映画『Ramayana』予告編解禁、ヤシュ演じるラーヴァナが話題沸騰――インド神話超大作は世界市場を変えるか

※2026年7月30日時点の情報です。

2026年後半の世界興行を占う一本が、ついに本格始動した。

インド神話を代表する叙事詩を映画化する超大作『Ramayana(原題)』の正式予告編が、7月30日に世界公開された。ランビール・カプール演じる英雄ラーマ、サーイ・パッラヴィ演じるシーター、そして『K.G.F』シリーズのヤシュが扮する魔王ラーヴァナ。その三者を中心に、王国の崩壊、追放、誘拐、そして巨大な戦争へと向かう物語が約4分の映像に凝縮されている。

公開直後から特に注目を集めているのは、主人公ではなく“悪役”のラーヴァナだ。圧倒的な存在感を放つヤシュの登場によって、『Ramayana』は単なる勧善懲悪の神話映画ではなく、二人のカリスマが激突するスター映画としての輪郭を鮮明にした。

『Ramayana』予告編で最も話題なのはヤシュのラーヴァナ

今回の予告編は、ランビール・カプールのラーマよりも先に、ヤシュ演じるラーヴァナの脅威を強調する構成になっている。

顔をすぐには見せず、声、シルエット、軍勢、巨大な王国を通して存在感を高め、満を持してその姿を明かす。物語の中心にいるのはラーマでありながら、観客が最初に恐れ、もっと見たいと感じる人物はラーヴァナだ。

実際、公開後のオンライン上では、ヤシュの表情や声、画面を支配するような登場場面を評価する反応が相次いでいる。一方、ランビール・カプールのラーマについては、静かな慈愛と戦士としての力強さを両立させた演技が支持されている。

この対照は、本作の宣伝戦略として非常に効果的だ。

ラーマを絶対的な英雄として一方的に押し出すのではなく、ラーヴァナを同等のスター性を持つ対立者として見せることで、「善と悪の物語」を「二大スターの対決」へと拡張できるからである。

ラーマーヤナを知らなくても理解できる予告編

『ラーマーヤナ』は、インドや東南アジアの文化に大きな影響を与えてきた古代叙事詩だ。しかし、物語の背景を知らない海外の観客にとっては、登場人物や宗教的な設定が鑑賞の壁になる可能性もある。

今回の予告編は、その問題をかなり意識して編集されている。

ラーマとシーターの出会い、王宮からの追放、森での生活、ラーヴァナによるシーターの誘拐、そして戦争という因果関係が映像だけでも把握できる。神話の細部を説明するより、「愛する者を奪われた英雄が、強大な王に立ち向かう」という普遍的な物語として提示しているのだ。

ヒンディー語だけでなく、タミル語、テルグ語、マラヤーラム語、カンナダ語の予告編も同時展開されており、国内市場を一枚岩として扱わない現在のインド映画らしい宣伝設計も見える。

DNEG、IMAX、ハンス・ジマー――狙うのは“インド国内の大ヒット”ではない

『Ramayana』が映画業界から注目される最大の理由は、その規模よりも「誰に向けて作られているのか」にある。

製作にはナミット・マルホトラ率いるPrime Focus Studios、世界的VFX企業DNEG、ヤシュのMonster Mind Creationsが参加。IMAX上映を想定して撮影され、音楽にはA・R・ラフマーンとハンス・ジマー、アクション設計には『マッドマックス 怒りのデス・ロード』などで知られるガイ・ノリスが名を連ねている。

つまり本作は、インド国内だけを対象とした神話映画ではない。

自国に根付いた物語を核にしながら、映像、音響、アクション、上映形式を国際的な大作映画の水準へ合わせ、世界市場で『DUNE/デューン』や『アバター』級のイベント作品として認識させようとしている。

ハリウッド型の物語をインド風に作り替えるのではなく、インドの物語そのものを世界標準の大作へ押し上げる。この方向性こそ、『Ramayana』が持つ最も大きな業界的意味だろう。

あえてハヌマーンを見せなかった理由

予告編公開後、ファンの間では、サニー・デオルが演じるハヌマーンが登場しなかったことも大きな話題になった。主要人物でありながら姿を一切見せなかったため、製作側が次の大型プロモーションまで公開を温存しているとの見方が広がっている。

これは、情報不足というより意図的な“空白”と考える方が自然だ。

現在の大作映画では、一本の予告編ですべてを公開するよりも、キャラクターごとに話題のピークを作り、公開日まで関心を維持する戦略が重要になっている。今回はヤシュのラーヴァナを主役級に押し出し、次回以降はハヌマーンを新たな話題の中心に据えることができる。

情報を見せないこと自体が、宣伝資産になっているのである。

成功の鍵はVFXではなく「神聖さ」と「娯楽性」の両立

予告編の映像は壮大だが、本作の成否を決めるのは、必ずしもVFXの精密さだけではない。

『ラーマーヤナ』は、多くの人々にとって単なる古典文学ではなく、信仰や生活文化と結び付いた物語でもある。そのため、登場人物の衣装や表情、台詞、物語の改変は、通常の原作付き映画以上に厳しく見られる。

一方で、原典への敬意だけを優先しすぎれば、神話を知らない海外の観客には近寄りにくい作品になりかねない。

宗教的・文化的な尊重を保ちながら、初見の観客にも感情移入できる娯楽映画へ変換できるか。『Ramayana』が世界的成功を収めるための最大の課題は、まさにこのバランスにある。

『RRR』の次ではなく、新しい世界戦略の始まり

『Ramayana』を「次の世界的インド映画」とだけ捉えるのは十分ではない。

過去のインド映画の海外ヒットは、口コミや観客の熱狂によって公開後に評価が広がるケースも多かった。しかし本作は、企画段階から国際市場、IMAX、複数言語、世界的クリエイターとの協業を組み込んでいる。

偶発的に世界へ発見される映画ではなく、最初から世界的イベントとして設計された映画なのだ。

『Ramayana: Part 1』は2026年のディワリ時期、続編は2027年のディワリ時期に公開される予定と報じられている。二部作を成功させるには、第一部で物語への満足感を与えながら、ラーマとラーヴァナの本格対決を次章へ期待させなければならない。

7月30日に解禁された予告編は、その最初の難関を突破したように見える。

ヤシュのラーヴァナを強烈な“入口”にしながら、ランビール・カプールのラーマ、サーイ・パッラヴィのシーター、巨大な神話世界を提示することに成功したからだ。

インド映画が世界でヒットする時代から、インド発の神話IPが世界興行の中心を狙う時代へ。『Ramayana』は、その転換点となる可能性を秘めている。