「レオン 映画 考察」で検索する人が知りたいのは、だいたいこの3つです。
- 結局、レオンとマチルダの関係は何だったのか?(愛?家族?)
- ラストの“植木鉢”は何を意味しているのか?
- 完全版(ディレクターズ・カット)で何が変わるのか?
この記事では、まずネタバレなしで作品の魅力と人物像を整理し、後半でラストの意味まで踏み込んで解説します。初見の人にも、何度も観た人にも「だから刺さるのか…」が残るようにまとめました。
- 『レオン』はどんな映画?作品情報・公開年・基本データ(完全版も含めて)
- あらすじ(ネタバレなし):孤独な殺し屋と12歳の少女が出会うまで
- 登場人物整理:レオン/マチルダ/スタンフィールドは何者だったのか
- 考察① レオンの“孤独”と不器用さ:なぜ彼は心を閉ざしていたのか
- 考察② マチルダの喪失と復讐:子どもが“大人”にならざるを得ない痛み
- 考察③ 2人の関係は「愛」か「家族」か:曖昧さが刺さる理由(賛否も含めて)
- 【ネタバレ】結末解説:手榴弾の選択と“最期の優しさ”が意味するもの
- 【ネタバレ】植木鉢の意味を考察:「根を下ろす」=救済/再生のメッセージ
- 音楽・演出の考察:『Shape of My Heart』がラストに残す余韻
- 完全版とオリジナル版の違い:追加シーンで変わる“見え方”とは
- 製作秘話・小ネタで深掘り:脚本背景/名ゼリフ誕生など(スタンフィールド含む)
- マチルダのその後はどうなる?ラストから読み解く未来(解釈パターン)
- まとめ:『レオン』が今も“語られ続ける”理由(初見・再見それぞれの刺さり方)
『レオン』はどんな映画?作品情報・公開年・基本データ(完全版も含めて)
『レオン』はリュック・ベッソン監督・脚本による1994年の作品で、フランス/アメリカ合作のバイオレンス・アクションです。主演はジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ゲイリー・オールドマン。主題歌(劇中で強く印象に残る曲)はスティングの「Shape of My Heart」。
日本公開は1995年(オリジナル版)で、のちに**未公開シーンを追加した「完全版」**が広く知られるようになります。上映時間も、劇場版と完全版でしっかり差があるタイプです。
この映画の凄さは、派手な銃撃戦だけじゃありません。
“孤独に生きる殺し屋”と“居場所を失った少女”が、同じ部屋で暮らすことで「人として」変わっていく。その変化を、説明しすぎず映像で伝える上手さが、今も古びない理由だと思います。
あらすじ(ネタバレなし):孤独な殺し屋と12歳の少女が出会うまで
舞台はニューヨーク。レオンは寡黙で、仕事は完璧、私生活は無機質。
そんな男の隣室に住むのが、12歳の少女マチルダです。家庭にも社会にも守られず、顔には傷があり、言葉は強がっている。
ある日、マチルダの家族に悲劇が起き、彼女は“隣人”レオンのドアを叩きます。
ここから映画は、アクションの速度ではなく、**「2人が同じ空間で息をし始める速度」**で進んでいくのがポイント。はやい展開なのに、気持ちは置き去りにしない。だから観客が感情移入できるんです。
登場人物整理:レオン/マチルダ/スタンフィールドは何者だったのか
レオン
殺し屋としては一流。でも人としては不器用で、暮らしは極端にミニマル。感情の扱い方がわからない、というより「扱わないようにして生きてきた」人です。
マチルダ
子どもなのに子どもでいられない。愛情に飢え、怒りを抱え、言葉が過剰に“大人びる”。このアンバランスさが、彼女を危うくも魅力的にもしています。
スタンフィールド
権力を盾にした暴力そのもの。理屈ではなく“気分”で人を壊す。
この映画の恐怖は、ギャングの銃より、正義側にいるはずの人間が壊れているところにあります。
考察① レオンの“孤独”と不器用さ:なぜ彼は心を閉ざしていたのか
レオンの孤独は「人嫌い」ではなく、もっと切実なやつです。
彼は“感情を持つと弱くなる”世界で生きてきた。だから、優しさも怒りも、最初からしまい込むクセがある。
象徴的なのが、生活の単純さ。決まったルーティン、静かな部屋、余計な会話をしない距離感。
そこにマチルダが入り込むと、レオンの中で凍っていた部分が少しずつ溶ける。でも溶け方が不器用だからこそ、観ていて痛いし、愛おしい。
つまりレオンは“強い”んじゃなくて、強くならざるを得なかった人。
その強さが、マチルダにとっては「初めて安心できる壁」になるわけです。
考察② マチルダの喪失と復讐:子どもが“大人”にならざるを得ない痛み
マチルダの復讐心は、単なる怒りではありません。
家族を失った悲しみを、受け止めきれない。だから“目標(仇)”を作って、感情を一点に集める。そうしないと崩れてしまうから。
ここが『レオン』の残酷なところで、マチルダは「復讐をやめたら救われる」タイプの物語に乗れない。
彼女の人生はもう、子どものやり直しがきかない地点まで壊されている。
だからこそ、レオンと過ごす時間が重要になります。
復讐ではなく、暮らしの中で笑うこと。寝ること。食べること。
その“普通”が、彼女にとっては再生の訓練なんですよね。
考察③ 2人の関係は「愛」か「家族」か:曖昧さが刺さる理由(賛否も含めて)
結論から言うと、どちらかに決め切れない曖昧さこそが、この映画の核心です。
- レオン側は、恋愛というより「守る」「育てる」に近い温度
- マチルダ側は、愛情不足と大人への憧れが混ざって、恋に似た言葉を選んでしまう
このズレが、観客に“居心地の悪さ”も生みます。
今の感覚で見ると、危うさが強調される場面もあるし、賛否が出るのも当然です。
ただ、その賛否を含めて語られ続けるのは、映画が「答え」を提示しないから。
2人の関係をラベルで固定した瞬間に、この物語の切なさは薄まってしまう。だからこそ、観た人が自分の経験や価値観を持ち込んでしまうんです。
【ネタバレ】結末解説:手榴弾の選択と“最期の優しさ”が意味するもの
※ここからネタバレありです。
終盤、レオンは“勝つ”ために戦っていません。
マチルダを生かすために、自分の命をコストとして差し出す。
手榴弾の場面は、復讐でも武勇伝でもなく、**「これ以上、彼女の世界を壊させない」**という終止符です。
レオンは殺し屋として多くを奪ってきた人間ですが、最後の最後で「奪う側」から「与える側」に立つ。
その瞬間、彼はようやく“根無し草”ではなくなる。
皮肉だけど、死によって初めて人間として完成する、みたいなラストです。
【ネタバレ】植木鉢の意味を考察:「根を下ろす」=救済/再生のメッセージ
植木鉢は、この映画で最もわかりやすい象徴です。
- レオンは鉢の中で植物を育てる=根を張れない生き方
- マチルダが最後に土へ植える=ここから先を生きる宣言
つまり植木鉢は、レオンの人生そのもの。
移動し続ける殺し屋稼業、関係を結ばない生き方、“土”に触れない暮らし。
マチルダがそれを地面に植える行為は、
「私はもう、流されるだけでは生きない」
「あなたがくれたものを、ここで育てる」
という再生の儀式に見えます。エンディング解釈でも、そこが強く語られています。
音楽・演出の考察:『Shape of My Heart』がラストに残す余韻
『レオン』は、説明で泣かせず、余韻で泣かせる映画です。
その余韻を決定づけているのが「Shape of My Heart」。
この曲が効くのは、旋律が“悲しい”からではなく、どこか“静かに受け入れてしまう”温度を持っているから。
レオンの生き方って、まさにその温度なんですよね。感情を爆発させず、淡々と抱えてしまう。
主題歌として「Shape of My Heart」が挙げられている通り、作品の顔になっている一曲です。
完全版とオリジナル版の違い:追加シーンで変わる“見え方”とは
『レオン』は、観るバージョンで印象が変わりやすい作品です。
完全版は未公開シーン約22分追加が大きな特徴。
追加で語られがちなのは、たとえば以下のような“関係性の濃度”が増す部分です。
- マチルダの訓練や初仕事周りの場面
- 2人の距離が近づく(=解釈が割れやすい)場面
オリジナル版が「美しい余白」で成立しているのに対して、完全版は「余白を少し埋める」ことで、関係の曖昧さがより前に出ます。
初見ならオリジナル版、考察目的なら完全版…みたいに、使い分ける人が多いのも納得です。
製作秘話・小ネタで深掘り:脚本背景/名ゼリフ誕生など(スタンフィールド含む)
『レオン』は作品の強度が高い分、裏側の話もよく読まれます。
たとえばFILMAGAでは、企画事情や脚本面のトピック(比較的短期間で書かれた、など)が紹介されていて、作品の“切れ味”の理由が見えてきます。
また、スタンフィールドという悪役が強烈なのもポイント。
「異常な個」の怖さではなく、権力を持った人間の“崩壊”がそのまま暴力になる怖さ。だから現実味があるし、後味も重い。
小ネタを拾うなら、衣装や所作(レオンの静かな動き、マチルダの背伸びする振る舞い)に注目すると、台詞以上に感情が見えてきます。
マチルダのその後はどうなる?ラストから読み解く未来(解釈パターン)
マチルダの未来は、明確には描かれません。だからこそ、解釈が分かれます。
解釈A:再生ルート
植木鉢を植える=「ここからは地に足をつける」。
学校に戻ることは、社会への再接続。傷は残るけれど、人生を続ける方向へ。
解釈B:喪失を抱えたままのルート
植えることは儀式であって、癒えたわけではない。
“レオンの不在”が大きすぎて、彼女はずっと何かを探し続ける。
個人的にはA寄り。ただし、Aは「ハッピー」じゃなくて「生存」です。
『レオン』が優しいのは、“救い”を派手に描かず、生きること自体を救いとして置いていくところだと思います。
まとめ:『レオン』が今も“語られ続ける”理由(初見・再見それぞれの刺さり方)
『レオン』が強いのは、観終わったあとに「感想」ではなく「問い」が残るからです。
- 2人の関係をどう呼ぶかで、自分の価値観が出てしまう
- ラストの植木鉢が、救いにも呪いにも見える
- 完全版/オリジナル版で、同じ物語の温度が変わる
初見はストーリーと余韻にやられ、再見は“孤独の描き方”に刺される。
だから「レオン 映画 考察」で検索する人が絶えないんだと思います。

