耳の聞こえない母親が、遠く離れて暮らす息子に電話をかける。
自分には相手の声が聞こえないことを知っている。それでも、もしかしたら電話なら息子の声が届くかもしれないと願う。
映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』には、そんな切なく、不器用な場面が登場します。
しかし、この作品を単純に「耳の聞こえない母親と息子の感動物語」と考えるだけでは、見落としてしまうものがあります。
主人公の五十嵐大は、母親から十分な愛情を受けて育ちました。それでも成長するにつれて母親を疎ましく感じ、手話を使わなくなり、故郷から逃げるように東京へ向かいます。
なぜ大は、大好きだった母親を傷つけてしまったのでしょうか。
母親からの電話には何が込められていたのでしょうか。
そして、ラストの駅で大が涙を流した理由とは。
本記事では、CODAという立場、母・明子と父・陽介との関係、補聴器、手話、駅の場面、実話との関係、タイトルの意味まで考察します。
※この記事には、映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の結末に関するネタバレがあります。
- 映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の作品情報
- まず結論|本作が描いているのは「母を理解する話」だけではない
- 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』のあらすじ
- CODAとは? 大が生きてきた「ふたつの世界」
- 大はなぜ母親を疎ましく感じたのか
- 補聴器が示すのは「聞こえるようになる奇跡」ではない
- 父・陽介はなぜ大を東京へ行かせたのか
- 母・明子はなぜ大に電話をかけたのか
- 智子と彩月との出会いが、大の考え方を変えた理由
- 手話が変化することで見えてくる、大の成長
- 父親は死んだのか? 病院の場面が示すもの
- 母・明子はなぜ大を産むことを反対されたのか
- ラストの駅で大が泣いた理由
- なぜ最後に大はパソコンへタイトルを打ち込んだのか
- 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』というタイトルの意味
- 主題歌「letters」と、母との手紙が意味するもの
- 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』はどこまで実話なのか
- 映画のあと、原作者の両親はこの作品を見たのか
- 『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』との共通点
- 『LOVE LIFE』『ケイコ 目を澄ませて』『37セカンズ』と重なる視点
- まとめ|ふたつの世界を隔てていたものは何だったのか
映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の作品情報
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、2024年に公開された呉美保監督の作品です。
- 公開日:2024年9月20日
- 上映時間:105分
- 監督:呉美保
- 脚本:港岳彦
- 原作:五十嵐大『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』
- 五十嵐大:吉沢亮
- 五十嵐明子:忍足亜希子
- 五十嵐陽介:今井彰人
- 河合幸彦:ユースケ・サンタマリア
- 鈴木広子:烏丸せつこ
- 鈴木康雄:でんでん
- テーマソング:下川恭平「letters」
呉美保監督にとって、『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』に続く、9年ぶりの長編映画でした。
母親役の忍足亜希子さん、父親役の今井彰人さんをはじめ、ろう者の登場人物には実際にろう者の俳優が起用されています。映画公式サイト・作品紹介
まず結論|本作が描いているのは「母を理解する話」だけではない
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の中心にあるのは、息子が母親の愛情に気づくことだけではありません。
それ以上に重要なのは、
家族を恥ずかしいと感じるようになった理由を、自分と家族の問題だけで終わらせないことです。
大は最初から、母親を嫌っていたわけではありません。
幼いころの大にとって、母親と手話で話すことも、買い物を手伝うことも、ごく自然な日常でした。
ところが周囲の人たちから母親を特別視され、好奇の目で見られるようになると、その日常が急に「普通ではないもの」に見え始めます。
大が母親から離れようとしたのは、母親の愛情が足りなかったからではありません。
自分たちの家族を「かわいそう」「普通ではない」と決めつける視線から逃げたかったのです。
しかし、東京で別の人々と出会った大は、自分が逃げたかったのは母親そのものではなく、家族を取り巻いていた狭い価値観だったと気づいていきます。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』のあらすじ
宮城県の港町で生まれた五十嵐大は、耳の聞こえない父・陽介と母・明子、祖父母に囲まれて育ちます。
幼い大にとって、母親と手話で会話することは特別なことではありません。
買い物に出かけたときは店員の言葉を母親に伝え、母親が言いたいことを相手に伝える。家では手紙を交換し、笑い合う。
家族のなかには、大なりの穏やかな世界がありました。
しかし、学校へ通い始めると、周囲の目が変化を生みます。
母親の話し方を珍しがる同級生。手話を面白半分に見る人たち。両親を手伝う大を「かわいそう」「偉い」と決めつける大人たち。
やがて大は、母親と人前で話すことを避けるようになります。
進学への不安も重なり、苛立ちは母親に向けられていきます。
20歳になった大は、自分を知る人のいない東京へ。
ところが、そこで出会ったろう者たちとの交流を通じて、大は自分の家族と人生を別の角度から見つめ直すことになります。
CODAとは? 大が生きてきた「ふたつの世界」
CODAは「Children of Deaf Adults」の略称です。
一般的には、耳が聞こえない、または聞こえにくい親のもとで育った、聞こえる子どもを指します。
大は、両親が生活する「聞こえない世界」と、自分が学校や社会で暮らす「聞こえる世界」の両方に関わって育ちました。
ただし、ここで気をつけたいのは、CODAであること自体が必ず苦しみや不幸を意味するわけではないということです。
家庭の状況も、親子の関係も、一人ひとり異なります。
大の場合、苦しさが生まれたのは、聞こえる子どもである自分が、家族と社会をつなぐ役割を当然のように引き受けるようになったからです。
買い物での通訳。
電話への対応。
周囲の大人が何を話しているのか、親に伝えること。
親が困っていないか気にかけること。
それらは幼いころの大にとって、母親の役に立てるうれしい経験でもありました。
しかし成長するにつれて、その役割は次第に重くなります。
自分が離れたら、両親は困るのではないか。
祖父母がいなくなったら、誰が親を助けるのか。
自分の進路より、家族を優先しなければならないのではないか。
本来、社会全体で支えるべき意思疎通や生活上の困りごとが、一人の子どもの責任として積み重なっていったのです。
脚本を担当した港岳彦さんも、原作について、主人公が幼いころから親の通訳を担い、そのことが将来の選択にも影響していったと説明しています。脚本家・港岳彦による原作解説
大はなぜ母親を疎ましく感じたのか
大が母親を避けるようになったのは、母親の耳が聞こえないからではありません。
より正確には、母親を見る他人の視線を、自分のなかに取り込んでしまったからです。
家庭のなかでは、明子は明るく、愛情深い母親です。
しかし家の外へ出ると、母親の手話や話し方が珍しがられる。
大自身も「親を助ける健気な子ども」として扱われる。
そのとき大は、二つの異なる母親像に挟まれます。
自分がよく知っている、大好きな母親。
周囲から「普通ではない」と見なされる母親。
その矛盾に耐えきれなくなった大は、母親を守るより先に、自分を守ろうとします。
人前で手話を使わない。
学校の行事に来てほしくないと思う。
聞き取れないと分かっていながら、早口で話す。
どれも母親にとっては残酷です。
ただ、それを単純に「息子が薄情だった」と片づけてしまうと、映画が描いている社会の問題は見えなくなります。
大は、家族を恥じるように生まれたのではありません。
恥じるべきだと思わされてしまったのです。
補聴器が示すのは「聞こえるようになる奇跡」ではない
母親が補聴器を購入する場面も、親子のすれ違いを象徴しています。
明子は、息子の声を少しでも聞きたいと願います。
しかし補聴器をつければ、すべての言葉を明瞭に理解できるようになるわけではありません。
原作者の五十嵐大さんも、実際の体験として、母親が補聴器を購入したものの、音が分かることと、言葉の意味まで正確に聞き取れることは同じではなかったと振り返っています。五十嵐大「息子の『声』を聴きたくて、母は補聴器を買ったけれど」
大にとって、その現実は大きな落胆でした。
少し期待したからこそ、思うように伝わらない現実が、余計につらく感じられたのでしょう。
一方、明子にとって大切だったのは、完全に聞き取れるようになるかどうかだけではありません。
息子の世界に、少しでも近づきたい。
離れていく息子との距離を、できる範囲で埋めたい。
その願いが補聴器に込められています。
大は当時、母親の行動を現実的ではないと感じたかもしれません。
しかし振り返れば、そこにあったのは、息子とつながろうとする母親なりの切実な選択でした。
父・陽介はなぜ大を東京へ行かせたのか
大が東京へ向かう背景には、父・陽介の存在があります。
大は地元にいる限り、自分が「耳の聞こえない親を持つ子ども」として見られ続けることに息苦しさを感じていました。
東京なら、誰も自分の家庭を知らない。
最初から家族の事情を背負わされた人間として扱われない。
だから上京は、大にとって夢を追う行為であると同時に、自分への決めつけから離れる試みでもありました。
ただ、大は家族を置いていくことにも後ろめたさを抱いています。
地元に残り、生活を支えたほうがいいのではないか。
親のために働くべきではないか。
そんな息子の迷いを見た陽介は、東京へ行くよう背中を押します。
この場面が重要なのは、父親自身も、周囲から結婚を反対された過去を抱えているからです。
陽介と明子は、かつて東京へ向かい、二人でフルーツパーラーに立ち寄ったことがありました。
その記憶は、二人が周囲から認められなかった経験と、それでも自分たちの人生を選ぼうとした時間につながっています。
だから陽介は、息子に言葉では言い尽くせない形で伝えているのでしょう。
親のためだけに、自分の人生を諦めなくていい。
親から離れることは、家族を捨てることとは違う。
大が東京へ行くことを認めた陽介もまた、息子の未来を守ろうとしていたのです。
母・明子はなぜ大に電話をかけたのか
東京で暮らす大のもとに、祖母の電話番号から着信が入ります。
しかし、実際に電話をかけていたのは母親でした。
母親は、電話なら息子の声が届くかもしれないと期待していたのです。
もちろん、この場面で明子が大の返事をはっきり聞き取れたわけではありません。
大が答えても、その声は母親に十分には届かない。
それでも、明子は電話の向こうの息子に思いを伝えようとします。
ここで重要なのは、電話が「聞こえる人にとって便利な道具」であることです。
大は耳で母の声を受け取れる。
しかし母は、息子の返事を同じようには受け取れません。
つまり電話は、二人をつなぐと同時に、社会のコミュニケーション手段が誰を基準に作られているのかを浮かび上がらせます。
それでも明子は、使い慣れない手段を選びます。
離れて暮らす息子の無事を確かめたい。
働いている息子を励ましたい。
自分の声だけでも届けたい。
その一方通行の電話が切ないのは、言葉が完全には届かないからです。
しかし同時に、電話の意味は、聞き取れるかどうかだけではありません。
母親が、自分から息子のいる世界へ手を伸ばしたこと。
その事実こそが、大のなかに残っていくのです。
智子と彩月との出会いが、大の考え方を変えた理由
東京で大は、パチンコ店で出会ったろう者の智子と交流するようになります。
さらに、そのつながりから彩月とも出会います。
この出会いによって、大は初めて、家族以外のろう者の生活や考え方に触れます。
それまで大にとって、ろう者とは、ほとんど両親のことでした。
困っていたら助ける。
相手の言葉を代わりに伝える。
聞こえる自分が先回りする。
それが当然だと思っていたのです。
ところが彩月は、親切のつもりで何でも引き受けようとする大に、自分でできることまで奪わないでほしいと伝えます。
この言葉は、大の考え方を揺さぶります。
助けることと、相手の選択を奪うことは同じではありません。
相手が必要としている支援と、自分が良かれと思う支援も、必ずしも一致しません。
大はそこで初めて、母親についても考え直すことになります。
自分は母を守っているつもりだった。
しかし同時に、母を「自分がいなければ何もできない人」と決めつけていたのかもしれない。
本作が丁寧なのは、聞こえる人を一方的に責めることではなく、善意のなかにも見落としが生まれると描いている点です。
手話が変化することで見えてくる、大の成長
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』では、手話が単なる情報伝達の手段として扱われていません。
大の手話は、年齢や親子関係の変化によって、その使い方が変わっていきます。
幼いころの手話には、母親とつながる楽しさがあります。
反抗期の手話には、苛立ちや拒絶が表れます。
東京でろう者たちと出会ったあとの手話には、相手を理解しようとする意識が加わります。
そして母親との関係を見直したあとは、同じ手話が、過去への謝罪や感謝を伝える言葉になっていきます。
手話演出を担当した早瀬憲太郎さんは、主人公の幼少期から大人になるまで、手話の大きさや表情、振る舞いが変化するよう演出したと説明しています。
手の動きだけでなく、視線や身体の向き、相手との距離も含めて、言葉として組み立てられていたのです。早瀬憲太郎インタビュー「手話演出」とは
大切なのは、手話が「音声言語を補うための身ぶり」ではないことです。
母親と大が共有してきた、ひとつの言語です。
大が思春期に手話を使わなくなったことは、単に会話が減ったという意味ではありません。
母親と共有していた世界から、自分で距離を取ったということでもあります。
だからこそ、再び手話で向き合うことは、失っていた関係を少しずつ取り戻す行為になるのです。
父親は死んだのか? 病院の場面が示すもの
物語の終盤、父・陽介がくも膜下出血で倒れます。
結論から言えば、陽介は亡くなっていません。
処置によって命が助かり、大は病院で母親と再会します。
この場面は、映画のなかだけの出来事ではありません。
原作者の五十嵐大さんは2020年に発表した文章で、父親がくも膜下出血で倒れたこと、病院で不安を抱えていた母親に手話で状況を伝えたことを記しています。五十嵐大「父が倒れてしまったあの日、ぼくにとって『塩竈』はかけがえのない街になった」
医師が父親の状態を説明しても、その言葉は母親にそのまま届きません。
大が手話で「大丈夫」と伝えたとき、母親はようやく安心し、感情をあふれさせます。
ここだけを見れば、大は再び「親を助ける子ども」の役割に戻ったようにも見えます。
しかし、以前とは意味が違います。
幼いころの大は、自分が何とかしなければならないと思い込み、責任を背負っていました。
病院での大は、母親の不安を理解したうえで、伝えることを自分で選んでいます。
義務として通訳することと、相手に必要な情報を届けようとすることは同じではありません。
聞こえる世界と聞こえない世界の間に立つことが、大にとって重荷だけではなくなった瞬間だと考えられます。
母・明子はなぜ大を産むことを反対されたのか
父親の入院をきっかけに帰郷した大は、伯母から、自分が生まれる前の話を聞きます。
耳の聞こえない両親が子どもを育てることに、周囲は不安を抱いていました。
しかし明子は反対されても、大を産むことを選びます。
この事実は、大が抱いてきた思いを反転させます。
大は長い間、自分が親を支えなければならないと考えていました。
自分が家族を助けている。
自分がいなければ親は困る。
そう思っていたのです。
しかし実際には、その大自身が、周囲の反対を受けながらも母親に迎え入れられた存在でした。
もちろん、子どもが生まれたことを感謝し続けなければならない、という話ではありません。
重要なのは、明子が単に「助けてもらう人」ではなかったことです。
自分で考え、周囲に反対されても決断し、家族を育ててきた一人の人間だった。
大が初めて母親の人生を、自分とは別の人生として見つめる場面でもあります。
ラストの駅で大が泣いた理由
本作のクライマックスは、駅で母親の姿を見つめる場面です。
大の記憶には、かつて東京へ向かう前に母親と過ごした一日がよみがえります。
母親と一緒にスーツを選ぶ。
食事をする。
電車に乗って話す。
周囲に人がいるなかでも、自然に手話で会話する。
大にとっては、母親と出かけた一日です。
しかし明子にとって、その時間は特別でした。
思春期以降、大は人前で母親と手話を使うことを避けるようになっていたからです。
だから明子は、息子が周囲を気にせず手話で話してくれたことに感謝します。
母親にとっては、ただ息子と会話できたことがうれしかった。
大は、そのことに初めて気づきます。
自分にとっては、人に見られることを恐れていた手話。
母親にとっては、息子と同じ時間を過ごすための大切な言葉。
同じ行為でも、二人が受け取っていた意味は違いました。
大が流した涙には、さまざまな感情が重なっています。
母親を避けてきた後悔。
自分を送り出そうとしてくれた母親への感謝。
人前で会話するだけで母親が喜ぶほど、距離をつくっていたことへの気づき。
そして、それでも変わらず愛されていたという実感。
脚本家の港岳彦さんは、原作にある駅の場面に強く心を動かされ、その場面を起点に映画の脚本を構成したと明かしています。脚本家・港岳彦による駅の場面についての解説
つまり、駅の場面は単なる感動的な終盤ではありません。
この映画全体を支えている、物語の中心です。
なぜ最後に大はパソコンへタイトルを打ち込んだのか
駅で母親と別れたあと、大は電車のなかでパソコンを開きます。
そして、自分の経験を書き始めます。
そこに打ち込まれるのが、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』という言葉です。
この場面は、大が家族を完全に理解した、という意味ではありません。
過去の後悔がすべて消えたわけでも、聞こえる人と聞こえない人の間にある不便が解消されたわけでもありません。
それでも、大は以前とは違う位置に立っています。
かつての大は、自分の生い立ちを知られたくありませんでした。
両親のことを隠し、誰にも事情を知られない場所へ行こうとしていました。
その大が最後には、自分の人生を言葉にしようとします。
つまり、隠したかった経験を、自分で語れる経験へと変えていくのです。
「障害のある親の子ども」と一方的に定義されるのではなく、
自分の言葉で、自分が生きてきた世界を描く。
その選択が、ラストの原稿に表れています。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』というタイトルの意味
タイトルにある「ふたつの世界」は、まず、聞こえる世界と聞こえない世界を示しています。
しかし映画を見終えると、それだけではないことが分かります。
家族の内側の世界と、外側の社会。
幼いころに感じていた安心と、成長してから抱えた恥ずかしさ。
母親を避けたい気持ちと、母親を愛している気持ち。
自分の過去を隠したい思いと、誰かに伝えたい思い。
大は、いくつもの異なる感情の間で生きてきました。
大切なのは、最後にどちらか一方を選ぶことではありません。
聞こえる世界にだけ属する必要もない。
聞こえない世界のすべてを理解しなければならないわけでもない。
その間を行き来してきた自分の人生を、自分のものとして認める。
タイトルは、二つの世界が完全に分かれていることを示すだけではなく、その境界に立つ人間にも、自分の物語があることを示しているのでしょう。
主題歌「letters」と、母との手紙が意味するもの
本作のテーマソングは、下川恭平さんが歌う「letters」です。
映画公式サイトによると、歌詞は呉美保監督が担当しています。
公式ニュースでは、母親が息子へ送る荷物や手紙とともに、この楽曲が紹介されています。映画公式サイト・ニュース
「letters」は、手紙を意味する言葉です。
幼い大と明子は、家のなかで手紙を交換していました。
直接話せないから手紙を書く、というだけではありません。
相手に届けたい気持ちがあるから、別の方法を見つける。
その行為が、二人の関係を支えていました。
手話も、電話も、補聴器も、手紙も、それぞれ完全な手段ではありません。
聞き違えることもある。
誤解することもある。
片方にしか届かないこともある。
それでも相手に伝えようとする。
「letters」という題名は、その積み重ねを表しているように思えます。
なお、下川恭平さんは、呉美保監督の『きみはいい子』にも子役として出演していました。
本作でテーマソングを担当したことは、監督が過去の作品で築いたつながりが、別の形で続いていることも感じさせます。映画公式サイト・キャストとスタッフ紹介
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』はどこまで実話なのか
本作は、作家・五十嵐大さんの自伝的エッセイを原作としています。
原作の単行本『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』は、2021年に発売されました。
その後、2024年には『ぼくが生きてる、ふたつの世界』として文庫化されています。原作単行本|幻冬舎・文庫版|幻冬舎
原作者自身が文章で明らかにしている事柄には、以下のようなものがあります。
- 耳の聞こえない両親のもとで育ったこと。
- 周囲の偏見や好奇の目に傷ついたこと。
- 母親との関係に葛藤を抱えたこと。
- 母親が補聴器を購入したこと。
- 父親がくも膜下出血で倒れたこと。
- 病院で母親に手話で状況を伝えたこと。
ただし、映画のすべての会話や人物の描写が、現実でまったく同じだったとは限りません。
呉美保監督はインタビューで、原作をそのまま回想形式にするのではなく、主人公が生まれてから成長していく時間を追う構成にしたと説明しています。呉美保監督インタビュー
つまり本作は、実際の経験を基にしながら、その意味が伝わるよう再構成された映画です。
「実話だから感動的」というだけではなく、体験がどのように映画の物語へ変換されたのかにも注目したい作品です。
映画のあと、原作者の両親はこの作品を見たのか
本作について考えるうえで、映画の外側にある後日談も重要です。
五十嵐大さんは2026年に発表した文章で、自分の両親が映画の公開初日に劇場へ足を運び、その後も友人や知人を誘って繰り返し鑑賞したと明かしています。
原作者は、母親が作品を見て傷つくのではないかと心配していました。
映画には、息子が母親を恥ずかしく感じたことも、家族に苛立ちをぶつけたことも描かれているからです。
しかし実際には、両親は吉沢亮さんの手話や、父親が倒れる場面、幼いころの思い出について、生き生きと語ったといいます。
ここで見えてくるのは、映画のラストの、その先です。
大が自分の経験を書いたからこそ、家族は同じ作品について話し合えた。
かつてはすれ違いの原因になっていた出来事が、共有できる思い出になったのです。
ただし、五十嵐さんは、バリアフリー字幕版の上映機会が限られていたことについても問題提起しています。
聞こえない人と聞こえる人の関係を描いた映画であっても、当事者が十分に見られる環境がなければ、本当の意味で世界をつなぐことはできません。
この指摘まで含めて考えると、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、親子の和解だけで終わる物語ではありません。
誰もが同じ作品を見て、違う感想を話し合える社会を、どうつくるのか。
映画の外側にも、その問いは続いています。五十嵐大「邦画にも字幕は必要なんじゃないか」
『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』との共通点
呉美保監督の過去作を振り返ると、本作とのつながりが見えてきます。
『そこのみにて光輝く』の考察記事では、貧困や介護、暴力といった問題を抱えた人々が描かれていました。
登場人物たちは、それぞれ困難を抱えています。
しかし映画は、誰かを単純な被害者や加害者に固定するのではなく、その人が置かれた環境まで見つめようとしていました。
『きみはいい子』の考察記事でも、虐待や孤立を抱えた子どもたちに対して、大人がどう向き合うのかが問われています。
どちらの作品にも共通しているのは、目の前にいる人を、一つの立場だけで判断しない視線です。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』でも同じです。
大は、親を支える立派な息子であるだけではありません。
母親を傷つけたこともあるし、自分の弱さから逃げることもあります。
明子も、息子を献身的に愛するだけの母親ではありません。
自分の意思を持ち、自分で人生を選んできた一人の人間です。
陽介も、ただ寡黙に家族を支える父親ではありません。
周囲に反対された過去を持ち、息子の迷いを理解しながら送り出した人です。
呉監督の作品は、社会的な立場や分かりやすい評価から、その人を解放しようとしているのかもしれません。
聞こえること、聞こえないこと。
支える側、支えられる側。
普通、普通ではない。
そうした境界線だけでは、人の人生を説明できないのです。
『LOVE LIFE』『ケイコ 目を澄ませて』『37セカンズ』と重なる視点
本作が印象に残った人には、以下の作品もあわせて考えることをおすすめします。
『LOVE LIFE』の考察記事では、家族であっても相手を完全には理解できないことと、それでも関係を結び直そうとする姿が描かれています。
『ケイコ 目を澄ませて』の考察記事では、耳の聞こえない主人公の人生を、単純な克服や成功の物語にしない視線が印象的です。
『37セカンズ』の考察記事では、守るつもりだった家族の愛情が、本人の選択を狭めてしまうことが描かれています。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』に共通しているのは、誰かを大切に思うことと、相手の人生を決めてしまうことが同じではない、という視点です。
相手を理解しきれなくても、決めつけずに向き合うことはできる。
助けたいと思っても、まず相手が何を望んでいるかを知る必要がある。
家族を愛していても、自分の人生を生きることはできる。
本作は、その難しさを静かに描いています。
まとめ|ふたつの世界を隔てていたものは何だったのか
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、耳の聞こえない母親と、聞こえる息子が心を通わせるだけの物語ではありません。
大が母親から離れたのは、愛情がなかったからではありませんでした。
自分たちの家族を「かわいそう」「普通ではない」と決めつける視線から逃げたかったのです。
母親が補聴器をつけ、電話をかけ、手紙を書いたのは、完璧に言葉を伝えるためだけではありません。
離れていく息子と、それでもつながっていたいと願ったからでした。
そして、ラストの駅で大が涙を流したのは、母親の愛情に突然気づいたからだけではありません。
自分が恥ずかしいと思っていた時間のなかにも、すでに大切なつながりがあったと知ったからです。
聞こえる世界と、聞こえない世界。
その二つを隔てていたものは、耳の違いだけではなかったのでしょう。
他人の視線。
「普通」という思い込み。
助ける側と助けられる側を分ける決めつけ。
そして、相手の気持ちを理解したつもりになってしまうこと。
最後に大が自分の経験を書き始めるのは、それらの境界線をなくすためではありません。
境界線があることを知ったうえで、そこに生きる人の声を、自分の言葉で届けるためです。
大が生きてきたのは、分断された二つの世界ではありません。違う言葉や違う経験を持つ人たちが、それでもつながろうとしている、一つの世界だったのだと思います。

