映画『アンダーカレント』は、夫が突然失踪した銭湯の女主人・かなえと、彼女のもとへ現れた謎の男・堀を描く物語です。
物語だけを追えば、
「悟はなぜ消えたのか」
「堀はいったい何者なのか」
という二つの謎を解いていくミステリーにも見えます。
しかし、本作が本当に描いているのは、もっと曖昧で答えの出ない問題です。
人は、他人のことをどこまで理解できるのか。
そして、
本当のことを話すことは、いつでも相手のためになるのか。
かなえ、悟、堀の3人は、それぞれ異なる理由から「言えないこと」を抱えています。
そしてタイトルの「アンダーカレント=底流」が示しているのも、普段は表面から見えない、人間の心の奥底に流れ続けている感情なのではないでしょうか。
本記事では『アンダーカレント』の結末までネタバレしながら、堀の正体、悟が失踪した理由、かなえの過去、水の意味、そして映画版で追加されたラストシーンについて考察します。
※この記事には映画『アンダーカレント』の重大なネタバレが含まれます。
映画『アンダーカレント』作品情報
『アンダーカレント』は、豊田徹也による同名漫画を今泉力哉監督が実写映画化した作品です。
2023年10月6日に公開され、主人公・関口かなえを真木よう子、堀隆之を井浦新、探偵の山崎をリリー・フランキー、失踪した夫・悟を永山瑛太が演じています。
脚本は澤井香織と今泉力哉、音楽は細野晴臣が担当しました。
主な登場人物
関口かなえ/真木よう子
家業である銭湯「月乃湯」を経営する女性。夫・悟の突然の失踪に戸惑いながらも、銭湯を再開する。
堀隆之/井浦新
月乃湯へ働きにやって来る謎めいた男。口数は少ないが真面目に働き、次第にかなえの日常に溶け込んでいく。
白石悟/永山瑛太
かなえの夫。ある日突然姿を消す。探偵による調査によって、かなえに語っていた過去の多くが事実ではなかったことが判明する。
山崎道夫/リリー・フランキー
かなえが悟を探すために依頼する探偵。どこか胡散臭く見える一方で、人間について本作の核心を突くような言葉を残す人物でもある。
あらすじ|夫が消え、謎の男がやって来る
かなえは、夫・悟とともに家業の銭湯「月乃湯」を営んでいました。
ところが悟は突然失踪。
理由も分からないまま残されたかなえは、休業していた月乃湯を再開します。
そんな彼女のもとへ現れるのが、堀という男です。
堀は月乃湯で働き始め、かなえとの間に奇妙ながらも穏やかな日常が生まれていきます。
一方、かなえは友人から紹介された探偵・山崎に悟の捜索を依頼。
調査が進むにつれ、かなえが知っていた悟の経歴には多くの嘘が含まれていたことが分かってきます。
そして同じ頃、かなえ自身の中でも、長年封印されていた幼少期の記憶が浮かび上がってきます。
先に結論|『アンダーカレント』は「人を理解できない」ことを受け入れる映画
本作を読み解くうえで重要なのは、
悟だけが嘘をついているわけではない
という点です。
確かに悟は、自分の生い立ちをはじめ、多くのことを偽っています。
しかし堀も、自分の正体をかなえに隠しています。
さらにかなえ自身も、幼少期の出来事を誰にも話せないまま生き続けてきました。
つまり3人とも、
本当のことを言えない人間
なのです。
違うのは、その理由だけです。
悟は「本当の自分を知られること」を恐れる。
堀は「真実を話せばかなえを傷つける」と考える。
かなえは、恐怖と罪悪感から過去を語ることができない。
『アンダーカレント』は、誰が嘘つきなのかを暴く映画ではありません。
むしろ、
人には外から見ただけでは決して分からないものが流れている
という事実を描いた映画なのだと思います。
悟はなぜ失踪したのか
探偵・山崎の調査によって、かなえは夫・悟について驚くべき事実を知ります。
悟が語っていた出身地や家族についての話は事実ではなく、彼は過去にも自分自身を偽りながら生きていました。
やがて再会した悟自身も、自分が嘘を重ねながら生きてきたことを語ります。
では、なぜ悟はかなえの前から姿を消したのでしょうか。
単純に考えれば、
「嘘がバレるのが怖くなったから」
でしょう。
しかし、それだけではないように思えます。
悟は、相手が望んでいる人物になろうとすることで、人間関係を成立させてきた人物です。
相手が期待している自分を演じる。
そのために一つ嘘をつき、その嘘を守るためにまた別の嘘をつく。
そうしているうちに、
自分自身が何者なのか分からなくなってしまった。
かなえとの関係が深くなればなるほど、この生き方は続けられなくなります。
結婚生活や将来について考えることは、「本当の自分」を相手に差し出すことでもあるからです。
だから悟は、真実を告白することもできず、嘘を続けることもできず、「消える」という第三の選択をしてしまったのではないでしょうか。
悟はかなえを愛していなかったのか
悟が大量の嘘をついていたと知ると、
「では、かなえとの結婚そのものも嘘だったのではないか」
と思ってしまいます。
しかし本作は、そこまで単純には描いていません。
むしろ悟が消えたのは、かなえとの関係がどうでもよかったからではなく、大切になりすぎたからこそ、自分の嘘に耐えられなくなったとも考えられます。
どうでもいい相手なら、そのまま嘘を続けることもできたはずです。
しかし、かなえと人生を築こうとすればするほど、
「この人は、自分だと思っている人間を愛しているだけなのではないか」
という恐怖が大きくなる。
悟が逃げているのはかなえからというより、
かなえの前に立ったときに見えてしまう、自分自身から
なのかもしれません。
堀の正体とは?
物語後半、堀の正体も明らかになります。
堀は、かなえが子どもの頃に親しくしていた少女・さなえの兄でした。
25年前、かなえとさなえは不審な男に襲われます。
かなえが危険な状況に陥った際、さなえが声を上げたことで男の標的となり、かなえはその場から逃げます。
その後、さなえは殺害されて発見されました。
犯人に「誰にも言うな」という趣旨の脅しを受けていたかなえは、恐怖から真実を話すことができませんでした。
一方、堀の家族もまた、さなえを失ったことで崩壊していきます。
つまり、かなえと堀は同じ事件によって人生を変えられた二人だったのです。
堀はなぜかなえに近づいたのか
ここは本作の中でも特に曖昧な部分です。
堀は、最初からかなえに復讐するために近づいたのでしょうか。
私はそうではないと考えます。
堀は仕事の関係でかつて暮らしていた土地を訪れた際、かなえの姿を偶然見かけます。
そして、亡くなった妹・さなえの面影をかなえの中に見たことが、月乃湯へ近づくきっかけになります。
ただし、それが
「妹の代わりを求めた」
という単純な話でもないでしょう。
堀自身、自分がかなえに何を求めているのか、はっきり理解できていなかったのではないでしょうか。
今泉力哉監督も、堀について「自分が今どうしたいのかもよく分からない」人物として語っています。
堀はかなえを責めたいのかもしれない。
救いたいのかもしれない。
妹の面影を見たいのかもしれない。
あるいは自分自身が救われたいのかもしれない。
そのどれか一つではなく、すべてが混ざり合った感情なのだと思います。
それこそが、堀の中を流れている「アンダーカレント」です。
かなえはなぜ過去を忘れていたのか
かなえは、さなえの事件について長い間記憶を封じ込めています。
しかし完全に消えていたわけではありません。
映画の中では、水の中に沈むようなイメージや首を絞められる感覚として、過去が繰り返し現れます。
つまり彼女の頭では忘れていても、
身体のどこかには記憶が残り続けている。
そして近所の少女・みゆが一時行方不明になった出来事をきっかけに、封印されていた記憶が一気に蘇ります。
かなえが抱えていたのは、
「あのとき自分だけ逃げてしまった」
という罪悪感です。
しかし、かなえは当時まだ子どもでした。
殺したのは犯人であり、かなえではありません。
本来なら、恐怖の中から逃げ帰ってきた彼女こそ守られるべきでした。
それでもかなえ自身の中では、
「私の代わりにさなえが死んだ」
という感覚が消えません。
だから彼女は長い間、さなえの死と一緒に生き続けてきたのでしょう。
かなえが「さなえ」のようになった意味
かなえとさなえは幼い頃、よく似た少女でした。
事件の前後を考えると、かなえはその後、亡くなったさなえを無意識のうちに自分の中へ取り込んで生きてきたようにも見えます。
これは単なる友情ではないでしょう。
「自分が生き残ってしまった」
という罪悪感から、
さなえの分まで自分が生きなければならない
という感覚を持っていた可能性があります。
だから堀が大人になったかなえを見て妹の面影を感じることにも、残酷な意味が生まれます。
かなえはずっと、
自分自身として生きているつもりで、
どこかでは「さなえの代わり」として生きていたのかもしれません。
なぜ舞台が「銭湯」なのか
『アンダーカレント』において、水は非常に重要なモチーフです。
タイトル自体が「底流」を意味し、作品全体にも水のイメージが繰り返し現れます。今泉監督へのインタビューでも、タイトル、銭湯、水というモチーフの関係が指摘されています。
かなえの仕事場は銭湯です。
つまり彼女は毎日大量の水に囲まれて生活しています。
一方で、彼女の心の奥底には、さなえの死と結びついた水の記憶が沈んでいます。
ここが非常に皮肉です。
水はかなえにとって、
人を癒やすもの
であると同時に、
過去の恐怖を呼び起こすもの
でもあります。
人々は月乃湯を訪れ、服を脱ぎ、湯につかり、身体を温めます。
外の世界で抱えていたものを一時的に下ろす場所です。
ところが、その銭湯を営んでいるかなえ自身は、自分の奥底に沈めたものをなかなか外へ出すことができない。
だから月乃湯は、本作そのものを象徴する場所でもあります。
表面の湯は穏やかでも、その下には見えない流れが存在しているのです。
タイトル「アンダーカレント」の意味
「undercurrent」には、水面下を流れる「底流」だけでなく、表面には現れない感情や傾向といった意味があります。
これは、本作の登場人物たちそのものです。
表面だけを見れば、
かなえは銭湯を切り盛りする女性。
悟は優しい夫。
堀は真面目な従業員。
しかし、その下にはまったく違うものが流れています。
かなえには、幼少期の罪悪感。
悟には、本当の自分を知られる恐怖。
堀には、妹を失った悲しみとかなえへの複雑な感情。
人間の表面と、その内側は一致しない。
しかも厄介なのは、
本人でさえ、自分のアンダーカレントを理解しているとは限らない
ことです。
堀自身が、なぜかなえのところへ来たのか完全には説明できないように。
だから本作が描く「人を理解する」とは、その人の真実をすべて知ることではありません。
分からない部分が残っていることを認めたうえで、それでも一緒にいようとすることなのだと思います。
悟と堀は正反対のようで似ている
悟は去ります。
堀は残ります。
その意味では正反対の人物です。
しかし二人には決定的な共通点があります。
どちらも、かなえに真実を言えなかった。
悟は、本当の自分を知られれば関係が壊れると思った。
堀は、自分の正体を話せばかなえを傷つけると思った。
二人とも、
「相手のため」
という理由をどこかで抱えながら沈黙します。
しかし沈黙された側のかなえにとって、それは優しさとは限りません。
むしろ悟が突然消えたことによって、かなえは長い間「なぜ?」という問いの中へ置き去りにされました。
だからこそ堀にも、
黙っていなくならないでほしい
という思いを向けます。
本作はここで、優しさの難しさを描いています。
真実を話せば傷つけるかもしれない。
しかし、何も言わずに消えることでも傷つける。
では、どうすればいいのか。
映画は明快な正解を示しません。
堀が最後に真実を話す意味
堀は一度、かなえの前から去ろうとします。
自分がさなえの兄だと分かれば、かなえをさらに苦しめてしまうと考えたからでしょう。
これは悟と同じ行動です。
真実を伝えることができない。
だから消える。
しかし堀は最終的に戻ります。
ここが、悟と堀を分ける決定的なポイントです。
悟は、
相手を傷つけないために姿を消す
ことを選びました。
堀は、
傷つける可能性があっても、その場に残る
ことを選びます。
どちらが絶対的に正しいとは言えません。
ただ映画が最後に描くのは、後者です。
人と関係を持つ以上、傷つけないことなど不可能なのかもしれません。
大切なのは、
傷つく可能性があるから関係を断つのではなく、それでも相手と向き合おうとすること
なのではないでしょうか。
ラストの意味|かなえと堀は恋愛関係になったのか
映画版の『アンダーカレント』では、原作の結末より少し先の時間が描かれています。
今泉力哉監督は、原作のラストを「完璧」と評価しながらも、その続きを映画として少しだけ提示したかったと語っています。
重要なのは、映画のラストが
「かなえと堀は結ばれて幸せになりました」
という分かりやすいハッピーエンドではないことです。
二人の問題が解決したわけではありません。
さなえは戻ってこない。
かなえの過去も消えない。
堀が失った家族も元には戻らない。
悟との時間もなかったことにはできません。
それでも、かなえと堀は同じ時間の中にいます。
今泉監督自身も、最後の二人について、関係がうまくいっているかどうかは分からないものの、「同じ方向を向いている」という趣旨の説明をしています。
つまり重要なのは恋愛かどうかではありません。
お互いの真実を知ったあとも、同じ場所にいることを選んだ。
そこに映画版の希望があります。
原作と映画のラストが違う理由
原作では、堀の行動についてより余白を残した形で物語が終わります。
映画ではその先を描き、かなえと堀が同じ時間を過ごしている姿まで見せます。
今泉監督は、原作の結末を尊重しながら、「その先の時間」を描きたかったと複数のインタビューで説明しています。
これは『アンダーカレント』という作品にとって重要な変更だと思います。
人生では、何か重大な真実を知ったからといって、その瞬間に物語が終わるわけではありません。
翌日も来ます。
食事もしなければならない。
仕事もしなければならない。
嫌でも誰かと顔を合わせる。
映画のラストが示しているのは、
「真実が分かった後にも人生は続く」
ということなのでしょう。
「人をわかる」とはどういうことなのか
『アンダーカレント』を貫いている最大の問いは、
人を理解するとは何か
ということです。
かなえは夫である悟のことを理解していると思っていました。
しかし知らないことが大量にありました。
堀についても、かなえはほとんど何も知りません。
さらに、かなえ自身さえ、自分の奥底にある記憶を理解していませんでした。
つまり、
他人を完全に理解することはできない。
自分自身でさえ完全には理解できない。
それでも人間は誰かと生きていくしかありません。
今泉監督も、本作について、相手や自分をすべて理解するのは難しい一方で、理解しようとすることの意味について語っています。
ここが重要です。
本作は、
「人は分かり合える」
とは言っていません。
むしろ逆です。
人は完全には分かり合えない。
でも、
分かろうとすることはできる。
このわずかな違いこそが、『アンダーカレント』の優しさなのではないでしょうか。
まとめ|心の底流は消えない。それでも誰かと生きていく
『アンダーカレント』には、すべてを説明してくれる人物はいません。
悟がなぜあれほど嘘をつくようになったのか。
堀がかなえに何を求めていたのか。
かなえがこれから過去とどう向き合っていくのか。
最後まで完全な答えは出ません。
しかし、それこそがこの映画のテーマなのでしょう。
私たちは他人の心を完全には見ることができません。
穏やかに話している人の中にも、
笑っている人の中にも、
長年一緒に暮らしている夫婦の間にも、
表面からは見えない何かが流れています。
それが「アンダーカレント」です。
悟は、その底流を見せることを恐れて消えました。
堀もまた、一度は消えようとしました。
しかし最後には戻ってきます。
そしてかなえも、自分の中に沈めていた過去と向き合います。
何も解決していない。
誰も完全には救われていない。
それでも、真実を知った二人が同じ時間を生きている。
だから『アンダーカレント』のラストにあるのは、大げさな希望ではありません。
「分からない相手と、それでも一緒にいることはできる」
という、ごく小さな希望です。
人を理解するとは、相手のすべてを知ることではない。
分からないものが残ることを認めながら、それでも相手を理解しようとする。
静かな物語の底を流れ続けていたのは、そんな人間同士の関係についての問いだったのではないでしょうか。
参考資料
映画の基本情報・あらすじはKADOKAWAの作品情報を参照。
映画版のラストや作品テーマについては、今泉力哉監督の各インタビューを参照しています。

