映画『正欲』を観終えたあと、「これは何を描いた物語だったのか」と言葉にしづらい余韻が残った人は多いはずです。
本記事では「正欲 映画 考察」をテーマに、物語の構造、登場人物の対比、象徴的に使われる“水”のモチーフ、そしてラストシーンの解釈までを丁寧に整理します。あわせて、タイトル『正欲』に込められた意味や、原作小説と映画版の違いにも触れながら、本作が私たちに突きつける「多様性」と「正しさ」の境界を読み解いていきます。
映画『正欲』の基本情報とあらすじ
『正欲』は、朝井リョウの同名小説を原作にした2023年公開の映画です。原作は2021年刊行で、第34回柴田錬三郎賞を受賞。映画版は岸善幸監督・脚本 港岳彦で、稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香らが出演しています。上映時間は134分。
物語は、横浜で暮らす検事・寺井啓喜、広島のショッピングモールで働く桐生夏月、そして大学生の諸橋大也・神戸八重子ら、背景の異なる複数人物の人生が、ある出来事をきっかけに交差していく群像劇です。はじめは「無関係」に見える線が、終盤で一本の問いに収束していく構成が本作の大きな魅力です。
タイトル「正欲」が示す“正しさ”と“欲望”の衝突
この作品の核心は、タイトルそのものにあります。社会で“正しい”とされる価値観と、個人の内側から湧き上がる“欲望”が衝突したとき、私たちはどこまで他者を理解できるのか——その問いが全編を貫いています。原作紹介でも「観る(読む)前には戻れない」類いの強い問題提起として位置づけられており、単なる社会派ドラマでは終わりません。
重要なのは、本作が「正しさ」を単純に否定していない点です。むしろ、正しさがしばしば“多数派の安全地帯”として機能してしまう危うさを、観客自身の目線に引き寄せて見せてくる。だからこそ鑑賞後に残るのは、他者評価ではなく自己点検に近い読後感です。
多様性をめぐる本作の核心
岸監督はTIFF関連インタビューで、社会から疎外された人々を描く中で「多様性とは何か」を問いたかったと述べています。特に印象的なのは、「多様性を尊重する社会」でも言葉だけでは救いきれない少数者がいるなら、それは結局、多数派価値の延長にすぎないという視点です。
映画版は、この難題を説教調にせず、人物同士の接触とズレとして体感させます。ニュース記事でも、映画化にあたり“ある種のラブストーリー”として再構成した点が示されており、観客は理屈ではなく関係性の熱量としてテーマを受け取れる作りになっています。
水のモチーフが意味するもの
『正欲』考察で外せないのが「水」の反復です。映画評では、水は「形を定めにくいもの」の暗喩として読まれ、冒頭のショットからモチーフの重要性が示されていると分析されています。定型に収まりきらない存在を、水という視覚記号に託した演出は非常に映画的です。
さらに俳優インタビューでも、水の描写の美しさが強く言及されていました。重い主題を扱いながら、映像としては“浸透するような美しさ”を保っている点が、本作を単なるショッキングな題材消費から遠ざけています。観客の抵抗感を和らげつつ、核心には確実に触れさせるバランスが絶妙です。
群像劇としての構造と人物配置
本作が優れているのは、テーマ先行ではなく、あくまで人物配置で物語を動かしているところです。検事・販売員・大学生という生活圏の異なる人物を並置し、「社会的に見えやすい痛み」と「見えにくい痛み」を同時進行させることで、観客の判断軸を揺らしてきます。
また映画評論でも指摘される通り、映画版は人物名を軸に章立てすることで、複雑な関係性を視覚的に追いやすくしています。情報量は多いのに混乱しにくいのは、脚本と編集の設計が緻密だからです。
原作との違いと映画ならではの表現
原作は2021年刊行の長編で、読者に強い問題意識を突きつける作品として評価され、賞歴もあります。映画版はその核を保ちつつ、岸善幸監督×港岳彦脚本のコンビが、関係性の情動を前面に出した構成へと置き換えています。
とくに映画では、説明セリフを増やすより“見せる”方向に振っているのが特徴です。視線、間、反復モチーフで心情を立ち上げるため、原作既読・未読のどちらでも別種の衝撃があります。小説の論点をなぞるのではなく、映像メディアとして再定義している点が、映画『正欲』の価値だといえます。
ラストシーンの解釈
終盤は、「理解されること」と「生き延びること」が必ずしも一致しない現実を突きつけます。誰かに完全に受容される理想ではなく、それでもなお他者と接続しようとする意志が、かすかな希望として残る設計です。だから後味は“爽快”ではなく、“持続する余韻”に近い。
公式ストーリーが示す通り、本作の到達点は「この世界で生き延びるために大切なもの」の提示です。観客に答えを配るのではなく、観客それぞれの“正しさ”を再点検させる終わり方になっています。
まとめ:『正欲』は「わかったつもり」を壊す映画
『正欲』は、社会が掲げる「多様性」という言葉の届く範囲と、届かない領域の両方を可視化した作品です。第36回東京国際映画祭で最優秀監督賞と観客賞を同時受賞した事実は、この難題が“作家性”と“観客性”の両面で届いたことを示しています。
この映画のすごさは、観客に「誰が正しいか」を決めさせるのではなく、「自分は何を正しいと思い込んでいたか」を問い返させる点にあります。だからこそ、『正欲』は鑑賞後に始まるタイプの映画です。

