映画『呪詛』ネタバレ考察|ラストの意味は?呪文と観客を巻き込む仕掛けを解説

※この記事には、映画『呪詛』(2022年)の結末を含む重大なネタバレがあります。作中で示される設定、監督・出演者の発言、それらを踏まえた解釈を分けて考察します。

苦しんでいる娘を助けるために、一緒に祈ってほしい。

母親からそう頼まれたとき、観客はどのように受け止めるでしょうか。子どもが助かるなら、少しだけ力を貸してもよい。そんな気持ちで聞いていた言葉が、終盤になって違う意味を帯び始めます。

台湾ホラー映画『呪詛』が仕掛けるのは、観客自身の善意を巻き込む恐怖です。

呪文には何の意味があるのか。ルオナンは、なぜ大黒仏母の顔を見せるのか。そして、娘が元気になったラストを、どこまで救いとして受け止めてよいのでしょうか。

結末の仕組みを整理しながら、映画が私たちに何をさせようとしていたのかを考えていきます。

ラストの結論|娘を救うため、観客へ呪いを分散させようとした

終盤、ルオナンは、観客に伝えてきた呪文の説明が嘘だったことを明かします。

娘のために祝福を集めるように見せていた呼びかけには、呪いを多くの人へ分け、一人が受ける負担を軽くするという目的がありました。

ルオナンは地下道へ戻り、大黒仏母の顔をカメラに映します。彼女はそこで命を落とし、最後には元気そうなドゥオドゥオの姿が示されます。Wikipedia

物語の流れからは、母親の計画によって娘の苦しみが軽減されたと読むのが自然です。ただし、呪いそのものが消滅したことまでは示されません。

ここで大切なのは、呪いを消すことと、呪いを分散させることの違いです。

目の前の子どもが助かっても、そのために別の誰かが危険を引き受けているかもしれない。娘の笑顔と、観客へ向けられた仕掛けを合わせて見ると、結末の明るさには不穏さが重なります。

『呪詛』の作品情報

項目内容
原題咒
英題Incantation
製作年・国2022年・台湾
監督ケヴィン・コー
主な出演ツァイ・ガンユエン、ホアン・シンティン、ガオ・インシュアン
上映時間111分
Netflix配信開始日2022年7月8日

作品情報は映画.comおよびNetflix公式作品ページを参照しています。映画.com

主人公リー・ルオナンは、かつて宗教的な禁忌を破った女性です。6年後、離れて暮らしていた娘ドゥオドゥオを引き取りますが、娘の周囲で異変が起き始めます。

本作は、撮影された記録映像を見るような形式を用いながら、母娘の現在と、呪いの発端となった過去を交互に描きます。

時系列を整理|6年前の出来事と、母娘の現在

『呪詛』は出来事の順番と、観客に情報を明かす順番が異なります。理解するときは、まず二つの時期を分けると整理しやすくなります。

時期主な出来事
6年前妊娠中のルオナンが、恋人たちと村の儀式を撮影し、禁忌に触れる
その後生まれた娘を施設へ預け、ルオナンは治療を受ける
6年後娘を引き取って暮らし始めるが、異変が深刻になる
終盤ルオナンが観客への説明を覆し、再び地下道へ向かう

この構成によって、観客はルオナンの説明を聞きながら、後から過去を知ることになります。Wikipedia

最初に母親の苦しみへ近づき、そのあとで、彼女が何を隠していたのかを知る。情報を受け取る順序が変わると、同じ呼びかけも違って聞こえます。

時系列の複雑さは、謎を増やすだけでなく、観客が母親を信じてしまう過程を作っていると考えられます。

呪文と符号の意味|祈りへの参加が、呪いを引き受ける行為になる

繰り返されるのは、ホーホッシオンイー、シーセンウーマという呪文です。

ルオナンは、娘を救うために唱えてほしいと頼みます。しかし、終盤で説明される作中の意味は、名前を捧げ、呪いを共に引き受けるというものです。符号を覚えさせることも、呪いの分散に関わります。Cinemarche

すると、冒頭からの反復が違って見えてきます。

何度も同じ言葉を聞き、同じ形を見るうちに、観客は自然にそれを覚えます。映画の謎を理解しようとする行動が、作中の仕組みに参加する行動と重なるのです。

ここには、怖いものをもっと知りたいという好奇心を利用する仕掛けがあります。正体を知れば安心できるはずなのに、知ること自体が危険につながる。『呪詛』は、解説を求める気持ちまで恐怖へ変えてしまいます。

呪文の製作上の由来は、作中の設定とは別にある

出演者のガオ・インシュアンは、NextSharkのインタビューで、この言葉は中国語のことわざをもとに、台湾語の発音や独特の調子で作ったものだと説明しています。もとになる意味は、幸福と災いが互いに隣り合っているという内容です。NextShark.com

映画の中では呪いを引き受ける言葉として機能しますが、製作上は創作された呪文です。

この区別を押さえると、怖さがどこから生まれるのかも見えてきます。意味の分からない音を繰り返させ、後から不吉な意味を与える。映画は、観客がその言葉を覚えてしまったという事実を使って、不安を生み出しています。

娘の本名はなぜ重要なのか|名前が呪いとのつながりを作る

ドゥオドゥオの本名は、チェン・ラートンです。

母親が娘に本名を教え、復唱させる場面は、過去の儀式で名前が捧げられていたことと合わせて見ると重要になります。作中では、名前を差し出す行為が、呪いを引き受けることと結びついているからです。Cinemarche

名前を教えることは、親子の日常の中では自然な行動です。自分が誰なのかを知り、家族とのつながりを確かめることにもなります。

ところが本作では、その日常の行為に、過去の儀式の意味が入り込んでしまいます。

母親が娘と関係を築こうとする場面が、娘を脅かすものとの関係を呼び起こす。親子が近づく喜びのそばに、母親が持ち帰った過去の危険があるのです。

ただし、ルオナンが本名を教えた理由まで、映画は明快に説明しません。娘との再出発を願ったのか、危険が去ったと思っていたのか。行動の結果と、彼女の内心は分けて考える必要があります。

大黒仏母の顔はなぜ隠されている?|カメラが禁忌を広める

大黒仏母の顔が覆われているのは、作中では、その顔が呪いの源として説明されるためです。

終盤のルオナンは自分の目を覆いながら、カメラには顔を映します。この行動には、自分が直接見ることを避けつつ、映像を見る人には禁忌へ触れさせようとする狙いが読み取れます。Wikipedia

それまでのカメラは、不可解な出来事を記録し、娘の苦しみを伝える道具に見えていました。最後には、その映像を受け取る相手を危険へ近づける道具になります。

記録映像なら信用できる、という感覚も揺らぎます。カメラに何が映っているかだけでなく、なぜ撮られ、誰に見せようとしているのかが問題になるからです。

ルオナンは最後に、自らの顔を祭壇へ繰り返し打ちつけます。Cinemarche

自分の目を覆う工夫をしても、彼女自身が安全になるわけではありません。その最期は、呪いを広める方法を知ったことと、呪いを思いどおりに制御できることの違いを示しているように見えます。

ルオナンは最初から観客を騙していたのか

少なくとも、観客へ向けた祈りの説明には、意図的に隠された意味があります。

終盤に示される映像には、妊娠中のルオナンが呪文について説明を受けている姿が含まれます。そのため、娘を助ける過程で初めて仕組みを知った、とだけ受け取ることはできません。Cinemarche

それでも、彼女が娘を助けたいと願っていることまで、すべて嘘だったとは考えにくいでしょう。

ルオナン役のツァイ・ガンユエンは、出演者インタビューで、母親の罪悪感や愛情を役の中心として語っています。NextShark.com

娘への愛情が本物であることと、観客を欺くことが同時に成立する。そこに、この人物の怖さと切実さがあります。

誰かを守りたいという願いは、他人を傷つける行動へもつながってしまうのでしょうか。観客は、母親の願いに共感していたからこそ、最後に自分が利用されたと感じます。

彼女の苦しみを理解することと、彼女の方法に納得することは、簡単には重なりません。

娘のラストと「お城」の言葉は何を意味するのか

最後には、元気そうなドゥオドゥオが、お城が遠くなり、泡になって消えたという趣旨の話をします。netflix-love.com

このお城が何を指しているのかは、映画の中で明示されません。

一つの読み方としては、彼女を苦しめていた世界との距離が生まれたことを、子どもの言葉で表していると考えられます。行くことが難しくなり、消えていく場所というイメージは、脅威が遠ざかったように感じる現在の姿と重なります。

ただし、その言葉だけで、地下道が実際に消えたことや、大黒仏母が滅びたことまで確定することはできません。

この場面の救いは、まず、娘が再び笑い、話せるようになったことにあります。

一方、観客は、その姿を見た時点ですでに、母親が呪いを分散させようとしていたと知っています。娘にとっての明るい場面が、観客にとっては安心しきれない場面になる。結末には、見る立場によって異なる感情が残ります。

なぜ観客へ直接語りかけるのか|善意を仕掛けの一部にする

Netflixの公式紹介では、監督が観客との相互的なつながりを目指していたことや、ネット掲示板、動画での告白、不幸の手紙などから着想を得たことが説明されています。About Netflix

この出発点から見ると、カメラ越しの呼びかけは作品の中心にあります。

観客は、登場人物同士の会話を聞くだけでなく、自分が頼まれたように感じます。しかも頼みの内容は、苦しんでいる子どもを助けることです。

協力したいと思うほど、ルオナンの説明を受け入れやすくなる。映画は、その気持ちを終盤で利用します。

冒頭の、観覧車や列車の見え方を使った問いかけも、この構造と響き合っています。同じ映像でも、意識の向け方によって受け取り方が変わる。その体験のあとで、観客は呪文や符号を見せられます。About Netflix

そこから考えると、本作は、意味を教える人がどれほど信頼できるのかという映画でもあります。目の前にあるものの意味をルオナンに委ねていたからこそ、彼女の説明が覆ると、見てきた映像全体が不穏になるのです。

『呪詛』は実話?|事件から着想を得た、創作の物語

『呪詛』は、実際の台湾の事件から着想を得たフィクションです。

監督は映画.comのインタビューで、2005年に高雄で起きた事件に触れ、そこから、これ以上深入りしたくないと感じる恐怖を取り入れたと説明しています。劇中の宗教も、映画のために創作されたものです。映画.com

さらに監督は、物語が母娘の話へ発展したことで、大黒仏母の造形に妊娠した母親のイメージを重ねたと語っています。映画.com

この製作上のつながりからは、母親ルオナンと、母の名を持つ大黒仏母を重ねて考える余地が生まれます。娘を守りたいという母親の願いが、娘を脅かす存在の仕組みによって利用されてしまう。その結びつきが、母娘の物語と宗教的な恐怖を一つにしています。

出演者も、呪文や宗教は創作であり、唱えた人が実際に害を受けるものではないと説明しています。NextShark.com

観たあとに不安が残るのは、映画が、画面の中の出来事を自分の経験のように感じさせる形で作られているためでしょう。言葉を覚えてしまったことや、符号を見てしまったことが、物語の外でも気になる。その余韻まで含めて、観客への呼びかけが機能しているのです。

ラストに残るもの|娘の笑顔を、観客はどんな気持ちで見るのか

『呪詛』の結末では、母親の願いと、観客への裏切りが重なります。

娘には生きてほしい。その願いに共感して見続けた私たちは、最後になって、母親が自分たちに何をさせようとしていたのかを知ります。

ドゥオドゥオの笑顔は、母親の願いが届いたように見える瞬間です。しかし、その笑顔を見せる映像には、観客へ呪いを広めようとした仕掛けも残っています。

助かってよかったと思いながら、自分が利用されたことにも気づく。この二つの感情を同時に抱かせるところに、『呪詛』の後味があります。

最後の呼びかけが向けられていたのは、映画の中の誰かだけではありません。画面を見続けていた私たちも、その相手として選ばれていたのです。

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