映画『ミスミソウ』ネタバレ考察|ラストの意味は?相場の正体と原作との違いを解説

※この記事には、映画『ミスミソウ』(2018年公開)と原作漫画の結末に関する重大なネタバレがあります。物語で示される出来事と制作陣の発言を踏まえ、人物の心理や映像の意味は一つの解釈として考察します。

雪の中で多くの命が失われたあと、映画『ミスミソウ』は、卒業を迎えた小黒妙子の姿を映します。

なぜ、いじめのきっかけを作った妙子が生き残るのでしょうか。春花を支えていたはずの相場晄は、どうして彼女を傷つけるのでしょうか。そして、最後の教室に重なる春花の姿は、何を意味するのでしょうか。

本作では、誰かに必要とされたいという願いが、相手の自由を奪い、傷つける行為へと変わっていきます。その一方で、終盤には、自分がしてしまったことを認め、相手に向き合おうとする時間も残されています。

結末と登場人物の関係を整理しながら、映画版が原作とは異なるラストに託したものを読み解きます。

映画『ミスミソウ』の作品情報とあらすじ

項目内容
日本公開日2018年4月7日
監督内藤瑛亮
脚本唯野未歩子
原作押切蓮介『ミスミソウ 完全版』
主な出演山田杏奈、清水尋也、大谷凜香、大塚れな
上映時間114分
映倫区分R15+
配給ティ・ジョイ

作品情報は、日活とVAPの公式紹介を参照しています。日活

東京から雪深い地方の中学校へ転校してきた野咲春花は、クラスメートからいじめを受けています。同じ転校生の相場晄との交流が、彼女にとって心の支えでした。

しかし、自宅への放火によって両親が死亡し、妹の祥子も大やけどを負います。さらに、事件に関わった同級生たちは春花を追い詰め、口を封じようとする。家族を奪われた春花は、彼らへの復讐を始めます。vap.co.jp

結末を整理|春花は助かった?妙子は生き残った?

春花は終盤、流美に刺され、相場からも激しい暴力を受けます。最後にはボウガンで相場を倒しますが、その後に救助され、生還したことは示されません。映画は、春花の死を強く示唆する結末を迎えます。

一方、妙子は流美の襲撃を生き延び、卒業式に出席します。映画が最後に見つめるのは、傷を負って残された妙子と、春花と過ごした時間です。eigamanzai.com

最後の教室に重なる春花の姿は、妙子の記憶として受け取ることができます。かつて隣にいた人を思い出すことで、現在の教室にある空席の重さが伝わってくるのです。

相場晄の正体|春花を守る気持ちは、なぜ暴力に変わったのか

相場は、孤立した春花に寄り添う存在として登場します。周囲が敵に見える学校で、自分の話を聞き、一緒に過ごしてくれる人がいる。その時間が春花にとって大切だったことは、彼の本性が明らかになったあとも消えません。

しかし、相場が思い描く二人の将来には、春花自身が選ぶ余地がほとんどありません。

彼は春花と東京で暮らす計画を一方的に膨らませ、その願いを妨げる人に暴力を向けます。春花の祖父が重傷を負ったことも、彼の支配的な振る舞いと結びついていきます。

相場は、父親が暴力を振るう家庭で育ち、自分も家族に暴力を向けていた過去を語ります。その告白によって、彼がすでに親しい人を傷つける関係を繰り返していたことが分かります。春花に対する暴力も、その延長として見えてきます。eigamanzai.com

ここから見えるのは、相場にとって「一緒にいること」が、相手にも選んでもらう関係から、自分の希望を受け入れさせる関係へ変わっていることです。

春花が相場を必要としているあいだ、彼は優しい人でいられる。しかし、春花が異なる意思を示すと、その意思を受け止められなくなる。彼の優しさには、自分が望む役割を相手に求める危うさが含まれていたのでしょう。

火事の写真が明かす、相場の視線

その危うさが最もはっきり表れるのが、火災の現場で撮影された写真です。

相場は祥子を救い出す一方で、妹をかばう父親の姿を写真に収めていました。春花にとって家族を失った現場が、相場にとっては、価値を見いだす被写体にもなっていたのです。eigamanzai.com

この写真を見た春花は、相場と自分が、あの火事をまったく違う場所から見ていたことを知ります。

写真には、目の前の相手を、自分が見たい姿にとどめる働きがあります。相場は春花に対しても、自分に守られ、自分と生きる少女であることを求めていたように見えます。

写真の中の人は、撮影者へ異議を唱えません。けれども、生きている春花には拒む意思があります。その違いを受け入れられないところに、相場の恐ろしさがあると考えられます。

妙子が春花をいじめた理由|親しさが嫉妬へ変わるまで

妙子の態度を、好きな男子を春花に奪われた腹いせとして整理すると、二人の関係を見失います。

転校してきた春花に最初に声をかけたのは妙子でした。美容師になる夢を持つ妙子と、髪を切ってもらう春花のあいだには、親しい時間がありました。

妙子にとって失いたくなかった相手は、春花です。春花が相場と親しくなることで、自分の居場所がなくなるように感じた。その思いが、春花を遠ざけ、いじめを生む方向へ進んでしまいます。シネマノーツで映画の解釈をネタバレチェック

本来なら、また話したい、一緒に過ごしたいと伝えることもできたはずです。しかし妙子は、教室の中で持っていた影響力を使い、相手を傷つけることで関係を動かそうとします。

映画版で妙子がいじめの背後に位置することについて、内藤監督は、原作からの意図的な脚色だったと説明しています。直接手を下す生徒たちの向こう側に、関係をこじらせた妙子がいる。その配置が、後半の告白へつながっています。SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス

春花が妙子に向き合う場面の意味

終盤、妙子は春花のもとを訪れ、自分の責任を認めて許しを求めます。

春花はそこで、妙子が最初に声をかけてくれたことを語ります。二人のあいだには、取り返しのつかない加害と、それ以前に確かにあった親しさの両方が存在しているのです。

この場面で注目したいのは、春花が、目の前の相手へ言葉を返すことです。

復讐の中で春花は、加害者を倒すことへ自分の力を注いできました。妙子との対話では、かつて自分に向けられた好意や、相手のこれからの人生にまで意識が届く。その瞬間、春花自身の感情の広がりが、もう一度見えるようになります。

流美はなぜ放火した?いじめられたくない恐怖と、妙子への執着

佐山流美の行動を考えるうえでは、彼女自身もいじめの対象だったことが欠かせません。

春花が学校へ来なくなると、教室の攻撃は流美へ戻ってきます。春花を連れ戻すよう迫られる彼女にとって、春花の不在は、自分の安全が失われることでもありました。

その恐怖に、妙子に認めてもらいたい気持ちが重なります。流美は、自分の存在を示そうとして、放火へと踏み込んでいきます。mihocinema.com

ここでは、一人を傷つけることで、別の誰かとのつながりを得ようとしています。春花の家族の命が、流美自身の立場を変える手段として扱われてしまう。その身勝手さが、事件の残酷さを大きくしています。

流美が受けた被害と、彼女が犯した加害は、どちらも見つめる必要があります。いじめの苦痛を経験したことが、他人の痛みを理解する力へ結びつかず、自分が攻撃される側から抜け出すことに向かってしまったのです。

また、妙子が春花と向き合おうとすると、流美は妙子にも刃を向けます。必要とされたい相手にも、自分の期待を裏切ることを許せない。その点で流美と相場の振る舞いは重なっています。

南先生が示すもの|子どもを守る役割と、消えなかった過去

担任の南先生にも、かつていじめられた経験があります。しかし、その経験が、目の前の春花を守る行動につながっているとはいえません。

南先生は、自分の過去を刺激されると、現在の教室や保護者との関係を、かつての恐怖と重ねるようになります。教師という立場を得たあとも、傷ついた頃の自分に引き戻されてしまうのです。

内藤監督はインタビューで、南先生を、十代の頃の鬱屈を大人になっても引きずる人物として挙げています。Cinema Art Online [シネマアートオンライン]

その姿から浮かび上がるのは、年齢や肩書だけでは、過去の傷との距離は生まれないということです。しかも南先生は、今は子どもを守る責任を負っています。自分の苦しさに圧倒されるあいだにも、生徒たちへの加害は続いてしまいます。

春花にとって、学校へ相談することが安全につながらない。その行き詰まりが、教室を、外へ助けを求めにくい場所として感じさせます。

原作と映画の違い|妙子を生き残らせたことで何が変わったのか

原作と映画の大きな違いは、妙子の描き方と、その運命にあります。

比較する点原作漫画実写映画
妙子のいじめへの関わり方妙子自身も率先して直接的ないじめを行う橘たちが直接手を下し、妙子はその背後に位置する
妙子の運命流美に襲われて死亡する襲撃を生き延び、卒業式に出席する

監督と原作者の対談では、この変更が具体的に語られています。内藤監督は、妙子が惨劇のきっかけを作った人物として、その後を生きることに注目しています。SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス

妙子が生き残ったことで、映画には、事件のあとにも続く時間が生まれます。

命を落とした人に、もう謝ることはできない。自分が何をしたかを認めても、教室の空席は埋まらない。それでも、残された人は日々を生きなければならない。

映画版のラストは、その時間を妙子に引き受けさせます。春花との対話によって得られたものと、二度と取り戻せないものを、同時に抱えて生きる結末なのです。

最後の教室の意味|春花との記憶が、妙子に残したもの

卒業式のあと、妙子が向かう教室には、かつての仲間たちがいません。そこで春花と笑い合う時間が重なることで、観客は、二人が持っていた関係の可能性をもう一度見ることになります。

一緒に話すこと。将来の夢を聞くこと。髪を切ってもらうこと。

そうした小さな交流が、いじめの前にはありました。終幕は、その時間がどれほどかけがえのないものだったかを、失われたあとで示します。

原作者の押切蓮介は、教室のラストシーンが加わったことで、映画に希望を感じたと話しています。山田杏奈も、原作と異なる脚本の結末に、より希望を感じたと述べています。ライブドアニュース

その発言を手がかりにすると、ラストの希望は、妙子が春花を大切に思える記憶を持って、これからを生きることに見いだせます。

ただ、その記憶には痛みが伴います。楽しく過ごせた時間を思い出すほど、なぜ自分はその関係を壊したのか、という問いが戻ってくるからです。

妙子の手に残る傷も、その重さを伝えます。美容師を夢見ていた彼女にとって、手は将来へつながる大切な身体でした。襲撃の傷は、惨劇が卒業の日にも続いていることを、目に見える形で残しています。

教室から外へ出たあと、妙子がどう生きるかを映画は詳しく語りません。その余白があるからこそ、春花の記憶を持ち続けることと、これから誰かにどう接するかが、彼女自身の課題として残るのでしょう。

タイトル「ミスミソウ」と、雪の白・血の赤が示すもの

作品の中で語られるミスミソウは、厳しい冬を越え、雪を割るようにして咲く花です。題名には、過酷な時間のあとに、どのような生が続くのかという問いが込められていると読めます。vap.co.jp

春花には、相場と話し、学校を卒業し、その先へ進む未来があったはずでした。けれども、周囲の暴力は、その未来を少しずつ奪っていきます。

映画の白い雪と赤い血の対比は、その喪失を強く印象づけます。

内藤監督は、春花の衣装にも赤を段階的に広げ、復讐へ進むにつれて血に染まっていくイメージを重ねたと説明しています。色の変化は、春花が何をされ、どう変わってしまったのかを、言葉に頼らず伝えています。Cinema Art Online [シネマアートオンライン]

そして、最後まで残された妙子にも、冬を越えた先の時間があります。

その先で花を咲かせることができるのか。誰かを必要とするとき、相手の自由や気持ちを尊重できるのか。

『ミスミソウ』の終幕は、春花と妙子が笑い合えた時間を残しながら、その後を生きる人へ問いを渡しています。教室に差す光の温かさと、そこに春花がいない寂しさが、ともに胸に残るラストです。

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参考資料