アカデミー賞に「スタント設計賞」新設へ――CG時代に“本物のアクション”が再評価される理由

俳優が飛行機の翼にしがみつく。

実際のレース会場へ架空のチームを参加させ、走行する車両に小型カメラを取り付ける。

巨大な怪物をコンピューターの中だけで作るのではなく、撮影現場へ実物大の人形を持ち込む。

映像技術が進歩し、画面上でほぼ何でも表現できるようになった現在、映画界では意外な変化が起きています。

「本当にその場で撮影したこと」が、以前にも増して重要な宣伝材料になっているのです。

その変化を象徴するのが、アカデミー賞の新部門です。映画芸術科学アカデミーは、2027年公開作品を対象に「スタント設計」の競争部門を新設し、2028年3月5日に開催される第100回アカデミー賞から授与すると発表しました。

約100年の歴史を持つアカデミー賞が、ようやくスタントを正式な映画表現として評価する。

これは、危険な動きを行う人々へ賞を与えるというだけの話ではありません。

映画のアクションは俳優の勇気だけで作られるのではなく、構想、訓練、安全管理、撮影、編集を統合した“設計”によって生まれるという考え方が、映画界全体で認められ始めたのです。

第100回アカデミー賞で「スタント設計」が正式部門に

新設される部門の名称は、単純な「最優秀スタント賞」ではありません。

「Achievement in Stunt Design」、つまりスタント設計における功績を評価する賞です。

映画芸術科学アカデミーは、スタントが映画史の初期から重要な役割を果たしてきたと説明しています。新部門の実現には、元スタントマンで『ジョン・ウィック』などの製作に関わってきたデヴィッド・リーチ監督と、スタントデザイナーのクリス・オハラが大きく貢献しました。

対象になるのは2027年に公開される作品で、最初の受賞者は2028年の第100回授賞式で発表されます。

具体的な応募条件、候補者の選出方法、誰が受賞者として名前を呼ばれるのかといった詳細は、2027年に発表される予定です。

名称に「設計」が入っていることには、大きな意味があります。

スタントは、撮影当日に誰かが大胆な行動へ挑戦して完成するものではありません。

脚本上の目的を考える。

俳優やスタントパフォーマーの動きを組み立てる。

ワイヤーや車両、航空機を準備する。

カメラの位置を決める。

危険を分析し、緊急時の対応を用意する。

必要に応じて視覚効果部門とも連携する。

観客が数分で見るアクション場面の裏側には、何か月にも及ぶ準備が存在します。

新しい賞は、最も危険な行為を競わせるのではなく、物語、安全性、技術を統合した仕事を評価するための部門になると考えられます。

なぜスタントは約100年間も正式部門にならなかったのか

スタントは映画の誕生期から存在していました。

無声映画時代には、建物、列車、自動車などを使った身体的な演技が、映画ならではの見せ場を生み出しています。

それにもかかわらず、スタントは長く「演技の補助」や「撮影現場の技術」として扱われ、アカデミー賞の独立部門にはなりませんでした。

大きな理由の一つが、功績を特定しにくいことです。

アクション場面には、スタントコーディネーター、パフォーマー、リガー、特殊効果スタッフ、衣装、撮影、編集、視覚効果など、多数の部門が参加します。

俳優本人が一部の動作を行うこともあれば、複数のスタントパフォーマーが一人の人物を演じることもあります。

「誰の仕事が、その場面を成功させたのか」を一人や二人へ絞ることが難しかったのです。

また、スタントは成功するほど存在を意識されません。

観客が登場人物本人の動きだと信じられたとき、スタントパフォーマーの仕事は画面上から消えます。

失敗すれば事故として報道される。

成功すれば俳優の功績に見える。

この“見えなさ”が、評価の遅れにつながってきました。

『ミッション:インポッシブル』がスタントを映画の宣伝に変えた

近年、スタントを作品の中心的な価値として発信してきたシリーズが『ミッション:インポッシブル』です。

2025年公開の『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』では、トム・クルーズが飛行中の複葉機の翼へ乗り、機体間を移動する大規模な空中場面に挑みました。

この撮影では、複数の航空機、空撮用機材、スタントヘリ、安全確認用の機体、地上スタッフが連携。複葉機の動き、カメラの位置、出演者の動作を細かく同期させる必要がありました。

予告編や宣伝映像では、完成した本編だけでなく、実際に飛ぶ航空機へクルーズがつかまっている舞台裏まで公開されました。

観客は、アクション場面の結末を見る前から、どのように撮影されたのかを知っています。

本来なら映画の魔法を壊しかねないメイキング映像が、むしろ作品への期待を高めているのです。

これは現代のアクション映画における重要な変化です。

かつては、撮影方法を隠すことで映像の驚きを守りました。

現在は、どれだけ困難な条件で撮影したのかを先に見せることで、「映画館で確かめたい」という感情を作ります。

完成映像だけでなく、撮影行為そのものがエンターテインメントになっているのです。

ただ危険なら優れたスタントというわけではない

トム・クルーズのようなスターが自ら難しい動きへ挑むことは、強力な宣伝になります。

しかし、スタント設計の価値を「俳優がどれほど危険な目に遭ったか」だけで判断するのは危険です。

本当に優れたスタントとは、事故の可能性を高めることではありません。

危険に見える動きを、準備と技術によって制御することです。

出演者の身体能力を確認し、訓練を重ねる。

失敗したときに備えて、ワイヤーや安全装置を用意する。

天候や機材の状態によっては、撮影を中止する。

観客には即興的な危機に見えても、現場では可能な限り不確定要素を減らしている必要があります。

アカデミー賞が評価すべきなのも、最も無謀だった作品ではなく、物語上の効果と安全性を高い水準で両立させた作品でしょう。

新部門の設置によって、危険性を誇張する競争が起きる可能性もあります。

だからこそ「スタント」ではなく「スタント設計」という名称が重要になります。

『F1/エフワン』は実際のレースを巨大な映画セットにした

2025年の『F1/エフワン』も、現実の環境で撮影すること自体を作品の魅力に変えた映画です。

制作チームは、実際のF1グランプリ開催期間中に撮影を実施。架空のチーム「APXGP」を本物のピットレーンやグリッドへ入れ、現役ドライバーや観客がいる環境の中で映像を収録しました。

撮影用車両は、既存のF2マシンを基に複数台を用意し、メルセデスAMGの協力を受けて改造されました。

車両には小型カメラシステムを搭載できるよう、16か所の取り付け位置を設計。ブラッド・ピットとダムソン・イドリスも、改造された車両を実際に運転しています。

通常なら、レース場面は安全に管理されたサーキットを借り切るか、スタジオとCGを組み合わせて作ることもできます。

しかし『F1/エフワン』が狙ったのは、本物のグランプリが持つ予測しきれない空気でした。

背景には本物のチームスタッフが動き、観客席には実際のファンがいる。

撮影用に完全には制御できない環境だからこそ、画面へ偶然の緊張感が入り込みます。

F1の公式発表によると、制作チームは実際のグランプリ開催地で185時間を超える映像を撮影し、各イベントではおよそ400人、全体では1900人以上のスタッフが制作に関わりました。

“本物らしく見せる”のではなく、本物の環境へ映画を持ち込む。

この発想は、スタントと撮影技術が一体化した現代的な映画作りといえます。

『オデッセイ』は神話の怪物まで現場へ持ち込んだ

クリストファー・ノーラン監督の『オデッセイ』も、「現実には存在しないものを、可能な限り現場で撮る」という姿勢を前面に出しています。

同作は全編をIMAXフィルムカメラで撮影。海上場面では実際の船や海を利用し、怪物キュクロプスの表現には、人形、アニマトロニクス、ロボット技術、俳優の動きを組み合わせました。

ノーラン監督の制作チームは、すべてを一つの巨大な造形物だけで表現したわけではありません。

実物の人形や機械的な仕掛けを撮影し、必要な部分をデジタル技術で補完する。

これにより、俳優は何もない空間を想像するだけでなく、その場にある大きさ、質感、影を感じながら演じられます。

カメラにも本物の光が入り、物体が周囲へ落とす影や、煙、炎との反応が自然に記録されます。

『オデッセイ』は、実物撮影とCGを対立させた作品ではありません。

物理的な素材を撮影の基礎に置き、デジタル技術を仕上げへ利用する作品です。

この“ハイブリッド型”こそ、現在の大作映画における実写効果復権の実態でしょう。

観客が求めているのは「CGを使っていない映画」ではない

実写効果やスタントが注目されると、「CGより本物のほうが優れている」という単純な議論になりがちです。

しかし現代の大規模映画で、デジタル技術をまったく使わずに完成する作品はほとんどありません。

実際の車両を走らせても、安全装置や撮影機材を消す処理が必要になります。

俳優が飛行機へ乗っていても、複数の映像を組み合わせたり、背景を調整したりする場合があります。

巨大な人形を作っても、表情や動きをデジタルで補うことがあります。

重要なのは、CGを使用したかどうかではありません。

どの技術を使えば、観客が場面の重さ、速さ、危険、空間を最も強く感じられるのかという判断です。

実物撮影には、予測できない動きや質感があります。

CGには、安全に不可能な映像を作り、物理的な撮影の限界を超える力があります。

優れた映画は一方を排除するのではなく、観客が技術の境界を意識しなくなるように組み合わせます。

デジタル映像が進歩したからこそ「証拠」が欲しくなった

CG技術の進歩によって、画面に映っているものが実際に存在したかどうかを、観客が判断することは難しくなりました。

巨大な建物も、群衆も、空も、俳優の顔さえ作り替えられます。

だからこそ映画会社は、舞台裏の映像を積極的に公開するようになっています。

本当に車を走らせた。

本当に飛行機を飛ばした。

実際の海で撮影した。

巨大なセットを建てた。

これらの映像は、完成した映画が持つ身体性の「証拠」として機能します。

観客が見たいのは、必ずしも無加工の現実ではありません。

人間が不可能に近い課題を、知恵と訓練で実現した過程です。

作品の物語と同時に、「この映画をどうやって作ったのか」というもう一つの物語を楽しんでいます。

メイキング映像が強力な広告になるのは、そのためです。

実写撮影には映画館へ行く理由を作る効果もある

実物を使った大規模な撮影には、多額の費用と時間がかかります。

それでも映画会社が投資するのは、映像の品質だけが理由ではありません。

「この場面は本当に撮影した」という情報には、作品をイベント化する力があります。

自宅の小さな画面ではなく、大きなスクリーンで速度や距離を感じたい。

撮影方法を知ったうえで、映像のどの部分が実物なのか確かめたい。

一度目は物語を追い、二度目は技術へ注目したい。

実写スタントは、本編を見る前と見た後の両方に話題を生み出します。

CGだけでは映画館へ行く価値がないという意味ではありません。

しかし映像を生成できる技術が一般化するほど、巨大な人員、場所、機材を動かして撮影した事実そのものが、希少な価値を持つようになるのです。

『ザ・フォールガイ』が変えたスタントマンの見え方

アカデミー賞の新部門設置を後押しした作品の一つが、2024年の『フォールガイ』です。

同作はスタントマンを主人公に据え、元スタントパフォーマーのデヴィッド・リーチが監督。撮影では実際の爆発、落下、格闘、自動車アクションが多く用いられ、スタントパフォーマーの仕事そのものを物語の中心へ置きました。

自動車を横回転させる「キャノンロール」では、スタントドライバーのローガン・ホラデイが一度の走行で8回半回転し、記録を樹立しました。

ただし作品の重要な点は、記録だけではありません。

観客が普段は意識しないスタントパフォーマーの存在、撮影準備、事故後の不安、俳優との関係を、娯楽映画として見せたことです。

映画スターの後ろに立つ人物ではなく、映画を成立させる創作者としてスタントマンを描きました。

『フォールガイ』の公開と新部門を求める運動が重なったことで、スタントを正式に評価すべきだという議論が、映画業界の外へも広がりました。

新しいオスカーは撮影現場をどう変えるのか

スタント設計賞が始まれば、まず変わる可能性があるのがクレジットです。

誰がアクション場面全体を設計したのか。

どの人物が安全管理と演出を統括したのか。

これまで一般観客には分かりにくかった役割が、賞レースを通じて知られるようになります。

映画会社も、スタント担当者の名前を宣伝へ利用するようになるでしょう。

「有名スタントデザイナーの新作」

「過去の受賞者が設計したアクション」

「スタント賞有力候補」

撮影監督や作曲家と同じように、スタントデザイナーの名前が作品選びの材料になる可能性があります。

さらに、賞を目指す作品では、企画段階からスタント部門へ十分な準備期間と予算を与える必要性が高まります。

撮影直前に危険な場面を追加するのではなく、脚本、演出、撮影、美術、視覚効果と早い段階から連携する。

新部門が正しく機能すれば、派手さだけでなく、現場の安全性や作業環境を改善する力にもなり得ます。

一方で「危険のインフレ」には注意が必要

賞が新設されれば、各社が候補入りを意識したアクションを用意する可能性があります。

前作より高い場所。

より速い車両。

より大きな爆発。

より危険に見える俳優の挑戦。

スタントの規模を数字で比較し始めれば、映画会社は際限のない競争へ向かいかねません。

しかし、スタント設計は必ずしも大規模である必要はありません。

狭い部屋での格闘。

俳優の身体能力を生かしたコメディー。

一回の転倒で人物の弱さを伝える動き。

複雑な群衆を安全に移動させる演出。

物語に最適な身体表現であれば、巨大な飛行機や爆発がなくても優れた設計です。

新部門が成功するかどうかは、「最も危険な映画」を選ぶのではなく、「アクションによって最も効果的に物語を語った映画」を評価できるかにかかっています。

スターだけでなく、チームを評価できるか

現代の映画宣伝では、「主演俳優が自らスタントを行った」という情報が強調されます。

それは作品の魅力になりますが、俳優一人で場面が完成したように見せる危険もあります。

実際には、スタントコーディネーター、ダブル、操縦士、リガー、医療スタッフ、特殊効果、撮影スタッフなど、多数の専門家が支えています。

スターが安全に挑戦できるのは、その周囲に優れたチームがいるからです。

スタント設計賞が本当に価値を持つためには、俳優の勇気を称えるだけでなく、画面に映らない人々の判断を可視化する必要があります。

誰が受賞者となるのか。

一作品から何人まで名前を出せるのか。

アクション監督とスタントコーディネーターの役割をどう整理するのか。

共同作業であるからこそ、2027年に発表される具体的な規則が重要になります。

日本映画にも「スタント設計」という視点が必要になる

日本映画にも、殺陣、ワイヤーアクション、カーアクション、特撮、落下、火薬効果など、長い身体表現の歴史があります。

時代劇では、刀を振る技術だけでなく、複数の俳優が安全に動きながら、登場人物の強さや性格を見せる必要があります。

特撮作品では、スーツアクター、ミニチュア、火薬、ワイヤー、撮影、合成が一体となって場面を作ります。

しかし一般観客が、アクションを設計した人物の名前まで知る機会は多くありません。

アカデミー賞の新部門によって「スタント設計」という言葉が広がれば、日本でもアクション監督やスタントチームの仕事へ注目が集まる可能性があります。

舞台挨拶やメイキング映像でも、主演俳優の努力だけでなく、撮影を成立させたチームを紹介する。

作品のクレジットや宣伝資料で、役割を明確にする。

安全な訓練期間と予算を確保する。

こうした変化は、海外賞への対応以上に、国内の映画制作環境を長期的に支えるはずです。

2026年、映画の価値は「何が映っているか」だけでは決まらない

これからの観客は、完成した映像だけを見て映画を選ぶわけではありません。

どこで撮影したのか。

俳優はどこまで実際に動いたのか。

巨大なセットや造形物は作られたのか。

誰がアクションを設計したのか。

撮影方法そのものが、作品の価値を形作ります。

『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は、空中で行われた撮影を宣伝へ変えました。

『F1/エフワン』は、実際のグランプリを映画の世界へ取り込みました。

『オデッセイ』は、神話上の船や怪物へ物理的な存在感を与えました。

これらの作品が示しているのは、映画界がCGを捨てて過去へ戻っているということではありません。

デジタルで何でも作れる時代だからこそ、現実の人間、物体、場所を撮影することが、以前より特別な意味を持ち始めたのです。

スタント設計賞は2028年に初めて授与されます。

しかし映画界の変化は、すでに始まっています。

次に壮大なアクション映画を観るときは、主演俳優だけでなく、その身体を安全に動かし、カメラの前で物語へ変えた人々にも注目してみてください。

スクリーン上の数分間には、これまで賞の名前さえ持たなかった、もう一つの映画制作の主役が存在しています。