※この記事には、映画『ノクターナル・アニマルズ』(2016年製作・2017年日本公開)の結末を含む重大なネタバレがあります。作中の出来事と監督の発言を踏まえ、人物の心理や象徴の意味については本記事の解釈として考察します。
元夫との再会を待つスーザンの前に、最後までエドワードは現れません。
彼女は、なぜ一人で待ち続けることになったのでしょうか。送られてきた小説は、愛情の告白だったのか、それとも復讐だったのか。
『ノクターナル・アニマルズ』のラストを考えるには、スーザンが受けた痛みと、その痛みによって彼女の中で変わったものを、一緒に見ていく必要があります。
現在の生活、元夫との過去、そして劇中小説。この三つの物語を整理しながら、エドワードの不在と、最後に残されたスーザンの表情を読み解きます。
映画『ノクターナル・アニマルズ』の作品情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 原題 | Nocturnal Animals |
| 製作年 | 2016年 |
| 日本公開 | 2017年11月3日 |
| 監督・脚本 | トム・フォード |
| 原作 | オースティン・ライト『ミステリ原稿』(原題:Tony and Susan) |
| 主な出演 | エイミー・アダムス、ジェイク・ギレンホール、マイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン |
| 上映時間 | 116分 |
ロサンゼルスでアートギャラリーを営むスーザンのもとに、かつての夫エドワードから小説の原稿が届きます。
現在の夫との関係に満たされない思いを抱える彼女は、自分に捧げられたその小説を読み始めます。ところが、書かれていたのは、家族を奪われる男の暴力的な物語でした。focusfeatures.com
三つの物語と時系列を整理|小説の出来事は現実なのか
本作には、現実の時間をたどる物語と、スーザンが読む小説の物語が重ねられています。
| 物語の層 | 主な人物 | 描かれること |
|---|---|---|
| 現在 | スーザン、夫ハットン | 満たされない生活の中で、元夫の原稿を読む |
| 過去の回想 | 若いスーザン、エドワード | 出会い、結婚、価値観のすれ違い、別離 |
| 劇中小説 | トニー、妻ローラ、娘インディア、刑事ボビー、レイ | 家族を奪われたトニーが、犯人を追う |
劇中小説の事件は、映画の中の現実で起きた殺人事件ではありません。 スーザンが、原稿を読みながら思い浮かべている世界です。
エドワードとトニーを、同じジェイク・ギレンホールが演じることも、そのつながりを強めています。監督は、観客が見ているのはスーザンの目を通した小説であり、彼女が元夫の姿を登場人物に当てはめていると説明しています。Hammer Museum
つまり、小説の映像には、書いたエドワードの感情と、読むスーザンの記憶が重なっています。現実と小説の似た部分は、彼女が過去との関係を感じ取っていることの表れでもあるのです。
ラストでエドワードはなぜ来ないのか|読む側を待つ側に変える
エドワードが約束の場所に現れない結末は、小説を送り、その内容を読ませた行為に、復讐の意味があったことを強く示しています。
トム・フォード監督は、最後にスーザンを待たせることで、エドワードが彼女へ痛みを伝えようとしていたことが分かる構成になっていると説明しています。Awards Daily
スーザンは、若い頃のエドワードの才能を信じきれず、彼との生活を離れました。ところが、届いた原稿を読むことで、彼の表現する力を認め、失った関係を見つめ直すようになります。
再会の約束は、彼女に、もう一度彼へ近づけるかもしれないという期待を与えます。しかし、レストランには彼が来ない。そのため、彼女は期待していた相手とのつながりを、手の届かないものとして経験することになります。
この流れを、エドワードが感じた喪失を、スーザンにも経験させる仕掛けとして読むことができます。
ただし、現在のエドワードの生活や、その後の心境は、詳しく描かれません。彼が完全に過去を乗り越えたかどうかまで、確かめることはできません。
観客が最後に見届けるのは、その不在を受け止めていくスーザンの顔です。映画の視線は、彼女の変化に注がれています。
なお、レストランでの待ち合わせは、映画原作『ミステリ原稿』にはない結末です。監督は、原作では二人がこのような約束をしないことを説明しており、映画独自の演出として読む必要があります。theplaylist.net
劇中小説が意味するもの|家族を奪われる痛みを伝える
小説の主人公トニーは、妻と娘との旅行中、レイたちに遭遇します。やがて家族は引き離され、妻と娘は殺されてしまいます。
監督は、この襲撃場面を、エドワードが、スーザンとの別れで自分が受けた痛みを伝えるための重要な場面として説明しています。Awards Daily
現実の過去では、スーザンはエドワードと別れ、彼との間にできた子どもの妊娠も終わらせています。エドワードにとっては、愛した相手と、その相手と築くはずだった家族の未来を失う経験でした。
ここで、小説の家族を、現実の人物と一対一で結びつけたくなるかもしれません。トニーにエドワード、ローラにスーザン、娘インディアに生まれるはずだった子どもを重ねる読み方です。
そうした対応は可能ですが、すべてを固定すると、小説が持つ複雑さが薄れてしまいます。
スーザンは、失われた妻の側へ自分を重ねることも、家族を奪う側の暴力に自分の行為の影を見ることもできます。小説を読むことで、彼女が立つ場所そのものが揺さぶられるのです。
大切なのは、別離や妊娠をめぐる現実の出来事を、殺人事件と同一視することではありません。エドワードが自分の喪失を、他人にも感じられる物語へ変えていることです。
監督は本作を手がけるうえで、直接には伝えきれなかったことを、フィクションを通して相手へ伝えるという仕組みに引かれたと語っています。Creative Screenwriting
スーザンは原稿を読むだけですが、読み終えたときには、読む前と同じ場所に立てなくなっています。小説は、過去に下した判断を、彼女自身にもう一度問い直させるのです。
トニーの死はエドワードの死なのか
劇中小説の終盤、トニーはレイを撃ちますが、自身も負傷します。さらに、倒れ込んだ際に銃が発射され、自分の命も失います。cinefile.biz
この出来事を、そのまま、現実のエドワードも死亡したという証拠にすることはできません。映画には、彼の死を明示する場面がありません。
同じ俳優が演じていても、トニーは小説の登場人物です。二人の関係は、出来事がそのまま一致するものとしてではなく、感情や象徴が重なるものとして考える方が自然でしょう。
トニーが復讐を果たしても、妻と娘は戻りません。彼自身も生き残れない結末は、怒りを晴らすことによって、失った人生を取り戻せるわけではないという痛みを残します。
その結末を、スーザンが知っていた昔のエドワードの終わりとして読むこともできます。彼女に理解され、もう一度愛されることを望んでいた姿が、小説の中で弔われている、という解釈です。
冒頭の裸の女性たちは何を意味するのか
映画は、裸の女性たちが踊る、強い印象を残す映像から始まります。
監督は、この女性たちを、社会から求められる姿を手放し、喜びや自由を感じている存在として説明しています。そのあとに映るスーザンは、社会が成功した女性に求める姿へ自分を合わせようとしながら、満たされていません。Awards Daily
この説明を踏まえると、冒頭の映像は、スーザンの生活を見るための問いを先に置いていると考えられます。
彼女は、成功したように見える生活を送っています。しかし、その形が、彼女自身の望みとどれほど重なっているかは分かりません。母親の価値観や、周囲から評価される基準が、彼女の選択に入り込んでいるからです。
自分の身体をさらして踊る女性たちと、服や化粧で姿を整え続けるスーザン。その対比は、誰がより自分の姿に安心していられるのか、という問いにつながります。
そして、この問いは、終盤にスーザンが身につけているものを外していく動作へと続いていきます。
タイトル『ノクターナル・アニマルズ』の意味
原題の「Nocturnal Animals」は、「夜行性の動物たち」を意味します。エドワードはかつて、夜に眠れないスーザンを、夜行性の動物になぞらえて呼んでいました。
その言葉を小説の題名にしていることで、スーザンは、原稿が自分と無関係な物語ではないと感じることになります。
二人の間で使われていた親密な呼び名が、暴力的な物語を包む題名に変わっている。その変化には、懐かしさと不穏さが同居しています。
さらに、劇中小説では、夜の道路で人間が他人を追い詰めます。現在のスーザンも、眠れない時間に原稿を読み、過去の記憶へ引き戻されていきます。
こうした場面を重ねると、タイトルには、夜になると表へ出てくる欲望や不安、他人を傷つける衝動まで感じ取れます。
ただし、これは題名と作中の描写を結びつけた本記事の解釈です。まず二人の私的な呼び名があり、そこから映画全体へと意味が広がっていくと考えると、理解しやすいでしょう。cinefile.biz
緑のドレス・口紅・指輪が示す、スーザンの変化
終盤、スーザンは緑のドレスを着て、エドワードとの再会へ向かいます。口紅を拭い、指輪や装飾を外す動作も、彼女の変化を考える手がかりになります。
監督は、緑のドレスに再生の意味を込め、化粧や装飾を減らすことで、彼女が自分本来の姿へ近づいていくことを表したと説明しています。Awards Daily
スーザンは、昔の夫と再会するために装う一方で、これまで自分を包んできたものを少しずつ手放してもいるのです。
しかし、その夜に彼女を迎える相手はいません。新しい始まりへの期待は、一人で待ち続ける時間へ変わります。
ここで重要なのは、監督自身が、この結末を、スーザンにとっての変化としても捉えていることです。The Playlistのインタビューでは、物質的な生活へのとらわれがほどけ、彼女が自分自身を見つめ直すことを説明しています。theplaylist.net
この説明は、スーザンの将来が具体的に描かれているという意味ではありません。彼女がどのような仕事や関係を選ぶかは、映画の外に残されています。
それでも、昔の関係に戻れないことと、これからの人生を変えられないことは、分けて考えられます。
エドワードとの再会によって救われるという期待は、その夜、かなえられませんでした。彼女は、自分の選択や孤独を、自分で引き受けるところへ置かれます。
ラストのスーザンは深く傷ついています。同時に、その顔は、整えられた生活の中で感情を隠していたときよりも、むき出しに見えます。
彼女は何を失ったのかを知り始めています。そして、何を望んで生きていくのかについては、まだ答えを出していません。その痛みと余白が、『ノクターナル・アニマルズ』の最後の表情に重なっているのだと思います。

