2023年に公開されたヨルゴス・ランティモス監督作『哀れなるものたち(Poor Things)』は、ただの風変わりな映画ではありませんでした。エマ・ストーンが圧巻の演技で魅せた主人公・ベラの物語は、フェミニズム、自己形成、自由意志、身体性といった現代的なテーマを内包し、観る者に深い思索を促します。
この記事では、映画『哀れなるものたち』を以下の5つの視点から掘り下げ、作品の深層にあるメッセージとその意義を紐解いていきます。
原作との比較:物語構造とキャラクター改変の意図
原作はアラスター・グレイによる1992年の同名小説。ヴィクトリア朝的な風刺と社会批評に満ちた原作に対し、映画版はより「現代的フェミニズム」の要素を強調した改変が加えられています。
- 原作では語り手がベラではなく男性視点であるのに対し、映画ではベラが中心となることで主題が再構築されています。
- フランケンシュタイン的な「再生」の設定はそのままに、「新しい意識を持った女性」の成長譚として昇華されています。
- 映画は原作よりもビジュアル的で、寓意や暗示を視覚表現に置き換えることで、観客の能動的な解釈を求めています。
この改変によって、物語は単なる空想科学ではなく、「女性の自由」と「自己決定」の問題へと焦点を移しています。
ベラという存在:身体性・意識・自己の生成過程をめぐって
ベラは科学者ゴッドウィンによって蘇生された「新たな生命体」です。幼児のような知性を持ちながら、成熟した女性の身体を持つというその設定は、現代社会における「身体と意識の分断」「女性の主体性」の議論を象徴的に映し出します。
- ベラは成長過程で性、倫理、感情、言語を学び、「他者の眼」ではなく「自己の視点」を得ていきます。
- 「快楽」「自由」「選択」への執着は、彼女が何者にも支配されず自己を創り上げる過程として描かれます。
- 肉体的欲望に肯定的である点は、道徳や社会規範に縛られない生の肯定であり、従来の「純潔=美徳」概念を覆します。
ベラは「生まれ直した人間」として、私たちが前提としている社会的・倫理的な枠組みを揺さぶる存在です。
ジェンダーと権力:支配・解放・男/女の関係性分析
この映画のもう一つの大きなテーマは、男性社会による女性の所有と支配への抵抗です。ベラは次々に出会う男性たちに「定義」されそうになりますが、それらを拒絶し、脱構築していきます。
- 弁護士・ダンカンとの旅では、彼女は「所有物としての女性」ではなく「自らの選択で動く主体」として描かれます。
- 医師・ゴッドウィンでさえも「創造者」としての立場に固執しようとしますが、ベラはその関係を超えていきます。
- 最終的に彼女が選ぶのは、誰にも依存せず、自分の人生を自分で築く「解放された自我」です。
ベラの存在は、女性を「他者のためにある存在」から「自分自身である存在」へと転換させる象徴となります。
象徴と映像表現:色彩・構図・モチーフの意味
ヨルゴス・ランティモスの演出は、独特のビジュアルセンスに満ちています。『哀れなるものたち』もその例に漏れず、色彩、セット、構図、モチーフを通じて物語の主題を豊かに伝えています。
- 鮮やかなパステルカラーと大胆なセットデザインは、幻想的で人工的な世界を強調し、「現実との断絶」を示唆。
- 魚眼レンズ的な歪んだ視点は、ベラの「外からの世界認識」の未成熟さを象徴しています。
- 繰り返される「落下」「跳躍」のモチーフは、自由の獲得と自己超越を示すメタファーとして機能します。
こうした視覚的表現は、観客に言語以上の直感的なメッセージを与える重要な装置となっています。
鑑賞体験としての「違和感」とその解釈可能性
本作はストーリーも構成も直線的ではなく、むしろ観客に「違和感」や「困惑」を与えることを前提に作られています。この「分かりにくさ」は否定的ではなく、「考える余地」を与える仕掛けとして機能しています。
- 一見して不自然な台詞や動作、非現実的な世界観は、「現代社会を相対化する視点」を意図的に与えるもの。
- 道徳的ジレンマや性描写の露骨さは、観客の内面にある「常識」や「不快感」をあぶり出す効果を持ちます。
- 観終わった後に「何だったのか」を考え続ける感覚こそが、この映画の核心なのです。
違和感とは、内面に入り込んだ映画の問いかけの証拠であり、まさにそこにこの映画の価値があります。
結論:『哀れなるものたち』が突きつける人間存在への問い
『哀れなるものたち』は、「女としてどう生きるか」だけでなく、「人間としてどう在るか」を問う作品です。ベラという存在を通して、私たちは社会の規範、倫理、身体性、そして自由について再考を迫られます。
物語をただ追うだけではなく、その裏にある問いかけに立ち止まり、違和感とともに考えることで、この映画は真価を発揮します。
Key Takeaway:
『哀れなるものたち』は、視覚的にも思想的にも挑戦的な作品であり、観る者に「人間とは何か」という根源的な問いを突きつける。ベラの旅は、私たちの内面の再構築の旅でもある。