※この記事には、映画『セッション9』の結末を含む重大なネタバレがあります。
廃墟となった巨大な精神病院。
そこでアスベスト除去作業を請け負った5人の男たちは、誰もいないはずの建物のなかで、少しずつ何かに追い詰められていきます。
地下に残されていた患者の録音テープ。
姿を消す仲間。
ゴードンにだけ聞こえる声。
そして、最後の「セッション9」で明らかになるサイモンという存在。
映画『セッション9』が不気味なのは、最後まで観ても「ゴードンは悪霊に操られたのか、それとも最初から壊れていたのか」という疑問が完全には解消されないことです。
この記事では、ゴードンが家族に何をしたのか、サイモンの正体、9本目のテープが意味するもの、そしてラストに残された恐怖について考察します。
『セッション9』とは?
『セッション9』(原題:Session 9)は、ブラッド・アンダーソン監督による2001年のアメリカ映画です。
監督・脚本をブラッド・アンダーソン、共同脚本をスティーヴン・ジェヴェドンが担当。ピーター・ミュラン、デヴィッド・カルーソ、ジョシュ・ルーカスらが出演しています。
舞台となるのは、閉鎖された巨大精神病院。
ゴードン率いるアスベスト除去業者が短期間での作業を請け負いますが、建物に入った直後からゴードンの様子に異変が現れます。
一方、作業員のマイクは地下の資料室で、かつて入院していた患者メアリー・ホッブスの治療記録を発見します。
録音されていたのは9回の面談。
そこには、メアリーだけではなく「プリンセス」「ビリー」、そして誰も呼び出したがらない「サイモン」という人格の存在が記録されていました。
タイトルの『セッション9』とは、その最後の第9回の面談を指しています。
〖結論〗ゴードンは何をしていたのか
まず、物語の最大の仕掛けを整理しておきます。
終盤で明らかになるのは、仲間たちを襲っていた犯人がゴードン自身だったという事実です。
さらに、それ以前にゴードンは妻ウェンディと幼い娘をすでに殺していました。
ゴードンは仲間に対し、
妻に熱湯をかけられ、思わず彼女を叩いてしまった
という程度の出来事として説明します。
しかし、それはゴードン自身が耐えられる形に作り替えた記憶でした。
実際には、その瞬間に彼の怒りが爆発し、妻と娘を殺してしまったのです。
映画はこの真実を最初から隠しているわけではありません。
ゴードンの手に付着した血、病院内に置かれた花、妻との不自然な電話など、「すでに何か取り返しのつかないことが起きている」ことを示す断片が散りばめられています。終盤になって、それらの意味が一気につながります。
つまり本作は、
「病院に入ったゴードンが徐々に狂っていく物語」
だけではありません。
むしろ、
すでに壊れていたゴードンが、自分のしたことを認識していく物語
として見ることができます。
ゴードンはいつ家族を殺したのか
重要なのは時系列です。
ゴードンが家族を殺したのは、物語のかなり早い段階だったと考えられます。
仕事を獲得した日の夜、彼は花を持って家へ帰ります。
妻との間には育児をめぐる疲れや緊張があり、ゴードン自身も精神的に追い詰められていました。
妻が料理中の熱湯を誤って彼にかけたことをきっかけに、彼は激昂します。
ゴードンはその出来事を「妻を叩いただけ」と記憶しています。
しかし映画終盤では、その記憶の先が示されます。
彼が殺した事実そのものを忘れたというよりも、あまりに耐え難い出来事を意識から切り離し、自分に都合のいい記憶へ置き換えていたのでしょう。
そのため、彼が妻に電話をかけている場面も非常に恐ろしい意味を持ちます。
ゴードンは生きている妻と会話していたのではありません。
自分が彼女を殺したという事実を認められないまま、まだ日常が続いているかのように振る舞っていたのです。
サイモンの正体とは?
では、最大の謎であるサイモンとは何なのでしょうか。
作中では、メアリー・ホッブスの治療記録に複数の人格が登場します。
プリンセス。
ビリー。
そしてサイモン。
サイモンについて尋ねられると、ほかの人格は明らかに恐れを示します。
そして第9回の面談で、ついにサイモンが姿を現します。
彼は、メアリーが過去に家族を殺した事件にも関わっていたことをほのめかします。
ここで重要なのは、映画がサイモンを単なる「メアリーの中の人格」として終わらせていないことです。
ゴードンもまた、病院のなかでサイモンらしき声を聞きます。
つまり映画は、
「サイモンはメアリーだけに存在するのか?」
という疑問を残します。
解釈① サイモンは病院に残った悪霊
最もホラー映画らしい解釈は、サイモンを超自然的な存在と考えるものです。
メアリーを暴力へ導いた何かが病院に残り、精神的に弱っていたゴードンを新しい宿主として選んだ。
そう考えれば、ゴードンが病院に入った直後から声を聞き始めることにも説明がつきます。
舞台となった病院そのものも、この解釈を強烈に後押しします。
『セッション9』はセットではなく、実際に存在したマサチューセッツ州の旧ダンヴァース州立病院で主要部分が撮影されました。同院は1992年に閉鎖され、その後大部分が取り壊されています。
長い廊下。
地下通路。
患者の私物。
古い医療器具。
それらがほとんど説明されないまま画面に存在しているため、「この建物そのものが何かを記憶している」という感覚が生まれます。
サイモンを病院に残留する悪意と考えても、物語として矛盾はありません。
解釈② サイモンはゴードン自身の“闇”
しかし、より重要なのはこちらの解釈だと思います。
サイモンは超自然的な悪魔ではなく、人間が持つ暴力性そのものを象徴している。
ブラッド・アンダーソン監督はインタビューで、本作を単なるショック型のホラーではなく、徐々に逃げ場のない恐怖を築く「キャラクター・スタディ」として作ったと語っています。
また監督は『セッション9』と『マシニスト』に共通する重要な要素として「罪悪感」を挙げています。
この視点で見ると、サイモンはゴードンを外から操った怪物ではありません。
ゴードンのなかにすでに存在していたものです。
疲労。
仕事への重圧。
金銭的不安。
父親になったことへの戸惑い。
夫婦関係の摩擦。
そして怒り。
それらが積み重なり、ほんの一瞬のきっかけによって暴力として噴き出した。
サイモンとは、その瞬間に人間が責任を押しつけたくなる「もう一人の自分」なのではないでしょうか。
「弱い者、傷ついた者の中にいる」が意味するもの
映画の最後に、サイモンは自分がどこにいるのかを語ります。
その答えは、本作全体を読み解く鍵です。
サイモンは特定の部屋や病院に住んでいるのではありません。
「弱さ」や「傷」を抱えた人間の内側に存在する。
監督自身も、この言葉について、人間の悪を単純な「自分とは違う怪物」として切り離すのではなく、壊れた人間の内側から考えることに関心があると語っています。
だからこそ本作の恐怖は、幽霊がいるかどうかではありません。
ゴードンは特別な殺人鬼ではありませんでした。
仕事をして、家族を養い、仲間から信頼されていた普通の男です。
その普通の人間の内部に、サイモンは入り込む。
あるいは、最初から存在している。
そこに『セッション9』最大の恐怖があります。
なぜマイクはメアリーのテープを聞き続けるのか
マイクが聞くメアリーの録音は、一見するとゴードンの物語とは別のサブストーリーに見えます。
しかし、この二つは同じ構造を持っています。
メアリーは、自分が家族に何をしたのかを認識できません。
ゴードンも、自分が家族に何をしたのかを認識できません。
メアリーの記憶が9回のセッションを通じて少しずつ明らかになるのと同時に、ゴードンの隠された記憶も少しずつ姿を現します。
つまり9本のテープは、単なる恐怖演出ではありません。
メアリーの精神を調べているように見せながら、実際にはゴードンの精神状態を説明している装置なのです。
映画研究でも、本作ではメアリーの録音とゴードンの精神崩壊が重ね合わされ、最終的にサイモンの声が病院とゴードン双方の境界を曖昧にしていると指摘されています。
なぜタイトルは『セッション9』なのか
タイトルが「サイモン」でも「ダンヴァース」でもなく、『セッション9』であることにも意味があります。
第1回から第8回までの面談では、核心にいるサイモンは姿を見せません。
最後の9回目で、ようやく隠されていた存在が表に出ます。
ゴードンも同じです。
映画の大部分で、観客が見ているのは彼が自分自身について作り出した物語です。
「妻と揉めている男」
「仕事に追われている経営者」
「精神的に疲れている父親」
しかし最後になって、隠されていたゴードンが姿を現します。
9回目のセッションでサイモンが現れる。
映画の第3幕で、本当のゴードンが現れる。
この二つが重なるため、『セッション9』というタイトルそのものが映画の構造を示しているのです。
ゴードンがフィルに「起きろ」と言われる意味
クライマックスでは、ゴードンの前にフィルが現れ、彼に現実を見るよう迫ります。
しかし直後、フィルの姿は消えます。
なぜなら、その時点ですでにゴードンはフィルを殺しているからです。
つまり、ここで現れているフィルは現実の人物ではありません。
ゴードン自身の意識が作り出した存在と考えられます。
フィルの役割は、ゴードンを追い詰めることではありません。
むしろ、
「自分が何をしたのか思い出せ」
と迫ることです。
ゴードンが目を覚ますとは、狂気から正常に戻ることではありません。
自分が殺人者であるという現実へ目を覚ますことなのです。
そのため、本作では「真実を知ること」が救いになりません。
目覚めた先に待っているのは、取り返しのつかない現実だけです。
ラストでゴードンが電話をかける意味
すべてを思い出したゴードンは、最後に妻へ電話をかけようとします。
しかし妻はもういません。
彼自身が殺したからです。
それでもゴードンは電話に向かって謝罪します。
ここで初めて彼は、自分がしたことを完全に理解したのでしょう。
監督も、ラストで一人泣くゴードンについて、自分の「怪物性」を認識した瞬間として読む余地があると語っています。
これは決して贖罪ではありません。
妻も娘も戻ってこない。
仲間たちも戻らない。
ゴードンが罪悪感を取り戻した瞬間、逆説的に彼は本当の地獄へ落ちます。
狂気のなかでは忘れることができた。
しかし正気に戻れば、一生自分の行為を背負わなければならない。
その状態こそが、ゴードンに与えられた最も重い罰なのかもしれません。
精神病院そのものが「心」のように描かれている
『セッション9』でもう一つ注目したいのが、病院の構造です。
長い廊下。
地下室。
閉ざされた部屋。
残されたカルテ。
奥へ行けば行くほど暗くなる空間。
これは人間の心の構造にも似ています。
普段見えている部分のさらに奥に、忘れたい記憶がしまわれている。
マイクが病院の地下へ降りて録音テープを聞いていく行為は、人間の無意識へ降りていく行為のようにも見えます。
そして最も奥深くに残されていたのがサイモンでした。
ゴードンについても同じです。
表面上は普通の夫、父親、経営者。
しかし奥へ進んでいけば、本人さえ認められない暴力と罪悪感が存在している。
その意味では、ダンヴァース病院そのものがゴードンの精神を巨大化した空間だと考えることもできます。
『セッション9』が本当に怖い理由
本作には、派手な怪物も大量のジャンプスケアもほとんどありません。
ブラッド・アンダーソン監督自身が目指したのも、突然驚かせる恐怖ではなく、ゆっくりと逃げ場をなくしていくような不安でした。
だから観客は映画を見ながら、
「何かがいる」
と思います。
ところが最後に待っているのは、
「何かがいる」のではなく、
「人間のなかにある」
という答えです。
幽霊なら建物から逃げればいい。
悪魔なら祓えばいい。
しかしサイモンが人間の弱さそのものなら、完全に逃げることはできません。
そこに、この映画が公開から長い年月を経ても不気味さを失わない理由があります。『セッション9』は限定公開後、時間をかけて評価を高め、21世紀アメリカンホラーの重要作の一つとして論じられるようになりました。
まとめ|サイモンとは「誰の中にも入り得るもの」
『セッション9』のラストには、明確な答えが用意されていません。
サイモンは本当に超自然的な存在だったのか。
病院に残された悪意だったのか。
それとも、ゴードンが自分の暴力を説明するために作り出した存在だったのか。
映画はどの解釈も完全には否定しません。
しかし、最も恐ろしい読み方は、サイモンを特別な悪魔だと考えないことでしょう。
ゴードンは最初から怪物だったわけではありません。
仕事に追われ、家族との生活に疲れ、余裕を失っていった一人の人間です。
その弱さと傷のなかから、自分でも知らなかった何かが現れた。
だからサイモンは、メアリーだけのものでも、ゴードンだけのものでもない。
『セッション9』が最後に突きつけるのは、
人間は「悪」を自分とは無関係な存在として、本当に切り離すことができるのか
という問いなのではないでしょうか。
廃病院の幽霊よりも、自分自身の内側のほうが恐ろしい。
それこそが、『セッション9』という映画が最後まで残す、本当の恐怖なのだと思います。
