映画『三度目の殺人』ネタバレ考察|三隅は本当に殺した?「三度目」・器・十字架・ラストの意味

三隅は、本当に人を殺したのでしょうか。

被害者の娘・咲江は、事件に関わっていたのでしょうか。

そして、タイトルが示す「三度目の殺人」とは、いったい何を意味しているのでしょうか。

是枝裕和監督の映画『三度目の殺人』は、弁護士が事件の真相に迫る法廷サスペンスとして始まります。

しかし、物語が進むほど、真実は明らかになるどころか見えなくなっていきます。

被告人の供述は変わり続け、被害者の家族には秘密があり、法廷では誰もが自分に都合のよい説明を選ぶ。

それでも裁判は進み、最後には、一人の人間の命を左右する判決が下されます。

この記事では、『三度目の殺人』の結末までを整理しながら、三隅の犯行、咲江の秘密、タイトルに込められた意味、「器」や十字架の象徴、ラストシーンの解釈を考察します。

※以下、映画『三度目の殺人』の結末に関わる重大なネタバレがあります。また、作中で扱われる性的虐待について言及しています。

  1. 映画『三度目の殺人』の作品情報
  2. 『三度目の殺人』のあらすじをネタバレ解説
  3. 結論|三隅が犯人だったかどうかは確定していない
  4. 三隅はなぜ供述を何度も変えたのか
  5. 三隅はなぜ突然「殺していない」と言い始めたのか
  6. 咲江は父親を殺したのか
  7. 咲江の足が不自由な理由は何だったのか
  8. 被害者の妻・美津江は何を隠していたのか
  9. 『三度目の殺人』は三組の父と娘の物語でもある
  10. 重盛の父が三隅を裁いていた意味
  11. タイトル『三度目の殺人』は何を意味するのか
    1. 解釈① 死刑判決という制度による殺人
    2. 解釈② 三隅が自分自身を死に向かわせたこと
    3. 解釈③ 裁判によって真実が殺されたこと
    4. 解釈④ 重盛もまた三隅の死に関わったこと
  12. 是枝監督は「三度目」の意味を一つに決めていない
  13. 重盛が言う「器」とは何を意味しているのか
  14. 三隅と重盛の顔がガラス越しに重なる意味
  15. 十字架が繰り返し登場する意味
  16. 雪の上で三隅と咲江が十字になる理由
  17. カナリアと鳥の墓が象徴するもの
  18. 三人の頬についた血が意味するもの
  19. 咲江の「ここでは誰も本当のことを話さない」の意味
  20. ラストの交差点で重盛が立ち尽くす理由
  21. 三隅は死刑になったのか
  22. なぜ真犯人を明かさないのか
  23. 『怪物』『ある男』『怒り』と重なるテーマ
  24. 『三度目の殺人』によくある疑問
    1. 三隅は本当に殺人犯だった?
    2. 咲江が真犯人なの?
    3. 「三度目の殺人」とは死刑のこと?
    4. 三隅は死刑を執行された?
    5. 「器」とはどういう意味?
    6. 十字架は犯人を示す伏線?
    7. 原作小説はある?
    8. 実話をもとにした映画?
  25. まとめ|『三度目の殺人』が裁くのは「分かったつもりになること」

映画『三度目の殺人』の作品情報

『三度目の殺人』は、2017年9月9日に公開された日本映画です。

  • 監督・脚本・編集:是枝裕和
  • 主演:福山雅治
  • 出演:役所広司、広瀬すず、吉田鋼太郎、斉藤由貴、満島真之介、市川実日子、橋爪功ほか
  • 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
  • 上映時間:124分
  • 配給:東宝、ギャガ

福山雅治が演じるのは、裁判に勝つことを優先する弁護士・重盛朋章。

役所広司が、供述を変え続ける被告人・三隅高司を演じ、広瀬すずが事件の鍵を握る被害者の娘・山中咲江を演じています。映画『三度目の殺人』公式サイト

第41回日本アカデミー賞では、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀助演男優賞、最優秀助演女優賞、最優秀編集賞を受賞しました。日本アカデミー賞公式サイト

『三度目の殺人』のあらすじをネタバレ解説

食品工場の社長・山中光男が殺され、遺体に火をつけられる事件が発生します。

逮捕されたのは、工場で働いていた三隅高司。

三隅には約30年前にも殺人事件を起こした過去があり、今回の犯行も認めています。

被害者の財布が持ち去られていたことから、金銭目的の強盗殺人と判断されれば、死刑になる可能性が高い状況です。

弁護士の重盛は、三隅を無期懲役に減刑するため、事件の背景を調べ始めます。

当初の重盛にとって重要なのは、何が本当に起きたかではありません。

依頼人にとって有利な説明を組み立て、裁判で望ましい結果を得ることです。

ところが、三隅の供述は接見のたびに変化します。

金に困って殺したのか。

被害者の妻・美津江に依頼されたのか。

あるいは、別の事情があったのか。

さらに重盛は、三隅と被害者の娘・咲江が以前から交流していたことを知ります。

咲江は父親から性的虐待を受けていたと打ち明け、三隅が自分を助けるために父親を殺したのだと話します。

もし、それが事実なら、事件は単純な強盗殺人ではありません。

重盛は咲江の証言をもとに弁護方針を立て直そうとします。

しかし、その直後、三隅は突然、自分は殺していないと主張し始めます。

裁判は混乱したまま進み、最終的に三隅には死刑判決が言い渡されます。

事件の真相は、最後まではっきりしません。

そのまま物語は、一つの判決によって誰が何を失ったのかという問いを残して終わります。

結論|三隅が犯人だったかどうかは確定していない

最初に結論を整理すると、『三度目の殺人』では、三隅が実際に山中光男を殺したかどうかは、最後まで確定されません。

作中には、三隅が犯人だと考えられる状況が数多くあります。

本人は当初、犯行を認めています。

事件との接点もあり、咲江を救おうとしたという動機も考えられます。

一方で、本人は途中から犯行を否認し、咲江にも事件との深い関わりが示されます。

しかし、咲江が直接父親を殺したと断定できる証拠もありません。

つまり、本作の結末は、

「真犯人は咲江だった」

あるいは、

「三隅は完全に無実だった」

と答えを示すものではないのです。

是枝監督も公式イベントで、犯人が明確にならないまま終わる構造について、意図的な演出であると説明しています。映画『三度目の殺人』公式ニュース

真実が分からないにもかかわらず、裁判では結論を出さなければならない。

その落差こそが、この映画の中心にあります。

三隅はなぜ供述を何度も変えたのか

三隅が供述を変える理由は、一つには絞れません。

表面上は、信用できない人物だからだと考えることもできます。

しかし、三隅は単純に嘘を重ねて、裁判から逃れようとしているわけではありません。

むしろ、周囲が求める説明に合わせて、自分の姿を変えているように見えます。

警察が金目当ての犯行を想定すれば、その物語に沿う。

弁護側が被害者の妻による依頼を疑えば、その可能性を口にする。

咲江の存在が注目され始めると、今度は犯行そのものを否認する。

そのたびに、三隅という人間の輪郭は揺らぎます。

ここで重要なのは、彼が嘘つきかどうかだけではありません。

警察、検察、弁護士、被害者遺族。

それぞれが、自分にとって理解しやすい三隅を必要としていることです。

冷酷な再犯者。

金目当ての殺人犯。

女性に利用された男。

少女を救おうとした優しい人物。

どの見方にも、部分的には根拠があります。

しかし、どれか一つを選んだ瞬間、ほかの側面は切り捨てられてしまいます。

三隅の供述が変化するのは、彼自身の不可解さだけでなく、周囲が人間を一つの物語に押し込めようとすることへの抵抗にも見えるのです。

三隅はなぜ突然「殺していない」と言い始めたのか

三隅の否認には、咲江を守るためだったという解釈が成り立ちます。

咲江は、自分が父親から性的虐待を受けていたことを法廷で証言し、三隅を助けようとします。

その事情が認められれば、三隅の行動に同情すべき背景があったと判断される可能性があります。

しかし、咲江にとっては、自分が受けてきた被害を法廷で公にしなければなりません。

父親に傷つけられた記憶を、他人の前で説明する。

その経験が本当なのか、どこまで被害を受けたのか、なぜ助けを求めなかったのか。

そうしたことを問われる可能性もあります。

三隅にとって、それは咲江を救うことにはならなかったのかもしれません。

仮に三隅が犯行自体を否認すれば、裁判の焦点は「なぜ殺したのか」から、「本当に殺したのか」へ移ります。

少なくとも、咲江が自分の被害を三隅の減刑材料として詳しく語らなければならない流れは崩れます。

その代わり、三隅自身は不利な立場に置かれます。

つまり、三隅は自分が助かる可能性より、咲江の秘密が暴かれないことを優先したのではないか。

ただし、これも映画が確定した答えとして示しているわけではありません。

判決後、重盛がその可能性を尋ねても、三隅は明確な答えを与えません。

三隅が本当に咲江を守ろうとしたのか。

それとも重盛が、彼に救いのある意味を与えたかっただけなのか。

その境界は最後まで曖昧です。

咲江は父親を殺したのか

咲江が父親を直接殺したと断定することはできません。

父親から性的虐待を受けていたこと。

三隅と親しい関係にあったこと。

事件をめぐって、何らかの罪悪感を抱えていること。

これらは、咲江が事件の核心に近い場所にいたことを示しています。

しかし、それだけで彼女が実行犯だったとは言えません。

「父親にいなくなってほしい」と思っていたことと、実際に手を下したことは同じではないからです。

三隅が咲江の苦しみを知り、彼女の気持ちを先回りして行動した可能性もあります。

咲江が助けを求める言葉を口にした可能性もあります。

あるいは、咲江自身も、三隅が何をしたのか完全には理解していなかったのかもしれません。

重要なのは、法的な意味で犯人かどうかと、本人が罪悪感を抱くかどうかは別だということです。

是枝監督は、咲江について、単なる被害者ではなく、自分も何かに加担したのではないかという意識を持つ人物として構想したことを明かしています。

しかし、それは「咲江が父親を殺した」という意味ではありません。

彼女が、自分の苦しみや願いが誰かを死に追いやったかもしれないと感じている、ということです。映画『三度目の殺人』公式イベントレポート

咲江の足が不自由な理由は何だったのか

咲江の足についても、映画は明確な答えを出しません。

本人が語る説明と、周囲の説明には食い違いがあります。

そのため、事故だったのか、生まれつきだったのか、家庭内で起きた出来事と関係しているのか、複数の解釈が生まれます。

しかし、ここで注意すべきなのは、足の事情だけを手掛かりに、彼女を嘘つきと決めつけないことです。

虐待を受けてきた人物が、自分の経験をいつでも正確に、矛盾なく説明できるとは限りません。

家庭の事情を隠すために、別の説明をしている可能性もあります。

反対に、周囲の大人が自分たちに都合のよい事情を語っている可能性もあります。

本作における咲江の足は、彼女の証言の真偽を機械的に判断するための伏線ではありません。

一人の少女が抱えている傷を、周囲が勝手に説明しようとする構造を示していると考えられます。

被害者の妻・美津江は何を隠していたのか

三隅は一時、被害者の妻・美津江から殺人を依頼されたと話します。

そのため、事件は保険金目的の殺人だったのではないかという疑いが浮上します。

しかし、美津江と三隅の関係を調べていくと、工場の食品偽装など、別の問題も見えてきます。

つまり、彼女が隠していたことがあったとしても、それがそのまま殺人の依頼を意味するわけではありません。

殺人事件の真相を追ううちに、家族や会社が抱えていた別の不正や沈黙が現れる。

ここにも、この映画の特徴があります。

法廷で裁かれるのは、あくまで特定の事件です。

しかし、人を傷つけた行為が、すべて同じように裁かれるわけではありません。

父親による虐待。

周囲の見て見ぬふり。

会社の不正。

都合の悪い事情を語らない大人たち。

そうした問題は確かに存在していても、裁判では中心から外れていきます。

その結果、最も多くの事情を背負わされた三隅だけが、分かりやすい「犯罪者」として残ります。

『三度目の殺人』は三組の父と娘の物語でもある

『三度目の殺人』は、法廷劇であると同時に、三組の父親と娘の関係を描いた映画です。

一組目は、重盛と娘・結花。

重盛は仕事を優先し、娘との距離をうまく縮められていません。

娘が問題を起こしても、父親として気持ちに向き合うより、事態を処理する方向へ意識が向きます。

二組目は、被害者・山中と娘・咲江。

本来なら子どもを守る立場にある父親が、家庭内で娘を傷つけていました。

外から見れば父親と娘ですが、その関係の内側には深刻な暴力があります。

三組目は、三隅と実の娘です。

三隅には娘がいますが、過去の事件によって関係は断たれています。

娘を守れなかった男が、別の父親から傷つけられていた咲江と出会う。

その結果、血縁上の父親ではない三隅のほうが、咲江の苦しみに近づいていた可能性が浮かび上がります。

是枝監督自身も、弁護士、被告人、被害者それぞれに、うまくいっていない父と娘の関係を配置したと説明しています。映画『三度目の殺人』公式ニュース

本作は、「誰が殺したか」だけでなく、「誰が子どもを守れなかったのか」も問い続けているのです。

重盛の父が三隅を裁いていた意味

重盛の父・彰久は、かつて三隅の事件を担当した元裁判官です。

約30年前、三隅に死刑ではなく無期懲役の判決が下されたことに、彰久は関わっています。

その結果、三隅は社会に戻り、再び殺人事件の被告人となりました。

この事実は、重盛の父に後悔を生みます。

あのとき死刑にしていれば、次の事件は起きなかったのではないか。

そう考えることもできるからです。

しかし、だからといって、最初から三隅を死刑にするべきだったと結論づけることもできません。

誰が将来、再び罪を犯すのか。

誰が社会に戻って生き直せるのか。

人間に、その判断を完璧に行うことはできないからです。

過去の裁判で三隅を生かした父。

現在の裁判で三隅を救おうとする息子。

この親子関係は、司法が人の命を左右することの重さを、時間をまたいで示しています。

三隅が語る「命が選別される」という問題は、事件の加害者だけでなく、裁判官や弁護士にも向けられているのです。

タイトル『三度目の殺人』は何を意味するのか

映画の中で明確に語られるのは、三隅が関わった過去の事件と、今回の山中の事件です。

では、「三度目」は何なのでしょうか。

結論として、タイトルは一つの答えだけを指しているわけではありません。

解釈① 死刑判決という制度による殺人

最も考えやすいのは、三隅に下される死刑判決です。

一度目は、約30年前の殺人事件。

二度目は、山中が殺された事件。

そして三度目は、裁判によって三隅の命が奪われること。

この読み方では、国家や司法が行う死刑を、倫理的な意味で「殺人」と重ねています。

ただし、作中で死刑が執行される場面は描かれていません。

そのため、「映画の最後に三隅は処刑された」と説明するのは正確ではありません。

描かれているのは、死刑判決が出たことと、その判決を前にした人々の姿です。

また、死刑が法律上の殺人罪にあたるという意味でもありません。

あくまで、人の命を制度が奪うことを、映画がどう問い直しているかという解釈です。

解釈② 三隅が自分自身を死に向かわせたこと

三隅が咲江を守るために犯行を否認し、その結果として死刑判決を受け入れたのだとすれば、彼は自らを死に向かわせたことになります。

その場合、三度目に殺されるのは三隅自身です。

そして、その死を選んだ人物も、三隅自身だと解釈できます。

自分が助かるために咲江の被害を法廷で明らかにするのか。

それとも、彼女を守る代わりに、自分が死刑になる可能性を引き受けるのか。

三隅は後者を選んだのかもしれません。

ただし、これも美しい自己犠牲の物語として断定することはできません。

彼の本心が最後まで示されない以上、その解釈もまた、重盛や観客が望んだ一つの説明にすぎない可能性があります。

解釈③ 裁判によって真実が殺されたこと

三度目に殺されたのは、人間ではなく「真実」だったという読み方もできます。

事件に関わる人々は、それぞれ事情を抱えています。

しかし法廷では、それらすべてが等しく扱われるわけではありません。

裁判で必要とされるのは、証拠や主張を整理し、判決に必要な形へまとめることです。

その過程で、複雑な事情は削られます。

咲江の被害。

三隅の本心。

家族が隠してきたもの。

なぜその事件が起きたのかという問い。

それらが十分に明らかにならないまま、判決だけが確定的な形で示されます。

公式イベントでは、海外の記者から「三度目に殺されたのは真実ではないか」という解釈が出たことを、是枝監督が紹介しています。映画『三度目の殺人』公式イベントレポート

真実を知りたくなった重盛にとって、これほど残酷な結末はありません。

解釈④ 重盛もまた三隅の死に関わったこと

三隅を死刑にしたのは、裁判官だけでしょうか。

検察だけでしょうか。

それとも、弁護人だった重盛にも責任があるのでしょうか。

重盛は途中から、三隅が咲江を守ろうとしている可能性に気づきます。

しかし、その事情を完全に明らかにすれば、咲江は再び傷つくかもしれません。

三隅を守ることと、咲江を守ること。

その二つが両立しない状況で、重盛は明確な答えを出せません。

結果として、三隅には死刑判決が下されます。

その意味では、重盛もまた、三隅の命を左右した一人です。

三度目の殺人は、誰か一人が行った行為ではなく、多くの人間が関わりながら、誰も自分の責任として引き受けきれなかった出来事なのかもしれません。

是枝監督は「三度目」の意味を一つに決めていない

是枝監督は、タイトルを死刑制度や司法による殺人と読むことを否定していません。

一方で、それだけが映画の主張だとも説明していません。

監督が強調しているのは、見て見ぬふりをすることや、分かったつもりになることなど、法廷では裁かれない行為の問題です。是枝裕和監督の釜山国際映画祭会見

つまり、「三度目の殺人=死刑」という答えだけで終わると、この映画が描いている範囲を狭めてしまいます。

死刑。

自己犠牲。

真実の消失。

傍観した人々の責任。

それらが重なり合うからこそ、『三度目の殺人』というタイトルには、何度も考え直す余地が残されているのです。

重盛が言う「器」とは何を意味しているのか

ラスト近くで、重盛は三隅を「器」のような存在として捉えます。

この言葉は、三隅が他人の感情や願いを受け取って行動する人物だったのではないか、という考え方につながります。

例えば、咲江が父親に対して抱いていた恐怖や怒り。

被害者の妻が抱えていた秘密。

社会が前科者へ向ける警戒や決めつけ。

そうしたものが三隅という器に流れ込み、事件という形で表に出たのかもしれません。

ただし、三隅に超能力があったという意味ではありません。

作品内で、彼が他人の心を読める人物だと確定しているわけではないからです。

「器」とは、人が他者から押しつけられた役割を引き受けることの比喩です。

三隅は、周囲にとって都合のよい存在でした。

前科があるから、また殺したのだろう。

金に困っていたから、金目当てだったのだろう。

少女を助けたかったから、正義感で殺したのだろう。

誰もが、自分に理解できる意味を三隅へ流し込みます。

その結果、三隅自身が何を考えていたのかは、かえって見えなくなります。

「器」とは、三隅の内面を説明する言葉であると同時に、彼を勝手に理解したつもりになる周囲の人間を映し返す言葉なのです。

三隅と重盛の顔がガラス越しに重なる意味

本作では、接見室のガラスが繰り返し映し出されます。

ガラスの向こう側には被告人の三隅。

こちら側には弁護士の重盛。

最初は、二人の立場は明確に分かれています。

裁かれる側と、制度の内側から事件を処理する側です。

しかし接見を重ねるにつれ、二人の距離は縮まります。

同じ北海道の風景を知っていること。

それぞれ娘との関係に問題を抱えていること。

他人から理解されているようで、実際には理解されていないこと。

共通点が浮かぶたびに、二人を分ける境界線は揺らぎます。

やがて、ガラスに映った重盛の顔と、その向こうにいる三隅の顔が重なります。

この場面は、重盛が三隅の本心を完全に理解したという意味ではありません。

むしろ、理解したと思った瞬間にも、なお二人の間にはガラスがあることが重要です。

近づいたからこそ、自分が本当に相手を知っているのか分からなくなる。

また、三隅だけを裁かれる側に置いてきた重盛自身も、その裁きに参加している一人だと浮かび上がります。

是枝監督は、複数回ある接見場面を通じて、二人の距離や立場が少しずつ変わるよう設計したと説明しています。映画『三度目の殺人』公式ニュース

顔が重なるのは、二人が同じ人間になったからではありません。

裁く側と裁かれる側が、簡単には分けられなくなったからです。

十字架が繰り返し登場する意味

『三度目の殺人』では、さまざまな場面に十字の形が現れます。

  • 遺体が燃やされた場所に残る痕跡
  • カナリアの墓
  • 雪の上に横たわる人物たち
  • ラストで見上げる電線
  • 重盛が立ち尽くす交差点

これらは、罪、裁き、犠牲、祈りなどを連想させます。

ただし、「十字架が出た人物が犯人」という単純な暗号ではありません。

三隅は殺人事件の被告人として罪を背負わされます。

咲江も、父親の死と三隅の判決について、自分に責任があるのではないかと感じています。

重盛も、三隅を助けられなかったことや、咲江を守るために何を選んだのかという問いを抱えます。

それぞれが異なる形で、見えない十字架を背負っているのです。

監督は公式イベントで、十字の形を意識して作品内に配置したことを認めています。

同時に、咲江については、事件に対する加害者意識を本人が抱くことが重要だったとも説明しています。映画『三度目の殺人』公式イベントレポート

つまり、十字架が示すのは「誰が法的に有罪か」ではありません。

誰が、どのような責任や痛みを背負って生きることになるのか。

その重さです。

雪の上で三隅と咲江が十字になる理由

雪の場面では、三隅と咲江が十字を思わせる姿勢で横たわり、重盛は異なる姿勢で描かれます。

この違いから、三隅と咲江が事件を共有していると解釈することはできます。

しかし、それだけで二人が殺人の共犯だったと決めることはできません。

二人が共有しているのは、必ずしも犯行そのものではないからです。

父親から逃れられない咲江。

過去の事件によって人生を壊し、娘との関係を失った三隅。

二人は、家庭や社会のなかで、誰かの判断に人生を左右されてきました。

雪の上の十字は、同じ事件に関わった証拠というより、互いの苦しみや罪悪感が重なっていることを表しているのでしょう。

一方で重盛は、最初、その関係の外側にいます。

しかし、事件に深く関わるうちに、彼もまた別の十字架を背負うことになります。

だからこそ、最後には重盛自身が十字路に立つのです。

なお、雪の場面に映る足跡について、監督は偶然残っていた動物の足跡だったと説明しています。

意味深に見えるものすべてが、事件の真相を指す伏線とは限りません。

この点も、「目に映ったものから答えを作りすぎる」ことへの注意として受け取れます。

カナリアと鳥の墓が象徴するもの

三隅は事件の前、飼っていたカナリアのことを整理し、庭に鳥の墓を作っています。

カナリアの墓には、十字を思わせる形も残されています。

この場面は、三隅が事件後の自分の運命を、ある程度予想していた可能性を示します。

逮捕されれば、世話を続けることはできない。

戻ってこられないかもしれない。

そう考えて身の回りを整理していたとすれば、犯行には衝動だけでなく、ある種の覚悟があったことになります。

また、カゴの中の鳥は、自分で置かれた環境を選べない存在です。

その姿は、家庭の中で父親から逃れられなかった咲江と重ねることができます。

一羽の鳥が逃がされたという話を、咲江を自由にしようとする三隅の願いとして読むこともできるでしょう。

ただし、「この鳥は必ず咲江を意味する」という答えが示されているわけではありません。

むしろ重要なのは、誰かが生かされ、誰かが失われるという選別の構造です。

三隅は、自分の命を差し出してでも、咲江を外へ逃がそうとしたのかもしれません。

それでも、その行為が本当に救いだったのかは、簡単には判断できません。

三人の頬についた血が意味するもの

『三度目の殺人』のポスタービジュアルでは、重盛、三隅、咲江の頬に赤い血のようなものが付着しています。

この構図は、三人が全員、直接的に殺人を実行したという意味ではありません。

三人とも、事件の結果から完全に無関係ではいられないことを示していると考えられます。

三隅は、事件の実行犯だった可能性を背負う人物。

咲江は、父親に対する恐怖や怒りを抱え、自分のために誰かが死んだかもしれないと考える人物。

重盛は、裁判を通じて三隅の命を左右する立場にいた人物です。

それぞれ立場は違います。

しかし、一人の死をめぐる責任が、誰か一人にだけ帰属するわけではありません。

公式の紹介でも、三人が返り血を思わせるものをまとったビジュアルが、事件によって結びついた関係を表すものとして示されています。福山雅治公式サイト:『三度目の殺人』本予告・ポスタービジュアル

血は、犯人を当てるための印ではありません。

「自分は関係ない」と言い切れない人間たちの姿なのです。

咲江の「ここでは誰も本当のことを話さない」の意味

裁判後、咲江は、法廷では誰も本当のことを話さないという趣旨の言葉を口にします。

この言葉は、単に三隅が嘘をついたという意味ではありません。

検察は、有罪を立証するために必要な説明を組み立てます。

弁護士は、依頼人の利益や裁判戦略を優先します。

遺族は、家族の秘密を隠そうとします。

本人も、自分の過去をすべて話せるわけではありません。

それぞれが、完全な真実ではなく、語ることができる範囲の話を選びます。

このこと自体は、必ずしも誰かが悪意を持っているという意味ではありません。

性的虐待を受けた咲江に、すべてを話せと求めることは、さらなる暴力になりかねないからです。

しかし、話さないことで守られるものがある一方、明らかにならないまま消えてしまうものもあります。

咲江の言葉が突きつけているのは、その両方です。

真実を話せば救われる、というほど世界は単純ではない。

しかし、真実が話されないまま、人の命について決定が下されてしまう。

その矛盾が、彼女の短い言葉に凝縮されています。

ラストの交差点で重盛が立ち尽くす理由

最後に重盛は、交差する道路や電線に囲まれた場所で立ち止まります。

この交差点は、文字通りの十字路であると同時に、重盛が立たされた人生の分岐点を表しています。

事件に関わる前の重盛は、裁判を仕事として処理できる人物でした。

依頼人に有利な説明を選び、必要な結果を得る。

真実がすべて分からなくても、職務として事件を終わらせることができました。

しかし、三隅との出会いによって、その姿勢が揺らぎます。

三隅は、本当に人を殺したのか。

咲江を守るために死刑を受け入れたのか。

自分は、彼を助けるために何をしたのか。

あるいは、助けられないと分かりながら、裁判を進めてしまったのか。

その問いに、明確な答えはありません。

それでも、三隅には判決が下りました。

重盛が交差点で立ち尽くすのは、自分もまた、誰かを裁く仕組みの一部だったことから逃れられなくなったためです。

十字路は、どの道へ進むかを選ぶ場所です。

同時に、複数の人生が交わり、誰かの選択が別の誰かの命を左右する場所でもあります。

重盛はそこで初めて、事件を「終わった仕事」として片づけられなくなります。

ラストは、真相が解決した場面ではありません。

一人の人間を理解できなかったまま、その人生に関わってしまった事実を、重盛が引き受け始めた場面なのです。

三隅は死刑になったのか

映画の中で、三隅には死刑判決が言い渡されます。

ただし、その後に死刑が執行された場面は描かれていません。

したがって、

「三隅は最後に処刑された」

と断定するのは正確ではありません。

作中で確認できるのは、死刑判決が下されたことと、その後も重盛が三隅に接見していることです。

タイトルの「三度目の殺人」を死刑と解釈する場合も、実際の執行場面が描かれたという意味ではなく、司法が人の命を奪う方向へ進んだことを象徴的に捉えている、と考える必要があります。

なぜ真犯人を明かさないのか

一般的なミステリーでは、最後に犯人が明らかになり、伏線が回収されます。

しかし『三度目の殺人』では、疑問が残されたまま終わります。

それは、観客を混乱させるためだけではありません。

是枝監督は、司法の現場を取材するなかで、不完全な人間が判断しているにもかかわらず、判決は決定的な形で下されることに強い問題意識を持ったと語っています。是枝裕和監督インタビュー

裁判では、限られた証拠や証言をもとに判断しなければなりません。

その仕組みは、社会にとって必要なものです。

一方で、判決が出たことと、人間の事情がすべて理解されたことは同じではありません。

大阪弁護士協同組合に掲載された弁護士の文章でも、裁判は提出された証拠と事実に基づいて判断する仕組みであり、完全な真実を知れるとは限らないことが論じられています。大阪弁護士協同組合「三度目の殺人」

本作は、司法制度そのものを単純に否定しているのではありません。

人を裁く必要がある社会で、私たちは何を見落とし、何を分かったつもりになっているのか。

その問いを観客にも残しています。

『怪物』『ある男』『怒り』と重なるテーマ

『三度目の殺人』の主題は、誰かを理解したつもりになることの危うさです。

その点で、同じ是枝裕和監督の『怪物』と強くつながります。

『怪物』でも、母親、教師、子どもの視点が変わるたびに、同じ出来事の意味が変化しました。

最初に見えていた加害者と被害者の構図は、決して完全なものではありませんでした。

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また、『ある男』では、一人の人物の名前や過去を調べても、その人間のすべてを理解したことにはならないという問題が描かれています。

三隅もまた、「前科者」「殺人犯」という名前を与えられた瞬間に、それ以外の人生を見えなくされていきます。

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『怒り』との共通点は、信じることと疑うことが、どちらも他人を傷つける可能性を持つところです。

重盛は、三隅を信じたいと思い始めます。

しかし、信じることが必ずしも真実に近づくことにはなりません。

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さらに、『すばらしき世界』や『前科者』では、過去に罪を犯した人間を社会がどう受け入れるかという問題が描かれています。

『三度目の殺人』でも、三隅は新しい事件の前から、「再び人を殺すかもしれない人物」という見方を背負わされています。

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誰かを裁くこと。

誰かを信じること。

誰かを理解しようとすること。

それらは、どれも簡単には切り離せません。

『三度目の殺人』によくある疑問

三隅は本当に殺人犯だった?

映画は、三隅が山中光男を殺したかどうかを確定していません。

三隅が実行犯だったと考えられる描写はありますが、咲江との関係や供述の変化も含め、複数の解釈が残されています。

咲江が真犯人なの?

咲江が父親を直接殺したと断定できる証拠はありません。

事件について罪悪感を抱いていることと、実際に手を下したことは区別する必要があります。

「三度目の殺人」とは死刑のこと?

死刑判決や司法による命の選別を意味すると考えることはできます。

ただし、それだけが正解ではありません。

三隅の自己犠牲、裁判で失われた真実、重盛を含めた人々の責任など、複数の意味が重なっています。

三隅は死刑を執行された?

作中で確認できるのは、死刑判決が下されたことまでです。

死刑の執行は描かれていません。

「器」とはどういう意味?

三隅が、周囲の人々の感情や期待、都合のよい説明を受け入れる存在として描かれていることを示す言葉です。

超能力や心を読む能力があると確定しているわけではありません。

十字架は犯人を示す伏線?

十字の形は、罪、裁き、犠牲、責任などを象徴する演出と考えられます。

十字架が映ることだけで、特定の人物が犯人だったとは判断できません。

原作小説はある?

『三度目の殺人』は、是枝裕和監督によるオリジナル脚本の映画です。

小説版は存在しますが、映画をもとにしたノベライズであり、映画が既存の小説を原作にしているわけではありません。宝島社『三度目の殺人』書籍情報

実話をもとにした映画?

特定の実際の事件を映画化した作品ではありません。

ただし、監督は弁護士への取材や裁判の傍聴、模擬裁判などを通して、司法の現場を作品に反映しています。

まとめ|『三度目の殺人』が裁くのは「分かったつもりになること」

『三度目の殺人』は、真犯人を明かすためだけの映画ではありません。

三隅が何をしたのか。

咲江が何を抱えていたのか。

重盛が最後に何を理解したのか。

そのすべてに、明快な答えが用意されているわけではありません。

しかし、確かなことがあります。

一人の人間を「殺人犯」と呼ぶだけでは、その人の人生は説明できないということです。

被害者と呼ばれる人間にも、他者を傷つけていた過去があるかもしれない。

加害者と呼ばれる人間にも、誰かを守ろうとした事情があるかもしれない。

正しい手続きを踏んだ判決でも、すべての苦しみを救えるわけではない。

だからこそ、ラストで重盛は立ち止まります。

誰を裁くのか。

誰を守るのか。

誰の言葉を信じるのか。

そして、自分は本当に何を知っていたのか。

三度目に殺されたものが三隅だったのか、真実だったのか、それとも他人を理解しようとする姿勢だったのか。

その答えを一つに決められないこと自体が、この映画の最も重要な意味なのです。