「ネムルバカ」は、ゆるい大学生活を描いた青春映画——
そう思って観始めると、ラストで静かに胸をえぐられます。
なぜ先輩は“失踪”という形を選んだのか。
入巣とルカの関係は友情だったのか、それとも別の感情だったのか。
そして、主題歌「ネムルバカ」が物語のどこを補完していたのか。
この記事では、結末の意味/冒頭構成の意図/2人の関係性/原作との違いまで、ネタバレありで丁寧に考察します。
鑑賞後に残るあのモヤモヤを、言語化したい人はぜひ最後まで読んでみてください。
ネムルバカはどんな映画?まず押さえるべき基本情報
『ネムルバカ』は、石黒正数の同名コミックを実写化した青春ドラマです。大学女子寮で同室の入巣柚実と鯨井ルカという、性格も将来像も違う2人を中心に、ゆるい日常が少しずつ変化していく過程が描かれます。公開は2025年3月20日、上映時間は106分。監督は阪元裕吾、主演は久保史緒里・平祐奈のW主演です。
物語の表面だけを見ると「大学生の同居青春もの」ですが、本質は“居心地のいい関係が、進路の差でほころんでいく瞬間”を追う作品です。だから本作は、派手な事件よりも、会話の間や沈黙の温度で刺してくるタイプの映画だと言えます。作品の見どころとしても、まさにこの「気楽さ」と「現実との衝突」の同居が打ち出されています。
「先輩失踪」という結末は何を意味するのか
本作の考察で繰り返し語られるのが「先輩失踪」という帰結です。レビューでも、この結末を“切ない必然”として受け止める人と、“説明不足で置いていかれる”と感じる人に分かれており、まさに作品の評価軸になっています。
この失踪を“裏切り”として読むか、“関係の限界が見えた結果”として読むかで、映画の印象は大きく変わります。私の解釈では、これは悪意の決断ではなく、同じ部屋で同じ夜を過ごしていても、同じ未来は見ていなかったという事実の露呈です。だから痛いし、だからリアルです。
なぜ冒頭で結末を見せるのか
上位の考察記事で共通して注目されるのが、冒頭で“先の出来事”を先に示す構成です。これにより観客は、「何が起きるか」ではなく「なぜそこに至るのか」を追う視点に切り替わります。
この構成の効き目は、何気ない場面ほど強く出ます。笑える雑談、だらだらした飲み、同居の気楽さ――その全部が「いつか終わる前提」で見えてくる。結果として、普通の青春映画なら流してしまう細部が、伏線のように重くなるのです。
つまり本作は、サスペンス的な驚きで押す映画ではなく、余白を積み上げて“別れの必然”に着地させる映画だと読めます。
入巣とルカの関係性は“友情”だけでは説明できない
入巣とルカは、単なる先輩後輩以上の距離感で結ばれています。女子寮で同室、居酒屋での雑談、古い海外ドラマを一緒に観る夜――互いの生活に深く溶け込んだ関係です。
ただし、この親密さは「同じ方向に進む」ことを保証しません。入巣は“いま”に留まり、ルカは“次”へ向かう。関係が深いほど、進行方向の差は痛みになります。
この作品の上手さは、対立を大げさに爆発させないこと。価値観のズレを、喧嘩ではなく生活のテンポ差として見せるからこそ、観客は自分の記憶と重ねてしまうのだと思います。
主題歌「ネムルバカ」が物語の“第二の脚本”になっている
主題歌「ネムルバカ」は、作詞を原作者・石黒正数、作曲を朝日(ネクライトーキー)、歌唱を平祐奈 as 鯨井ルカが担当。映画内のキャラクター性と、原作の言語感覚が楽曲レベルで接続されています。
本予告で打ち出された「夢だとか、才能だとか。」というコピーも含め、音楽は本作のテーマを直球で言語化する装置です。
セリフでは言えない本音を、歌だけが代弁してしまう。だからこの映画では、主題歌は“添え物”ではなく、人物の核心に触れるためのもう一本の物語線になっています。
炊飯器・居酒屋・寝言…日常小物が象徴になる理由
『ネムルバカ』の考察が盛り上がる理由は、象徴が“日常品”でできているからです。派手なメタファーではなく、炊飯器や食事、バイト、雑談といった生活ディテールが、そのまま価値観の差を可視化します。
実際、劇伴のトラック名にも「二人のモラトリアム」「和室二部屋炊飯器あり」など、日常そのものを記号化する語が並びます。
また複数の考察記事でも、炊飯器エピソードは“同居を続ける意思”と“そこを出る意志”の分岐点として読まれています。
この映画の凄さは、観客に「自分ならどっちを選ぶか」を問うところ。抽象概念ではなく、生活レベルで問いを立ててくるから、観終わったあとも長く残るのです。
ルカの選択は「成功」か「喪失」か
あらすじ上、転機は明確です。ルカに大手レコード会社から連絡が来て、2人の日常が動き出す。
ここで本作が面白いのは、夢に近づくことを単純な上昇として描かない点です。メジャーの扉が開くほど、これまでの関係は“そのまま”ではいられなくなる。
つまりルカの決断は、「前進」だけでなく「切断」を含みます。
この二面性こそが、『ネムルバカ』というタイトルの苦味です。夢を選ぶことは正しい。だけど、正しさはいつも誰かの寂しさとセットになる――本作はその現実を誤魔化しません。
映画版と原作の違いはどこにある?改変の意味を読む
映画版は原作の核(先輩後輩の関係、夢と停滞の対比)を保ちながら、実写として届くように会話の温度や出来事の配置を調整しています。作品情報でも、原作コミックを阪元監督が映画化したことが明示されています。
差分比較系の記事では、人物のトーン調整や追加会話、エピソード改変(例:寿司嫌いの理由など)が具体例として挙げられています。
ここで大事なのは「原作と違う=劣化」ではないこと。媒体が変われば、同じ主題を伝えるための最適解も変わる。『ネムルバカ』はその“翻訳”が比較的うまくいった実写化だと評価できます。
阪元裕吾監督らしさはどこに出ているか
阪元監督はインタビューで、名場面を「ここが見せ場です」と過剰に強調せず、原作の“かわいげ”を残しながら実写へ落とし込む意識を語っています。
この方針が、本作の“力みのない会話劇”に直結しています。
また、阪元監督が『ベイビーわるきゅーれ』シリーズの作家である点も、本作の文脈としてしばしば参照されます。
ただし『ネムルバカ』は、アクションの快楽よりも、関係の微妙な温度差を描く方向へ舵を切っている。ここに、監督の引き出しの広さと“青春ものへの翻訳力”が見えます。
ネムルバカが最後に問いかけるもの
『ネムルバカ』が残す問いはシンプルです。
「心地よい関係に留まること」と「変化の痛みを引き受けること」のどちらを選ぶか。
公式紹介でも、本作は「心地良さと焦りが同居する大学生という不思議な時間」を描く作品だと示されています。
この“心地良さ”は決して否定されません。むしろ愛おしく描かれる。だからこそ、そこを出る決断が苦い。観客は鑑賞後、自分の過去の人間関係や選択にまで思考が伸びていくはずです。
『ネムルバカ』は、答えを断言する映画ではありません。
でも、曖昧なまま進むしかない私たちに向けて、「それでも選んで、失って、進むしかない」と静かに言ってくる。
その余韻こそが、この映画を“考察したくなる作品”にしている最大の理由です。

