※この記事には、映画『ババドック 暗闇の魔物』の結末を含む重大なネタバレがあります。作中で描かれる出来事、監督の発言、それらを踏まえた解釈を分けて考察します。
怪物を追い払ったはずなのに、母親は地下室へ餌を運んでいく。
『ババドック 暗闇の魔物』のラストには、不思議な落ち着きと、消えない不気味さが同居しています。なぜ母子は怪物を家に残しているのでしょうか。ババドックは本当に存在するのか、それとも母親の心が生み出したものなのでしょうか。
本作を読み解く鍵は、アメリアが悲しみを抱えていることに加え、その悲しみや怒りを認められずにいることです。最後の地下室は、彼女が避け続けてきた感情と、向き合い始める場所として見ることができます。
怪物の正体から絵本、父親の死、息子の誕生日までをたどり、あの結末が描いた変化を考察します。
『ババドック 暗闇の魔物』の作品情報とあらすじ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 原題 | The Babadook |
| 製作年・製作国 | 2014年・オーストラリア |
| 監督・脚本 | ジェニファー・ケント |
| 主な出演 | エシー・デイビス、ノア・ワイズマン |
| 上映時間 | 94分 |
作品情報は映画.comを参照しています。映画.com
夫を交通事故で亡くしたアメリアは、幼い息子サミュエルを一人で育てています。仕事と育児に追われ、息子の言動にも手を焼く彼女は、十分に休めない日々を送っていました。
ある夜、サミュエルが読み聞かせを求めたのは、見覚えのない飛び出す絵本『ミスター・ババドック』。そこには、黒い帽子とコートを身につけた不気味な存在が描かれています。
絵本を読んだあと、サミュエルはババドックを恐れるようになり、やがてアメリア自身も奇妙な出来事に悩まされ始めます。
本作はケント監督の長編デビュー作で、2014年のサンダンス映画祭で上映されました。母子の家に現れる絵本が物語の発端となることは、制作会社Causeway Filmsの紹介でも示されています。Causeway Films
結末を整理|ババドックは最後にどうなった?
終盤、ババドックに取り憑かれたようになったアメリアは、サミュエルにも危害を加えようとします。しかし、息子の抵抗と働きかけを経て、黒いものを吐き出します。
それでも怪異は終わりません。再び息子が襲われると、アメリアは彼を守るためにババドックと対峙し、地下室へ退かせます。
ラストでは、アメリアが地下室に残るババドックへミミズを運び、落ち着かせたあと、庭で待つサミュエルのもとへ戻ります。Wikipedia
つまり、母子は生き延びますが、ババドックは消滅していません。 この二つが同時に成り立っていることが、結末を理解する出発点です。
ババドックの正体は?実在する怪物と心理的な象徴
ババドックは、アメリアが抑え込んできた悲しみ、怒り、息子への複雑な感情が姿を得た存在として読むことができます。
その手がかりになるのが、監督自身の説明です。ケント監督はEye for Filmのインタビューで、本作は悲嘆の映画といわれる一方、自分にとっては感情の抑圧が人をどこへ連れていくかを描いた作品だと語っています。eyeforfilm.co.uk
アメリアはつらい経験をしても、周囲には平静を装います。けれども、押し込めた感情はなくならず、生活のあちこちへ染み出していく。ババドックの侵入は、その過程を目に見える恐怖に変えています。
では、すべてがアメリアの幻覚だったのでしょうか。
そこまで断定することはできません。同じインタビューで監督は、比喩なのか、超自然的な存在なのか、心理的なものなのかという問いに対し、複数の受け取り方を認めています。eyeforfilm.co.uk
したがって、整理しておきたいのは次の二点です。
| 観点 | 読み取れること |
|---|---|
| 物語の中での存在 | 母子を襲う怪物として描かれる。すべてを幻覚と確定させる説明はない |
| テーマ上の役割 | 母親が認められずにいた感情や、母子の間に蓄積した苦しみを象徴する |
怪物の実在と象徴としての意味は、両立します。正体を一つに決めること以上に、なぜこの母子のもとへ現れたのかを考えると、物語の輪郭が見えてきます。
父親の死と息子の誕生日が重なる意味
アメリアの夫は、出産のために彼女を病院へ送る途中、交通事故で亡くなりました。息子の誕生と夫の死が結びついているという設定は、サンダンス映画祭の紹介記事でも説明されています。sundance.org
この出来事によって、アメリアにとってサミュエルの誕生日は、喜びと喪失を同時に呼び起こす日になっています。
息子は成長していく。その姿を見守る時間の中で、夫が生きていれば経験できたはずの生活も想像してしまう。アメリアは、目の前の息子と、失われた夫との間で感情を整理できずにいます。
もちろん、父親の死にサミュエルの責任はありません。ただ、母親の中では息子の存在が事故の記憶と離れがたく結びついている。それが、愛情と怒りの混ざり合う母子関係を生んでいると考えられます。
ここで本作が描いているのは、母親になれば複雑な感情が自然に解決するわけではない、という痛みです。
息子を大切に思う気持ちがあるからこそ、息子に対して抱いてしまう怒りを認めるのが難しい。その矛盾を言葉にできないまま、アメリアは追い詰められていきます。
不気味な絵本は何を意味する?捨てても戻ってくる理由
アメリアは絵本を処分しようとしますが、破った本は修復された姿で戻ってきます。この場面は、オーストラリア国立映像音響アーカイブ(NFSA)でも紹介されています。NFSA
絵本の恐ろしさは、読むことで怪物を知ってしまう点に加え、目をそらすための行動まで無効にされる点にあります。
物語上は、捨てても戻る呪いの本です。象徴として見ると、そこにはアメリアの感情との共通点があります。見えないところへ追いやっても、なかったことにはできない。否定しようとするほど、別の形で生活へ戻ってくるのです。
また、絵本の読み聞かせは、本来なら母親が子どもに安心を与える時間です。本作では、その親密な行為を通して恐怖が二人の間に入り込みます。
母親の声で語られる物語が、子どもを怖がらせる。この構図は、物語が進むにつれて、守ってくれるはずの母親そのものが脅威へ変わっていく展開とも重なります。
ケント監督はSan Diego Readerのインタビューで、絵本を物語の中心となる要素として早い段階から作り込んだと説明しています。絵本は怪物を登場させる小道具であると同時に、この家の恐怖を凝縮したものだと考えられます。San Diego Reader
サミュエルはなぜ母親を守ろうとするのか
序盤のサミュエルは、アメリアの負担を増やす子どもとして映ります。大きな声を出し、危険な道具を作り、周囲との衝突を起こす。その振る舞いを見ていると、観客も母親の疲れを感じやすくなります。
しかし物語を振り返ると、彼が恐れていたものにも目を向ける必要があります。
サミュエルにとってアメリアは、大切な母親です。その母親の様子が変わり、何かに奪われていくように感じられる。彼の怪物への備えには、自分だけでなく母親も守ろうとする意志が見えます。
監督はSBSのインタビューで、サミュエルは母親が押し込めている悲しみを感じ取り、無意識のうちに彼女へ届こうとしているのだと説明しています。SBS What’s On
この言葉を踏まえると、序盤の彼は「何も分かっていない子ども」とは受け取れなくなります。大人の言葉では説明できなくても、家の中で起きている異変を感じていたのでしょう。
一方で、息子が母親を救おうとする展開には痛ましさもあります。サミュエル自身も守られるべき存在だからです。
そのため、母子の関係の変化は、息子の愛情だけで完成しません。アメリアが自分の感情に向き合い、息子を守る側へ戻ることまで含めて、終盤の転換を考える必要があります。
なぜ地下室に残し、ミミズを与えるのか
ラストで最も引っかかるのは、アメリアがババドックを家に残したまま世話をすることです。
この結末について、ケント監督はThe Dissolveのインタビューで、怪物を殺す結末にはできなかったと説明しています。夫が事故で亡くなった事実は消えず、怪物を自分の人生の中へ位置づけていくことが重要だった、という趣旨です。thedissolve.com
ここから、地下室の場面は、アメリアが喪失との関わり方を変えた場面として読むことができます。
地下室は、亡き夫の品が置かれている場所でもあります。彼女にとって、家の中にありながら、過去を閉じ込めておきたい空間だったのでしょう。San Diego Reader
では、最後にも怪物を地下室へ閉じ込めているなら、以前と同じではないのでしょうか。
違いは、アメリアが自分から扉を開けて会いに行くことです。
もう存在を否定せず、確かめ、落ち着かせ、そして息子のもとへ戻る。つらい感情に触れる時間と、目の前の子どもと暮らす時間を持てるようになった、と解釈できます。
ミミズを与える行為は、避けてきた感情に注意を向けることの比喩として受け取れます。アメリアは怪物がいる場所へ行き、その反応を受け止めたうえで部屋を出る。怖さを感じながらも、自分で向き合う時間を持てるようになったのです。
ミミズそのものに唯一の意味を割り当てる必要はないでしょう。この場面で大切なのは、餌の種類以上に、アメリアが地下室から帰ってこられるようになったことです。
ただし、怪物は最後まで穏やかなペットにはなりません。彼女が向き合う感情には、今も怖さが残っています。その不安定さを残したまま、母子の日常が続いていきます。
ラストの誕生日はハッピーエンドなのか
ラストでは、母子がサミュエルの誕生日を祝います。
父親の死と結びついていた日が、息子の成長を喜べる日へと変わり始めている。地下室に怪物が残っていることと並べて考えると、この場面の意味が見えてきます。
アメリアは夫の死を忘れたわけではありません。それでも、その記憶だけに息子の誕生日を占めさせずにいられるようになった。失われた人への思いと、今ここにいる子どもへの愛情を、同じ人生の中に置けるようになったのです。
その意味では、ラストには確かな希望があります。
ただし、本作は「母親の愛があればすべて解決する」と簡単には言い切れない作品です。母子の間には深い傷があり、地下室にはまだ怪物がいる。今後も困難があることを感じさせながら、それでも二人が一緒に過ごせる時間を取り戻して終わります。
ケント監督が本作を、母親と息子の愛の物語として企画したと語っていることも、この結末を考える手がかりになります。恐怖の先で二人の関係が変化することが、作品の大切な到達点なのです。San Diego Reader
『ババドック 暗闇の魔物』は、怪物がいることを知りながら、息子の誕生日を祝える家へたどり着きます。
あの地下室と明るい庭が共存していることに、本作の不気味さと優しさがあります。
大切な人を失った悲しみと怪異の関係をさらに考えるなら、『ナイト・ハウス』の考察や『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』の考察もあわせて読むと、各作品が描く喪失との向き合い方の違いが見えてきます。
