映画『108時間』考察|断眠108時間の意味と“幻覚か怪異か”ラスト結末の解釈

「108時間、眠らずに稽古を続けたら、人はどこまで“現実”を保てるのか。」
映画『108時間』は、前衛舞台の役作りのために断眠108時間という極限状態に挑む女優たちが、廃・精神病院の閉鎖空間で少しずつ壊れていくサスペンス/ホラーです。寝不足が生む幻覚なのか、それとも本当に“何か”がいるのか——観る側まで判断を奪われるような不穏さが、本作の最大の魅力でもあり怖さでもあります。

この記事では、タイトル「108時間」の意味、演出家アルマが役者に課した“眠らせない稽古”の狙い、そして物語後半で明かされる真相とラスト結末の解釈まで、ネタバレなし→ネタバレありの順で丁寧に読み解きます。観終わったあとに残るモヤモヤを整理したい方も、これから観るか迷っている方も、ぜひ参考にしてください。

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映画『108時間』とは?作品情報とジャンル(断眠×演劇×廃病院ホラー)

『108時間』(原題:No dormirás/英題:You Shall Not Sleep)は、舞台の“役作り”のために108時間眠らないという極限状態に追い込まれる女優たちを描く、サスペンス/スリラー寄りのホラー作品です。2018年製作・107分、アルゼンチン/スペイン/ウルグアイ合作で、監督はグスタボ・エルナンデス。
ポイントは「断眠=幻覚」というリアル寄りの恐怖と、「廃・精神病院」「前衛演劇」「不可解な出来事」が混ざり合い、“見えているもの”の信用度がどんどん下がっていく構造にあります。


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あらすじ(ネタバレなし):108時間“眠らない稽古”が始まる

駆け出し女優のビアンカは、伝説的な演出家アルマ率いる劇団の新作舞台へ参加することに。稽古場に選ばれたのは、今は廃墟となった精神病院――外界から隔離された閉鎖空間です。
アルマは役者たちに「役の心理に近づくため」眠らずに過ごすことを要求。ビアンカはライバルのセシリアと主演を競いながら、寝不足で感覚が研ぎ澄まされていく一方、幻覚めいた体験や不可解な出来事に飲み込まれていきます。


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登場人物と関係性:ビアンカ/セシリア/アルマが抱える目的

  • ビアンカ:主演を狙う女優。父の看護を抱えつつ、アルマの舞台に強く惹かれて参加します。
  • セシリア:ビアンカのライバル。表向きは主演争いですが、作品の核心に関わる“別の目的”が匂わされます(※詳細はネタバレ章で)。
  • アルマ:稀代の演出家。断眠を“演技の実験”として推し進め、役者の精神の深部をえぐり出そうとします。
  • フォンソ:アルマの息子で、劇団側の人間。ビアンカを気にかける存在として登場します。

この三角形(ビアンカ=上昇志向/セシリア=執着/アルマ=支配と実験)が、物語を「ホラー」だけでなく「心理戦」にもしています。


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タイトル「108時間」の意味:断眠が心と身体を壊していくリアリティ

108時間は、単純に言えば4日半。ここまで眠らないのは、気合いや根性ではなく“脳の限界”の領域です。映画内でも断眠研究の話が触れられ、一定時間を超えると幻覚・恐怖・精神の破綻が起こり得ることが示唆されます。
つまり「108時間」は、舞台の成功や主演の座を賭けた“課題”であると同時に、現実認識が壊れはじめる境界線として機能しているわけです。


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考察①:起きているのは幻覚?それとも超常現象?“現実の綻び”の見せ方

本作の肝は、「幻覚かもしれない」と思えるうちはまだ理性が残っていること。問題は、断眠が進むほどに**“説明できない出来事”を都合よく受け入れてしまう**点です。
廃病院という舞台は、音・影・物音など“怖く見える条件”が揃っており、観客もビアンカと同じく「今のは見間違い?」を繰り返します。
この曖昧さがあるからこそ、作品は単なるジャンプスケアではなく、じわじわ現実が侵食される恐怖に寄っていきます。


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考察②:演出家アルマの“役作り”は芸術か暴力か(メソッド演技の闇)

アルマが怖いのは、怪異よりもまず「理屈が通っている」こと。役者を極限に追い込み、感受性をむき出しにさせる――その発想自体は“前衛”として成立します。
でも、断眠は安全策や合意の範囲を簡単に超えます。自分の美学のために他者の健康や人生を賭けさせる時点で、それは芸術というより支配に近い。
アルマは「主演を与える/奪う」という餌で競争を煽り、役者の自尊心を燃料にします。結果、ビアンカも“やめたい”と言い出せなくなる。ここが『108時間』のいちばん現実的な怖さです。


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考察③:廃・精神病院という舞台装置が象徴するもの(閉鎖空間/罪悪感/恐怖)

稽古場が**廃墟の精神病院(サンタ・レヒナ病院)**であることは、ただのホラー演出ではありません。
ここは「正常/異常」「演技/本音」「現実/幻想」の境界が曖昧になる場所。しかも“治すはずの場所”が廃墟になっている=誰も救われない。
だからこそ、断眠で揺らいだ心が、この空間に同調していく。ビアンカたちは外に出れば止まれたかもしれないのに、閉鎖空間にいることで“逃げ道そのもの”を見失っていきます。


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ネタバレ考察:劇中劇と「108時間眠らなかった女性」の悲劇が示すテーマ

※ここから先はネタバレを含みます。

劇中で準備される舞台は「大熊座」。産後うつを抱え、家族を手にかけかけた女性ドラを描く内容で、稽古と並行して“過去の悲劇”が浮上していきます。
ビアンカが見つける日記や壁に残された脚本は、「作品のための資料」ではなく、同じ悲劇を再現させるためのレールに見えてきます。
ここで映画が突きつけるのは、芸術の名の下に“他人の地獄”を素材化することの残酷さ。アルマの演出は、過去の痛みを癒すどころか、繰り返し上演して消費する方向へ働いてしまうのが皮肉です。


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ラスト結末の解釈:ビアンカは何を選び、何が残ったのか

結末で明かされる大きな真相は、セシリアがドラの娘だったこと。彼女は母の真意に触れるため、ビアンカを“媒介”にしようとしていました。
アルマはビアンカの感受性(父からの因子も含め)を理由に特別視し、断眠の果てに“向こう側”へ踏み込ませます。結果として、舞台は成功したかのように拍手喝采に包まれる一方、火事と暴走が現実を焼き尽くしていく。
そして後日談。ビアンカは断眠の後遺症として、なお“境界”に触れやすい状態に置かれます。ここは「事件が終わっても代償は終わらない」という、ホラーとして一番イヤな余韻です。


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感想・評価まとめ:刺さる人/合わない人(怖さの種類・注意ポイント)

刺さるのは、**多重構造(演劇×現実×怪異)**のパズル感や、「説明しすぎない」恐怖が好きな人。逆に、スッキリ種明かしを求める人には“分かりにくい”側に転びやすいです。
また、血みどろのスプラッタというより、突然の演出や不穏な気配で驚かせる場面があるので、ホラーが苦手な人は注意。実際、ホラー耐性が低い人にはかなり刺さるタイプ、という感想も見かけます。