別れには、相手を守ろうとする気持ちが含まれています。

ただし、キムが長年訪ねなかった理由のすべてを、町の危険だけで説明することはできません。映画が本人の言葉として示すのは、あくまで昔の自分を覚えていてほしいという願いです。

彼を守るために始まった距離が、やがて二人の思い出を守る距離にもなった。そう考えると、再会しないラストには、愛情とためらいが重なって見えてきます。

雪と氷の彫刻は何を意味するのか

触れられない手から、喜びが届く

エドワードが氷を削り、その削りくずが舞い落ちる中で、キムが踊る場面があります。

この場面では、日常生活で彼を困らせてきたハサミの手が、キムを喜ばせる美しい景色を生み出しています。

手を伸ばして抱き寄せることには恐れがある。それでも、彼女のいる場所に、何かを届けることはできる。

雪は、エドワードの感情が、彼自身の身体から離れて相手に届く形として読めます。

言葉で十分に伝えられない思いや、直接触れることへの不安が、彫刻と雪によって、喜びを共有できる時間へと変わっているのです。

雪は、キムにとって過去と現在をつなぐもの

若いキムが雪の中で踊った記憶は、老いたキムの語る物語につながっています。

彼女はエドワードに会っていません。それでも、雪が降るたびに、彼と過ごした時間を思い出すことができます。

その意味で雪は、遠い過去の出来事が、現在の生活に触れるきっかけです。

エドワードが城で作るものは、彼女のいる町へ降りてくる。キムはその雪を受け取り、孫娘に彼の物語を語る。

二人は言葉を交わしていなくても、作品と記憶を通してつながっていると解釈できます。

ただし、雪の美しさによって、エドワードの孤独が消えたわけではありません。彼が町の一員として暮らせなかったという痛みも、ラストには残っています。

町の人々は、なぜエドワードを排除したのか

才能を歓迎することと、その人を受け入れること

町の人々は、エドワードが庭木や髪を見事に整えると、彼をもてはやします。

ところが、ジムが企てた盗みに巻き込まれ、さらにキムの弟ケヴィンを助けようとして、その顔を誤って傷つけてしまうと、彼を見る目は変わっていきます。catalog.afi.com

観客には、彼が何をしようとしていたのかが見えています。しかし周囲には、事件や傷の背景が十分に伝わらず、ハサミの手への恐怖が膨らんでいきます。

評判が先に広がる一方で、彼の不安や困りごとを理解する関係は、十分に育っていませんでした。

脚本を手がけたキャロライン・トンプソンは、誰でも、自分がその場に属していないと感じるエドワードのような瞬間があると語っています。彼の孤立は、特殊な姿の人物だけに起こる問題として描かれているわけではありません。Dazed

本記事では、町の歓迎を「自分たちを楽しませてくれる間は受け入れる」という条件のあるものとして捉えます。

才能への称賛が先に立つと、その人が失敗したときや、期待に応えなかったときに、関係を支えるものが残りにくい。

エドワードを理解する前に評判が広がった町では、悪い噂も同じ速さで広がってしまいます。

明るい住宅街と暗い城が見せるもの

町には、パステルカラーの似通った家が並んでいます。丘の上の城と、黒い服を着たエドワードは、その風景から大きくはみ出しています。

美術に関わったトム・ダフィールドは、取材で、家々を一般的な住宅に見せるために細部を整理し、色彩を調整した制作過程を説明しています。The Ringer

この映像の対照からは、見た目の親しみやすさと、そこで安心して暮らせることが、必ずしも一致しないと読み取れます。

明るい町でも、周囲と違う人は居場所を失う。暗い城にも、エドワードが作った美しいものがある。

町と城の両方を見せることで、映画は、外見だけで安全や善悪を判断する観客の感覚も揺さぶっています。

ハサミの手が示す、愛情と傷つけてしまう恐れ

ハサミは、エドワードの優れた創造力を支える一方で、人と触れ合うことを難しくしています。

その手には、近づきたいのに、相手を傷つけるかもしれないという恐れが形になっています。

キムに抱きしめてほしいと求められた場面でも、彼は自分から腕を回せません。そこでキムが彼に身を寄せる姿からは、相手の難しさを知ったうえで近づこうとする愛情が伝わってきます。

バートン監督は『Esquire』のインタビューで、『シザーハンズ』について、多くの感情があっても、それを外へ表せないことを扱った作品だと説明しています。Interview with Sweeney Todd Director

この説明を踏まえると、エドワードの手は、会話や人付き合いに不器用な人の感覚にも重なります。

優しくしたかったのに、うまく伝わらなかった。大切だから近づいたのに、かえって相手を困らせた。そうした経験が、ハサミという目に見える形で示されているのでしょう。

一方で、本作を、彼の身体さえ変わればすべて解決する物語として読むことにも慎重でありたいところです。

彼自身が触れ合いやすい手を望むことと、周囲が今の彼を尊重することは、両立できます。

彼に必要だったのは、助けを求めてもよく、失敗しても関係がすべて壊れるわけではないと感じられる場所だったのではないでしょうか。

ペグやキムの愛情は、その可能性を示します。しかし、町全体が彼を支えるところまではたどり着きませんでした。

ラストの意味|再会しない二人の間に残ったもの

『シザーハンズ』の結末には、恋が実った喜びと、ともに暮らせなかった悲しみが重なっています。

キムは、彼の生存を隠して守りました。そして年を重ねても、エドワードを恐ろしい存在として語ってはいません。

町が彼を遠ざけたあとにも、キムは彼が何を作り、どのように自分の心を動かしたのかを覚えています。

孫娘に物語を語ることは、その記憶を次の世代へ渡す行為でもあります。

ここで、雪にはもう一つの意味が生まれます。

町の人々が知らないところで、エドワードの作るものが、町の景色を変え続けているのです。彼は人々の暮らしから消されたように見えても、そこに何も残さなかったわけではありません。

だからこそ、このラストには、二人の再会を願いたくなる切なさと、出会った時間は失われていないという温かさが共存しています。

城にいる彼と、町で年を重ねた彼女。その間に降る雪が、同じ場所では生きられなかった二人の記憶を、今も結び続けているのでしょう。

同じティム・バートン監督が、造られた命と町の人々の反応を描いた作品については、『フランケンウィニー』の考察記事もあわせてご覧ください。