「誰かとつながりたい」と願いながら、自分から他人を遠ざけてしまう。
そんな孤独が、いつしか憎悪へ変わったとき、人は自分の暴力を「正義」だと思い始めるのかもしれません。
映画『タクシードライバー』の主人公トラヴィス・ビックルは、夜のニューヨークを走り続けるタクシー運転手です。
不眠症に悩み、友人も恋人もいない。街にあふれる犯罪や売春を嫌悪しながら、毎晩その中心部へ客を運びます。
彼は社会から隔離されているわけではありません。
数え切れないほどの乗客を乗せ、多くの人々を目にしています。
それでも誰とも本当にはつながれない。
トラヴィスのタクシーは街を自由に走れる乗り物である一方、彼を他者から隔てる金属とガラスの箱でもあります。
やがてトラヴィスは、政治家の暗殺を計画し、失敗すると、今度は少女アイリスを売春組織から救おうとします。
その結果、彼の凄惨な殺人は社会から「英雄的行為」として称賛されました。
しかし、本当にトラヴィスは英雄になったのでしょうか。
鏡へ向かって銃を構える有名な場面は、何を意味しているのか。
ベッツィとアイリスは、彼にとってどのような存在なのか。
ラストは現実なのか、それとも死の間際に見た幻想なのか。
そして最後にバックミラーを見たトラヴィスの表情は、なぜ不穏なのでしょうか。
本記事では、『タクシードライバー』を単なる犯罪映画ではなく、孤独な人間が自分を救世主だと思い込むまでの物語として考察します。
※以下、映画の結末を含む重大なネタバレがあります。
- 映画『タクシードライバー』の作品情報
- 映画『タクシードライバー』のあらすじ
- 結論|トラヴィスは英雄ではなく、暴力の向きによって英雄にされた
- トラヴィスを苦しめているのは孤独だけではない
- タクシーはトラヴィスの心を表す密室
- 不眠症は何を意味しているのか
- トラヴィスの日記は信頼できるのか
- 街への嫌悪は自分自身への嫌悪
- ベトナム帰還兵という設定の意味
- ベッツィはなぜ「天使」のように描かれるのか
- 成人映画館へ連れていったのはなぜか
- 拒絶されたトラヴィスが怒る理由
- 鏡の前の「俺に用か」が意味するもの
- 鏡の中のトラヴィスは理想の自分
- 銃がトラヴィスへ与えたもの
- モヒカン姿が意味する戦闘への移行
- パランタインを暗殺しようとした理由
- 暗殺対象と救出対象が入れ替わる恐ろしさ
- アイリスはトラヴィスにとって何を象徴しているのか
- アイリスを救うことは自己救済でもある
- スポーツとトラヴィスは対照的に見えて似ている
- クライマックスの銃撃は正義の勝利なのか
- 銃弾を撃ち尽くしたトラヴィスの指
- なぜ社会はトラヴィスを英雄にしたのか
- トラヴィスの暴力と社会の評価は一致しない
- ラストはトラヴィスの死後の幻想なのか
- 現実のラストだからこそ恐ろしい
- ベッツィが再び現れる意味
- 最後のバックミラーが意味するもの
- 冒頭の鏡とラストの鏡
- タイトル『タクシードライバー』の意味
- ニューヨークの蒸気とネオンが示す悪夢
- 甘い音楽と不穏な音楽が共存する理由
- トラヴィスは現代でいう「インセル」なのか
- トラヴィスを格好いい人物として見る危険
- 批評|アイリスの視点が不足している
- 批評|暴力を批判しながら、暴力を魅力的にしていないか
- 『タクシードライバー』が50年後も古びない理由
- 映画『タクシードライバー』が伝えたかったこと
- まとめ|ラストで英雄になったトラヴィスは、何も治っていない
映画『タクシードライバー』の作品情報
『タクシードライバー』は、マーティン・スコセッシが監督、ポール・シュレイダーが脚本を務めた1976年のアメリカ映画です。
出演はロバート・デ・ニーロ、ジョディ・フォスター、シビル・シェパード、ハーヴェイ・カイテル、アルバート・ブルックスら。上映時間は114分です。
本作は1976年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞し、アカデミー賞では作品賞を含む4部門にノミネートされました。1994年には、文化的・歴史的・美的に重要な作品として米国議会図書館の全米映画登録簿へ登録されています。
公開から50年を迎えた2026年には、スコセッシ、デ・ニーロ、ジョディ・フォスター、シュレイダーらが記念上映で再集結しました。スコセッシは、他者とつながれない孤立感こそ本作の普遍的な核であり、現在の若い世代にも届き続けると振り返っています。
映画『タクシードライバー』のあらすじ
26歳のトラヴィス・ビックルは、海兵隊を除隊した後、ニューヨークでタクシー運転手として働き始めます。
慢性的な不眠症を抱えているため、夜間の勤務を希望。ほかの運転手が嫌がる危険な地区にも進んで入っていきます。
夜の街でトラヴィスが目にするのは、売春、麻薬、暴力、汚れた道路です。
彼は日記に、自分が嫌悪する人々や、いつか街の汚れを洗い流す雨が来ることへの願望を書き続けます。
ある日、トラヴィスは大統領候補チャールズ・パランタインの選挙事務所で働く女性ベッツィにひかれます。
彼女をデートへ誘うことには成功しますが、連れていった場所は成人映画を上映する劇場でした。
不快感を示したベッツィは、トラヴィスから離れていきます。
拒絶されたトラヴィスは身体を鍛え、複数の銃を購入。パランタインの暗殺を計画します。
しかし暗殺は未遂に終わり、逃走した彼は、以前から気にかけていた12歳の少女アイリスを売春組織から救うため、彼女を支配する男たちのもとへ乗り込みます。
結論|トラヴィスは英雄ではなく、暴力の向きによって英雄にされた
トラヴィスはアイリスを救いました。
その結果だけを見れば、彼の行動によって一人の少女が危険な環境から抜け出し、家族のもとへ帰れたことになります。
しかし、彼が最初からアイリスの幸福を第一に考えていたとは言い切れません。
トラヴィスが準備していた暴力の最初の標的は、売春組織ではなくパランタインでした。
政治家を暗殺していれば、彼はテロリストとして非難されたでしょう。
偶然計画に失敗し、次に銃口を向けた相手が、世間から悪人と認識されやすい売春斡旋業者だった。
そのため同じ暴力が、社会によって「正義」に変換されたのです。
トラヴィスの内面が善良になったから、英雄になったわけではありません。
彼の破壊衝動が、社会にとって都合のよい対象へ向けられただけなのです。
トラヴィスを苦しめているのは孤独だけではない
トラヴィスは孤独です。
しかし本当の問題は、他人とつながる方法を知らないことです。
彼は同僚と会話をしても、自分の苦しみを適切な言葉にできません。
映画館へ行けば成人映画しか見ない。
食事をしながら、パンへ酒を注ぐような奇妙な行動を取る。
誰かへ助けを求める代わりに、自分の頭の中で社会への憎悪を育てます。
孤独とは、単に周囲に人がいない状態ではありません。
人がいても、自分の内面を渡せる相手がいない状態です。
タクシーはトラヴィスの心を表す密室
トラヴィスは毎晩、ニューヨーク中を走ります。
街のどこへでも行けるため、自由な人物のように見えます。
しかし運転席と乗客の間には仕切りがあり、会話も一時的です。
客は目的地へ着けば去っていく。
トラヴィスは多くの人生を目撃しますが、そのどれにも参加できません。
タクシーは街の内側に存在しながら、街へ属せない空間です。
それはトラヴィス自身の立場でもあります。
不眠症は何を意味しているのか
トラヴィスは眠れません。
昼と夜の境界を失い、疲労した状態で街を見続けています。
眠りには、経験や感情を整理する役割があります。
しかしトラヴィスには、一日の終わりが訪れません。
嫌悪や怒りがリセットされず、翌日へ積み重なっていきます。
夜の街を走ることが不眠症を悪化させ、不眠症によって街がさらに醜く見える。
彼の生活は、閉じた循環になっています。
トラヴィスの日記は信頼できるのか
物語では、トラヴィスの日記や独白が頻繁に使われます。
観客は彼の言葉を通して、ニューヨークの街を見ます。
しかしトラヴィスは、客観的な案内役ではありません。
彼は最初から、自分が見たいものを選んでいます。
街には犯罪だけでなく、家族、友情、日常の幸福も存在しているはずです。
ところが彼の視線は、売春や汚れた道路へ引き寄せられます。
トラヴィスの語るニューヨークは、現実の都市そのものではありません。
自分の絶望を投影した都市です。
米国議会図書館も本作について、撮影や音楽、美術によってニューヨークがトラヴィスの歪んだ精神を具現化した場所へ変えられていると評しています。
街への嫌悪は自分自身への嫌悪
トラヴィスは、街にいる人々を汚れていると考えます。
しかし彼自身も、嫌悪する場所へ毎晩進んでいきます。
成人映画館へ通い、暴力的な想像を繰り返し、他人を人間として見ることができない。
彼が街から洗い流したい「汚れ」は、自分の内側にも存在します。
外の世界を完全に悪だと決めれば、自分が苦しい理由を社会のせいにできます。
自分は正しい。
周囲が腐っている。
その構図を守るため、トラヴィスはますます自分を孤立させます。
ベトナム帰還兵という設定の意味
トラヴィスは元海兵隊員です。
映画は戦地での体験を詳しく説明しません。
そのため、彼の精神状態をすべて戦争体験だけで説明することはできません。
ただし軍隊で身につけた規律、武器への親和性、敵と味方を分ける思考は、現在の行動に影響しています。
戦場を離れた後も、トラヴィスは平和な社会へ戻れません。
そこで彼はニューヨークを新たな戦場に見立て、自分で敵を作り始めます。
ベッツィはなぜ「天使」のように描かれるのか
トラヴィスはベッツィを見た瞬間、周囲の人々とは異なる純粋な存在だと考えます。
彼女は白い服を着ており、汚れた街から切り離されたように見えます。
しかしトラヴィスは、彼女を一人の人間として知っているわけではありません。
遠くから眺め、自分の理想を投影しています。
彼にとってベッツィは、自分を孤独から救ってくれる女性です。
彼女が実際に何を望むかより、自分の物語の中でどのような役割を果たすかが重要になっています。
成人映画館へ連れていったのはなぜか
トラヴィスはベッツィとのデートで、成人映画館を選びます。
わざと彼女を傷つけようとしたわけではないでしょう。
彼には、普通の恋愛にふさわしい場所と、日常的に通う映画館の違いが理解できていません。
自分にとって普通の場所なのだから、相手も受け入れるはずだと考えます。
つまりトラヴィスは、ベッツィと関係を築こうとしながら、彼女の視点を想像できていないのです。
ベッツィが怒ると、トラヴィスは自分の行動を振り返るより、彼女を冷たい人間だと考えます。
拒絶されたトラヴィスが怒る理由
ベッツィとの関係が終わった後、トラヴィスは深く傷つきます。
しかし悲しみを認める代わりに、怒りへ変えます。
自分を受け入れなかった相手が悪い。
社会が腐っているから理解されない。
そう考えれば、自分の未熟さに向き合わずに済みます。
トラヴィスは愛されることを望みますが、他者には自分を愛する義務がないことを受け入れられません。
鏡の前の「俺に用か」が意味するもの
銃を手に入れたトラヴィスは、鏡に向かって敵との会話を演じます。
しかし鏡の中にいるのは、トラヴィス本人だけです。
彼が威嚇している相手は存在しません。
鏡の場面は、戦闘の練習であると同時に、他者との会話を一人で代替する場面です。
トラヴィスは誰かから挑発されたい。
敵として認識されたい。
無視されるだけの存在ではなく、危険な人物として見られたい。
「俺に用か」という言葉の奥には、「誰か、自分を見ているのか」という願いがあります。
鏡の中のトラヴィスは理想の自分
現実のトラヴィスは、会話が苦手で、拒絶に傷つき、孤独に耐えられない人物です。
鏡の中では、恐れず、素早く銃を抜き、相手を圧倒する男になれます。
彼は筋肉を鍛え、髪形を変え、武器を仕込み、弱い自分を別の人格で覆います。
それは成長ではありません。
不安を感じない人物を演じることで、不安そのものを隠しているのです。
銃がトラヴィスへ与えたもの
銃を購入した後、トラヴィスの生活には目的が生まれます。
身体を鍛える。
標的を観察する。
武器を隠す装置を作る。
計画を立てる。
それまで何をしてよいか分からなかった彼が、急に規則正しい生活を始めます。
問題は、目的の内容です。
銃はトラヴィスを強くしたのではありません。
自分には力があると感じられる簡単な方法を与えました。
モヒカン姿が意味する戦闘への移行
暗殺を決意したトラヴィスは、髪をモヒカン状にします。
日常生活を送る市民の姿から、戦場へ向かう兵士の姿へ変わった瞬間です。
彼は自分を特別な任務を与えられた戦士だと考えています。
しかし、その任務を命じた組織も、守るべき明確な理念もありません。
すべて自分で作った物語です。
パランタインを暗殺しようとした理由
パランタインは、トラヴィスに直接危害を加えていません。
かつてベッツィが働いていた選挙陣営の候補者であるため、彼女を奪った社会の象徴にも見えます。
また、有名な政治家を殺せば、トラヴィス自身も歴史へ名前を残せます。
彼が求めているのは、政策への抗議ではありません。
自分の存在を世界へ強制的に認識させることです。
暗殺対象と救出対象が入れ替わる恐ろしさ
パランタイン暗殺に失敗したトラヴィスは、アイリスのもとへ向かいます。
政治家を殺す計画と、少女を救出する計画の間に、長い道徳的な変化はありません。
トラヴィスが突然、善人へ改心したわけではないのです。
彼にはすでに銃があり、死ぬ覚悟があり、自分を大きな物語の主人公にする行動を求めていました。
標的だけが変わりました。
この危うさが、『タクシードライバー』を単純な救出劇にしない理由です。
アイリスはトラヴィスにとって何を象徴しているのか
アイリスは売春をさせられている12歳の少女です。
トラヴィスは、彼女を救わなければならないと考えます。
確かにアイリスは危険な環境にいます。
しかしトラヴィスは、彼女の意見を十分に聞くより、自分が正しいと思う人生へ戻そうとします。
ベッツィを汚れのない天使として理想化したように、アイリスを汚れた世界に捕らわれた少女として位置づけます。
ベッツィは自分を救う女性。
アイリスは自分が救う少女。
どちらも、トラヴィスが救世主になるための役割を与えられています。
アイリスを救うことは自己救済でもある
トラヴィスは、社会に居場所を見つけられません。
しかし少女を救う使命を持てば、自分にも生きている意味が生まれます。
アイリスを救うことは、彼女のためであると同時に、自分が価値のある人間だと証明するための行為です。
人助けに自己満足が含まれているからといって、すべてが無意味になるわけではありません。
ただし、自分の救済を優先すれば、助ける相手の意思を見失う危険があります。
スポーツとトラヴィスは対照的に見えて似ている
スポーツはアイリスを支配し、恋愛感情のような言葉を使って売春を続けさせます。
トラヴィスは彼を悪人と見なし、自分を救済者と考えます。
しかし二人には共通点があります。
どちらも、アイリスが何を望むかより、自分が彼女にとってどのような男であるかを重視しています。
スポーツは恋人や保護者を演じる。
トラヴィスは父親や救世主を演じる。
手段と結果には大きな違いがありますが、少女を自分の物語へ組み込む点では重なっています。
クライマックスの銃撃は正義の勝利なのか
トラヴィスはスポーツを撃ち、建物へ乗り込み、複数の男を殺します。
戦闘は華麗ではありません。
銃弾を受け、血まみれになり、狭い部屋の中で人間同士が肉体を壊し合います。
この生々しさによって、映画はトラヴィスの暴力を爽快なヒーローアクションとしては見せません。
彼が行ったことには、アイリスの救出という結果があります。
しかし銃撃そのものは醜く、混乱し、制御不能です。
銃弾を撃ち尽くしたトラヴィスの指
戦いの後、警察が部屋へ入ってくると、トラヴィスは自分の頭へ指を当て、引き金を引く動作をします。
彼は実際に自殺を試みますが、銃弾が残っていません。
そこで指を銃に見立て、何度も自分を撃つ仕草をします。
これは勝利のポーズではありません。
トラヴィスが生き残ることを望んでいなかった証拠です。
アイリスを救って帰宅する未来ではなく、壮絶な行動の中で死ぬことを求めていました。
彼が欲しかったのは幸福より、意味のある死だったのです。
なぜ社会はトラヴィスを英雄にしたのか
事件後、新聞はトラヴィスを少女を救った英雄として報道します。
アイリスの両親からは感謝の手紙が届きます。
社会が見るのは、トラヴィスの内面ではありません。
彼が政治家を殺そうとしていたことも、偶然失敗したことも知らない。
目に見える結果だけを使い、理解しやすい物語を作ります。
孤独な帰還兵が、犯罪者を倒して少女を救った。
この物語は、社会が安心して称賛できる形をしています。
しかし観客だけは、彼の行動が別の方向へ向かう可能性を知っています。
トラヴィスの暴力と社会の評価は一致しない
同じ銃、同じ準備、同じ怒りでも、政治家へ向ければ犯罪者、売春斡旋業者へ向ければ英雄になります。
人間の行為は、本人の動機だけでなく、社会がどのような物語を与えるかによって意味を変えます。
本作の恐ろしさは、トラヴィスが正義を見つけたことではありません。
不安定な暴力が、偶然社会の正義と一致してしまったことです。
ラストはトラヴィスの死後の幻想なのか
銃撃後の展開があまりにも都合よく進むため、トラヴィスは実際には死亡し、その後は最期に見た幻想ではないかという解釈があります。
英雄として称賛される。
アイリスは家族へ帰る。
ベッツィが自分のタクシーへ乗る。
かつて拒絶した女性が、今度は関心を示す。
すべてがトラヴィスの願望を満たしているように見えるからです。
しかし映画は、夢であると確定できる証拠を示していません。
むしろ現実として読むほうが、作品の風刺は強くなります。
社会は本当に彼を英雄として受け入れた。
そのため、彼の危険性は治療されることなく残されたのです。
現実のラストだからこそ恐ろしい
トラヴィスが死んでいたなら、彼の暴力はそこで終わります。
しかし生き残っているなら、再び孤独や拒絶を経験したとき、同じ衝動が戻るかもしれません。
世間から称賛されたことで、自分の暴力は正しかったという確信まで得ています。
トラヴィスは救われたのではありません。
社会によって誤診されたのです。
ベッツィが再び現れる意味
ラストでベッツィはトラヴィスのタクシーへ乗ります。
以前は彼を拒絶した女性が、英雄として報道された後には興味を示しているように見えます。
トラヴィスは料金を受け取らず、落ち着いた態度で彼女を送り届けます。
一見すると、精神的に成長し、執着を克服したようにも見えます。
しかしベッツィがトラヴィス本人を理解したわけではありません。
彼女も新聞が作った英雄像を見ている可能性があります。
二人は最後まで、本当の相手ではなく、相手について作られたイメージを見ているのです。
最後のバックミラーが意味するもの
ベッツィを降ろした後、トラヴィスはタクシーを走らせます。
その直後、突然何かに反応するようにバックミラーを見ます。
音楽と編集も、一瞬だけ不穏な変化を見せます。
彼の内面にある緊張が、完全には消えていないことを示す場面です。
トラヴィスは日常へ戻ったように見えます。
しかし鏡の中には、銃を構えていた頃と同じ男がいる。
ラストは回復ではなく、次の爆発までの静かな時間なのかもしれません。
冒頭の鏡とラストの鏡
物語の中盤で、トラヴィスは鏡へ向かって架空の敵と対話します。
ラストでは、バックミラーを通して現実の街を見ます。
鏡は、自分を見る道具であると同時に、他者や街を見る道具でもあります。
しかしトラヴィスは、鏡を通してしか世界と向き合えません。
直接誰かと関係を結ぶのではなく、常に距離を置き、自分の解釈を挟んで見ています。
タイトル『タクシードライバー』の意味
題名は主人公の名前ではなく、職業を示しています。
トラヴィスは何者なのかと問われても、明確な答えを持っていません。
元海兵隊員。
不眠症の男。
恋人になれなかった男。
暗殺者になれなかった男。
少女を救った英雄。
複数の姿がありながら、どれも安定した自己にはなりません。
タクシードライバーという仕事だけが、彼を社会へつなぎとめています。
しかしタクシーは、自分で目的地を決める乗り物ではありません。
乗客から告げられた場所へ走る仕事です。
トラヴィスもまた、自分の人生の目的地を見つけられないまま走り続けています。
ニューヨークの蒸気とネオンが示す悪夢
街の道路から蒸気が立ち上り、ネオンの光がタクシーの窓へ流れます。
ニューヨークは写実的な都市でありながら、地獄や悪夢のようにも撮影されています。
BFIは、蒸気を上げる歩道や抽象的なネオンによって、街が幻覚的で悪夢のような場所へ変化していると指摘しています。
重要なのは、本当に街全体が地獄なのか、それともトラヴィスの目を通すことで地獄に見えているのかという点です。
映画は両者を簡単には分けません。
甘い音楽と不穏な音楽が共存する理由
バーナード・ハーマンの音楽には、都会的でロマンチックな旋律と、危険を知らせる重い響きが共存しています。
トラヴィスは、恋愛や人間的なつながりを求める人物です。
同時に、暴力によって世界を変えようとする人物でもあります。
美しい旋律と不穏な音が切り替わる構成は、彼の中にある二つの欲望を表しています。
愛されたい。
すべてを破壊したい。
その感情は別々ではなく、同じ孤独から生まれています。
トラヴィスは現代でいう「インセル」なのか
現代の視点から、トラヴィスを非自発的に恋愛関係を持てない男性、いわゆるインセル文化の原型として読むことがあります。
確かに彼には、女性から拒絶された傷を社会への憎悪へ変え、自分だけが真実を理解していると思い込む傾向があります。
ただしトラヴィスを一つの現代用語だけで説明すると、帰還兵としての疎外、都市生活の孤独、精神的不調、自己救済への欲望が見えにくくなります。
2026年の50周年イベントでも、デ・ニーロはインターネットやパンデミック後の社会で孤立が深まり、人が否定的な世界へ没入する問題と本作を結びつけています。
トラヴィスを格好いい人物として見る危険
トラヴィスのモヒカン、軍用ジャケット、隠し銃、鏡の場面は、映画史に残る強烈なイメージです。
しかし作品は、彼を模倣すべき英雄としては描いていません。
彼の格好よさには、常に滑稽さと悲しさがあります。
鏡の前の威嚇も、見方を変えれば、話し相手がいない男の一人芝居です。
映像の魅力と人物の正しさを分けて受け取る必要があります。
批評|アイリスの視点が不足している
アイリスは物語の重要人物ですが、彼女自身の内面が十分に描かれているとはいえません。
なぜ家を出たのか。
スポーツとの関係をどのように感じているのか。
本当に実家へ帰ることを望んでいたのか。
観客が知る情報は限られています。
これは、アイリスがトラヴィスの救済物語へ組み込まれていることを示す一方、映画そのものも彼女を象徴として利用しているという批判につながります。
批評|暴力を批判しながら、暴力を魅力的にしていないか
終盤の銃撃は残酷ですが、映画の最も強烈な見せ場でもあります。
観客はトラヴィスの精神的崩壊を批判しながら、彼の反撃に興奮する可能性があります。
本作はこの矛盾を解消しません。
むしろ、暴力を嫌悪しながら見たいと望む観客の欲望まで含めて提示しています。
社会がトラヴィスを英雄にしたように、観客もまた、彼の暴力へ分かりやすい意味を与えたくなるのです。
『タクシードライバー』が50年後も古びない理由
1970年代のニューヨークという時代性を強く持ちながら、本作の孤独は現在にも通じます。
多くの人の姿を画面越しに見ていても、誰ともつながれない。
拒絶を自分の未熟さとして受け止めず、社会や特定の集団への憎悪へ変える。
自分の存在を認めさせるため、極端な行為へ引かれる。
情報環境や都市の姿が変わっても、孤独が自己正当化と結びつく危険は変わっていません。
映画『タクシードライバー』が伝えたかったこと
人間は、自分の苦しみに意味を与えたくなります。
トラヴィスは孤独で、自分が何のために生きているのか分かりません。
そこで彼は、街を浄化する戦士という役割を作ります。
この役割には魅力があります。
自分が不幸なのは弱いからではない。
ほかの人間が腐っているからだ。
自分は犠牲者ではなく、世界を正す者なのだ。
しかしその物語は、彼を他者へ近づけません。
さらに深く孤立させ、暴力へ向かわせます。
『タクシードライバー』が描くのは、悪人が突然狂った物語ではありません。
孤独を言葉にできなかった一人の人間が、憎悪の物語だけを信じるようになった過程です。
まとめ|ラストで英雄になったトラヴィスは、何も治っていない
映画『タクシードライバー』で、トラヴィスは少女アイリスを救い、社会から英雄として称賛されます。
しかし彼が準備した暴力は、最初から正義のためのものではありませんでした。
ベッツィに拒絶され、社会とのつながりを失い、自分の存在を証明する大きな行為を求めていた。
最初に選んだ標的は、政治家パランタインです。
暗殺に成功していれば、彼は英雄ではなく犯罪者になっていました。
計画に失敗した後、トラヴィスはアイリスを支配する男たちへ銃を向けます。
その暴力が少女の救出という結果を生んだため、社会は彼を正義の人物へ作り替えました。
ところが、トラヴィス本人の問題は何も解決していません。
孤独。
不眠。
他者との意思疎通の難しさ。
女性を理想化し、拒絶されると怒りへ変える性質。
自分を特別な使命を持つ人物だと思いたい欲望。
それらはラストにも残されています。
最後にトラヴィスがバックミラーを見た瞬間、映画はわずかな異変を響かせます。
英雄の穏やかな日常が始まったのではありません。
次の対象を見つける可能性を持った男が、再び夜の街を走り始めたのです。
『タクシードライバー』の恐ろしさは、トラヴィスのような人物が存在することだけではありません。
社会が彼の暴力の一部分だけを切り取り、英雄という分かりやすい名前を与えてしまうことです。
本当の危機は、孤独な人間が暴力を選んだ瞬間だけにあるのではない。
その暴力を社会が称賛し、本人へ「あなたは正しかった」と教えてしまった瞬間にもあるのです。

