2013年に公開された映画『はじまりのみち』は、アニメ映画で高い評価を得てきた原恵一監督が初めて手がけた実写作品です。本作は、日本映画界の巨匠・木下惠介の若き日々を描いた伝記的作品でありながら、単なる伝記映画にはとどまらず、「映画とは何か」「作る意味とは何か」という根源的な問いを観る者に投げかけます。
本記事では、映画『はじまりのみち』を多角的に分析し、その背景・構成・演出・テーマに至るまで、深く考察していきます。静かながらも心に残る本作の魅力を、ぜひ再確認してみてください。
作品概要と背景 ― 原恵一監督による“木下惠介”の再解釈
『はじまりのみち』は、戦中の疎開をきっかけに人生を見つめ直した木下惠介の実話をベースにしています。脚本・監督を務めた原恵一氏は、それまで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『カラフル』などのアニメ映画で知られていましたが、本作で実写に初挑戦。アニメで培った演出力を、実写という表現に落とし込んだ意欲作です。
原監督は、木下惠介が映画を通して人間の内面を掘り下げてきたことに共鳴し、その人間性と映画に向ける真摯な姿勢を本作に投影しました。映画は、木下が疎開先の母を背負って山越えをするエピソードに焦点を当てつつ、随所に彼の後年の作品群を想起させる演出が散りばめられています。
あらすじレビュー:疎開・山越えをめぐる物語の構造
舞台は1945年、太平洋戦争末期。映画検閲官だった木下惠介(加瀬亮)は、空襲から母親・たま(田中裕子)を守るため、静岡から長野まで徒歩での疎開を決意します。道中、疎開を手伝う弟、母の体調、戦争の不安など、現実的な困難が彼らを襲います。
本作のストーリーテリングは非常に静かで抑制的。派手な事件や大きな感情の爆発はありませんが、その分、人物の表情や言葉、そして風景が語る「感情」が丁寧に積み上げられていきます。
構成は非常にシンプルですが、要所で回想シーンや後年の木下作品の引用を挟むことで、物語に層を与えています。まるで山道を登るように、観客も一歩ずつ木下とともに歩んでいるような感覚を味わえる構造です。
人物描写と演技考察 ― 加瀬亮・田中裕子ほかキャストの力
本作の中心となるのは、加瀬亮演じる木下惠介と、田中裕子演じる母・たま。加瀬亮は、感情を抑えた表現でありながら、内に秘めた葛藤や怒り、優しさを繊細に演じ切っています。特に母を背負い山を越える場面で見せる「無言の感情」が、観客の胸に強く迫ります。
田中裕子の演技もまた圧巻です。病に伏しながらも、息子を信じ、支える母の姿を、力強くも儚く演じており、日本映画における「母」の原型を思わせます。
さらに脇を固めるユースケ・サンタマリアや濱田岳といった俳優陣も、木下を支える人々として自然な存在感を放ち、物語に奥行きを与えています。
映像・演出・引用の使い方 ― 木下惠介へのオマージュとその功罪
本作の撮影は、日本の田舎の風景を詩的に捉えたカメラワークが特徴的です。森の緑、山道のぬかるみ、夕暮れの空など、自然が静かに語りかけるような映像が続きます。これは原監督のアニメ演出時代の色彩感覚とリズムの延長線上にあると言えるでしょう。
また、木下惠介の後年の名作『二十四の瞳』や『陸軍』を思わせる演出も随所に見られ、映画史へのリスペクトが感じられます。一方で、あまりに「木下イズム」を強調しすぎたがゆえに、原監督独自の視点がやや後景に回ってしまっているという批判も一部には存在します。
それでも、映画への愛、そして映画という文化への誠実さが感じられる映像設計は、本作を単なる伝記映画以上のものにしています。
テーマとメッセージ ― 戦争・母子の絆・映画への志
『はじまりのみち』が最も強く伝えようとしているのは、戦争の中で失われていく日常の尊さと、それでも守りたい家族への想いです。母親を背負い疎開するという行動は、木下にとって「生きること」と「信じること」の象徴でもあります。
また、映画終盤に挿入される、木下惠介の実際のインタビュー映像やナレーションは、「なぜ映画を作るのか」という問いへの彼自身の答えとして、観る者の心に深く残ります。
本作は、映画作家としての木下惠介の始まりであると同時に、「映画を撮る」という行為そのものの意味を再確認させてくれる作品です。
【まとめ】静かな力強さが胸を打つ、原恵一監督による映画へのラブレター
『はじまりのみち』は、静かな語り口ながらも、非常に力強いメッセージを内包しています。戦争、家族、信念、そして映画という表現手段に込められた思いが、緻密に描かれています。
大きなドラマやエンターテインメント性を求める人には地味に映るかもしれませんが、「人を描く」ことに真摯に向き合った本作は、観終わったあとにじんわりと心を温めてくれる珠玉の作品です。