2022年公開の映画『ちょっと思い出しただけ』(監督:松居大悟)は、恋人同士だった二人の「別れの記憶」を巻き戻しながらたどる、静かで切ないラブストーリーです。主演の池松壮亮と伊藤沙莉が紡ぐ自然体の演技と、ある日常のひとコマのようなリアリズム、そして物語構成の巧みさが、静かに観る者の胸を打ちます。
この記事では、作品の時間構成、伏線、別れの理由、記憶のテーマ、そして人物描写を軸に、深く考察していきます。
作品構成と時間操作:巻き戻される物語の仕掛け
『ちょっと思い出しただけ』最大の特徴は、「時系列が逆行する構成」にあります。物語は2021年の誕生日から始まり、過去へと1年ずつ遡る形で語られていきます。観客は最初に「別れた後」の二人を見せられ、そこからなぜ別れに至ったのかを“思い出す”ように追体験していきます。
この構成は、単なる時間のトリックではありません。時間を遡ることで、関係の“ほころび”が徐々に修復されていくように見え、観る者に「もしかしたら…」という幻想を抱かせます。しかし最終的に到達するのは、すべてが始まる前の「幸せな記憶」。それは二人にとっての希望であり、同時に観客にとっての余韻でもあります。
散りばめられた伏線・象徴表現の解読
映画には、何気ない会話や小道具の中にさまざまな伏線や象徴が隠されています。
たとえば、照生がよく口にする「痛い」や「疲れた」という言葉。これは彼の身体的な衰えや限界を示すだけでなく、彼の精神的な“消耗”をも示唆しています。また、葉が繰り返し登場する「花束」や「スマホの画面」も、関係の変化や心の距離を象徴するアイテムです。
さらには、ジュン(成田凌)の存在も重要です。彼は主に葉の視点から描かれますが、あくまで“もう一つの可能性”を示す存在であり、恋愛的には深く踏み込まないことで、照生との関係性がより浮き彫りになります。
別れに至る過程:すれ違いと価値観のズレ
物語の進行とともに明らかになるのは、照生と葉のすれ違いです。大きな喧嘩や決定的な裏切りがあったわけではありません。ただ、生活のペースや未来へのビジョン、感情表現の温度差が、じわじわと二人の距離を引き離していきます。
照生はダンサーとしての自負と不安の狭間で揺れ動き、葉は介護士として現実的な日々を送りながら、どこか物足りなさを感じている。お互いに相手を想っているのに、それをうまく言葉にできない。その“言葉にならないすれ違い”こそが、現実の恋愛でもっとも残酷な分岐点を生むのです。
記憶・過去との対話:思い出すという行為の意味
タイトルにもある「ちょっと思い出しただけ」という言葉は、映画のテーマそのものです。
人は誰しも、ふとした瞬間に「かつての誰か」を思い出すことがあります。それは執着や未練とは異なり、過去と穏やかに対話するような感覚に近い。照生も葉も、それぞれの人生を歩みながら、ふとした瞬間に互いを思い出す。そこには、傷つけ合ったわけでもなく、完全に忘れることもできない“中途半端な温もり”が残っているのです。
この映画は、そうした「記憶との付き合い方」を非常に繊細に描いています。終わった恋の記憶を消すのではなく、時には「優しく取り出して眺める」ことも、人生には必要なのだと示唆しています。
キャラクター解析と演出のリアリズム
池松壮亮と伊藤沙莉の演技は、とにかく「リアル」です。セリフに頼らず、沈黙や視線の動き、体の距離感で多くを語ります。特に伊藤沙莉演じる葉の感情表現は自然体でありながら、じんわりと心に残ります。
また、舞台美術やロケーション、照明も含めて、全体的に「現実に近いけれど、ほんの少しだけ美化された世界」が丁寧に作り込まれています。この絶妙なバランスこそが、作品の“フィクションとしてのリアル”を支えています。
【総括】『ちょっと思い出しただけ』が私たちに問いかけるもの
本作は、誰にでもある「終わった恋」「ふとした記憶」を、丁寧にすくい取るように描いています。決して派手ではなく、説明的でもない。だからこそ、多くの人が自分の経験と重ね、静かに感情を揺さぶられるのです。
▼Key Takeaway(要点まとめ)
『ちょっと思い出しただけ』は、時間逆行という構造を通じて「記憶」「別れ」「すれ違い」の本質を描いた傑作であり、観終わった後にそっと“自分の過去”を思い出させてくれるような、優しくも切ない映画体験を提供してくれる。