「正欲」映画考察|“普通”の暴力と欲望の正しさを問う群像劇の深層

「普通でいること」が求められる社会において、「普通とは何か」「正しさとは誰が決めるのか」という問いは、見過ごされがちです。映画『正欲』(監督:岸善幸)は、その問いを正面から描いた作品であり、現代社会に深く根を張る〈同調圧力〉と〈個の自由〉の対立に切り込んでいます。

この記事では、登場人物の背景や映画全体に漂うテーマ、象徴的な演出、そして原作との違いなどを踏まえて、『正欲』の深層に迫る考察を行います。


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映画「正欲」のあらすじと登場人物 ― 生きづらさを抱える4人の交差

物語は、全く関係のないように見える数人の人生が、少しずつ交差していく群像劇として進みます。

  • 橋本優芽(稲垣吾郎):検察官として“正義”を担いながらも、家庭では悩みを抱えている。
  • 桐生夏月(新垣結衣):教員として働きつつ、かつてのある事件によって心に深い傷を負っている。
  • 城宮颯太(磯村勇斗):水に対する強い嗜好=“水フェチ”を持つ青年。
  • 森下美希(東野絢香):身体的特徴と自己認識の間で揺れる若者。

この4人が偶然とも必然とも取れる形で交差していくなかで、それぞれの「正しさ」が露呈し、葛藤が生まれていきます。社会的規範から外れた彼らの姿は、私たちが抱える“見えない傷”を映し出します。


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「普通」と「異質」 ― 本作が問いかける“正しさの欲”とは何か

本作のタイトル「正欲」は、“正しさを求める欲望”という意味にも読めます。人間は誰しも、「自分は正しく生きたい」「正しく評価されたい」と願いますが、その“正しさ”が一方で他者を排除し、異質なものを否定する暴力になってはいないでしょうか。

登場人物たちは、「正しくあること」に苦しめられています。たとえば、橋本は法律を扱う仕事を通して“絶対的な正しさ”に寄り添う反面、自分の家庭では複雑な事情を抱え、矛盾と向き合わざるを得ません。

社会的に「異常」とされる性嗜好や体の在り方、性自認を持つ人々が、本作ではリアルに描かれ、「普通」とは何なのかという根源的な疑問を観客に投げかけます。


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嗜好・フェチ・マイノリティ ― 水フェチという設定の象徴性を探る

特に注目すべきは、颯太の持つ“水フェチ”という性的嗜好の描写です。映画内では、彼が水に濡れることや水に囲まれる状況に強い性的興奮を覚える描写があります。

これは単なる特殊な性癖の表現ではなく、「他者には理解されにくい自分だけの真実」として、非常に象徴的です。社会からの理解を得られず、それを隠し続けることでしか生きられないという構造は、性的少数者や障がい者、精神疾患を抱える人々など、広くマイノリティ全体に通じるメタファーとも言えます。

水というモチーフは、浄化、自由、そして時に苦しみの象徴として、本作の中で繰り返し使われ、彼の内面の揺らぎを映し出しています。


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映像表現・演出・構図 ― 抑制された語りから浮かび上がる〈水〉の意味

岸善幸監督は、映像演出において感情を煽るような描写を極力排除し、観客の想像力に託す手法をとっています。静かな構図、間のある編集、そして長回しなどが多用されることで、登場人物の内面がよりリアルに伝わってきます。

特に水の描写は象徴的で、雨、風呂、川といったシーンが意図的に多く配置されています。これらは主人公たちの感情やトラウマと密接にリンクしており、観る者に“言語化されない苦しみ”を視覚的に訴えかけてきます。

また、キャスティングにおいても、清潔感やイメージの強い俳優陣(新垣結衣、稲垣吾郎など)をあえて「逆説的に使う」ことで、彼らの役割と物語のメッセージ性に深みを加えています。


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原作との違い・ラストの解釈 ― 結末が提示する希望と絶望の狭間

映画は朝井リョウによる同名小説を原作としていますが、一部において表現の仕方や焦点の置き方が異なります。原作ではより内面的なモノローグが深く描かれるのに対し、映画では映像と演技を通して“観る者に感じさせる”ことを重視しています。

特にラストシーンは、原作読者から賛否が分かれる部分でもあります。映画では多くを語らず、観客に“答え”を委ねる形になっており、希望と絶望のあいだに立ち尽くすような余韻が残ります。

「普通の幸せ」とは何か? 「個を守る」とはどういうことか? それを語らずに提示する本作の姿勢こそが、今を生きる私たちへの最大の問いかけなのです。


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Key Takeaway

映画『正欲』は、“正しさ”を武器にして他者を排除する社会の構造に警鐘を鳴らしつつ、異なる価値観と生き方の共存の可能性を模索した作品です。静かで抑制された語りの中に、現代社会の「本音」が確かに息づいています。