【映画考察】『そして僕は途方に暮れる』はなぜ心に刺さるのか?“逃げる男”の真意を読み解く

映画『そして僕は途方に暮れる』は、現代を生きる私たちに「逃げるとは何か」「向き合うとは何か」という根源的な問いを突きつけてきます。劇作家・三浦大輔の同名舞台を自らが監督・脚本を手がけて映画化した本作は、藤ヶ谷太輔演じる主人公・裕一の“逃走劇”を通じて、現代人の弱さと空虚さを描き出します。

本記事では、物語構造やキャラクターの関係性、テーマ、演出、ラストの意味などを丁寧に読み解いていきます。


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物語の概要と「逃避」の構造:主人公・裕一の旅路を辿る

主人公・菅原裕一は、ごく普通の青年です。都内で一人暮らしをし、恋人との日常を淡々と送っているように見えますが、ある日恋人との些細な喧嘩をきっかけに、彼の“逃走”が始まります。

・友人の家
・地元・青森の実家
・姉の家
・高校時代の友人の元
・東京に戻っての再会と別離

逃げる理由がはっきりしているようで曖昧で、行き先も一貫性がない。だが、この“宛てのなさ”こそが本作の核です。逃げることで自分を守ろうとするも、どこへ行っても責められ、関係性に亀裂が入る。まるでゲームのように人間関係をリセットしていく裕一の旅は、現代の“繋がり”の脆弱さそのものを象徴しているように映ります。


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登場人物と人間関係:裕一を取り巻く“家族/友人/恋人”の風景

本作の人間関係は、「逃げられる側」と「見捨てられる側」の二項対立が繰り返されます。恋人・里美は、最初に裕一を責め立て、彼の逃走の発端となりますが、やがて彼を迎え入れる側に回ります。今井や姉・香など、かつての知人や家族も、かつての関係に甘え続ける裕一に次第に失望していきます。

特筆すべきは、父・母の存在。母は淡々と裕一を受け入れますが、父との再会は非常に重く、緊張感のあるシーンです。「なぜ戻ってきた」「お前には何も期待していない」という冷徹な言葉が、逃げてきた裕一を突き放します。

裕一はどこにいても、「居場所がない」と感じてしまいます。だが、それは本当に“相手”のせいなのか?観客に突きつけられるのは、自分が関係性の中でどう振る舞っているのかという鏡です。


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テーマとモチーフ:「逃げる」という行為/「振り向く」という視線

『そして僕は途方に暮れる』というタイトルそのものが、本作の最大のテーマを物語っています。裕一は常に「その場からいなくなる」「対峙しない」ことを選び続けます。明確な悪意があるわけではないが、「面倒を避けたい」「叱られたくない」という消極的な逃避が、結果的に周囲を深く傷つけるのです。

象徴的な演出に「振り向く」視線があります。裕一は幾度も、振り向いては立ち止まり、しかし再び背を向けていきます。振り向く=自分の行動に目を向ける=反省や自覚の芽生え、という暗喩とも読めるでしょう。

また、「誰かとつながっていたい」「でも縛られたくない」という矛盾した欲望が、登場人物たち全員に共通して見られるのも重要です。現代人が抱えるコミュニケーションの不安と、関係性の不安定さを、さまざまな人物像を通じて提示しています。


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演出と映像言語:監督 三浦大輔、キャスト陣の語りと空気感

三浦大輔監督は、自身の舞台作品を丁寧に映画化することで知られています。本作も舞台の「会話劇」をベースにしながら、映画ならではの空間演出やカメラワークが随所に光ります。

特に、ロングショットを多用した“間”の演出が効果的です。裕一がただ立ち尽くすシーン、沈黙が支配する室内、無言の帰宅——その“空白”にこそ、観客は多くを読み取ることになります。

主演の藤ヶ谷太輔は、ジャニーズ出身とは思えないほど脱力した存在感を見せます。「情けない」「ダメな男」でありながら、完全に見捨てられないギリギリの魅力を体現しており、観客の感情を微妙に揺さぶります。共演者たちも舞台出身が多く、台詞の応酬にリアリティを与えています。


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結末・ラストシーンの意味と観客への問い:成長か、停滞か、それともその先か

ラストで裕一は、“また逃げようとする”が、“逃げ切れない”。あえて曖昧に描かれたその終幕には、希望も絶望もあるように思えます。

「僕は何も変わっていない」という台詞の通り、裕一は成長していないのかもしれません。しかし一方で、誰かと真正面から向き合ったことで、少しだけ“自覚”の芽は出たようにも見えます。

この映画は、“カタルシスのない物語”です。だからこそリアルで、観客自身の生き方や人間関係にも直結します。「あなたなら、どうするか?」という問いが、観る者一人一人に突き刺さる余韻を残すのです。


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【結語】Key Takeaway

『そして僕は途方に暮れる』は、逃げることと向き合うことの間で揺れる現代人の本質をあぶり出す作品です。どこかにいる“自分自身のような存在”として、主人公・裕一を見つめることで、人は初めて自分の弱さや責任と向き合うのかもしれません。

逃げることは悪なのか?
向き合うことだけが正解なのか?

その答えは、スクリーンの外、観る者一人一人の中にあるのです。